郁郁青青、ペトリコール
不知森 啓治
第1話 沈丁花
跨線橋を降りると、向かい風が道しるべを運んできた。示すとおりに足を運ぶと、やはり彼女がいた。まだ満開ではないらしいが、それでも充分だ。この薫りはいとも簡単に脳から私の”もの”を持ってきて、なにもかもを支配する。いつまでもこんなことを考えているわけにはいかないはずだが、忍び足でやってきた季節にとってはこれが仕事なのだからちゃんと見届けてあげよう。静かに咲いて散るだけよりずっと良いはずなんだ...。
みるみるうちに気が変わってきた、いや、戻ってきた。平和的だった気持ちがいきなり逆を向き、闘争の中に身を置く自分の本当の姿を思い出した。平和はいつも束の間で、恣意的だ。何が道しるべだ...それこそ”何の風の吹き回しなのか”分からないが、どれだけキザな事を言っても、私がしたことは変わらない、今すぐここから離れなければならぬ。
罪の意識は何処に逃げても着いてくる、それは自分の一部だからだ。記憶も時間もそうだからこそ、自分であることが分かる。これは一般的に言われるような罪などではない、生まれたころに与えられる強烈な罪でもない。このことに関しては...ああ、可哀そうな人類。生まれた頃、いや生まされた頃から罪を負わされるなんて。だけどその罪を負っていないはずの私ですら、慣習が生んだ罪悪感から逃れることは出来ない。何が良くて悪いのかという主観的な判断を、全く止めることなどできないのだ。だがそうでなくとも、私には確実な罪がある。私にとって確実な罪。
いつだってそうだ、道しるべは通り過ぎれば忘れる。気が付いたら、もう玄関の前に立っていた。
郁郁青青、ペトリコール 不知森 啓治 @Heisei32
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