137 藍圭や初華との食事 その2


「待たせたな」


「では、わたしはこれにて失礼いたします」

 恭しく一礼した周康が部屋を出ていく。


「わたし達も行くか」

 告げた龍翔が明珠の手を握る。


「り、龍翔様っ!?」


 すっとんきょうな声が飛び出すが、龍翔は平然としたものだ。


「すぐそばの初華の部屋に行くまでの間くらい、よいだろう?」


「で、ですが、初華妃様のお部屋に行くまででしたら、さすがに迷子になったりしませんっ! ちゃんと龍翔様のあとについていきますし……っ!」


 大きな手のひらにぎゅっと手を握られているだけで、なんだか鼓動が速くなってくる。が、龍翔は手をつないだまま、すたすたと歩き出す。


「少しくらいよいではないか。この階は侍女達が通りかかることもほとんどない。誰かに見られる心配もないだろう? 玲泉はまだ王城へ戻っておらぬゆえ、余計な邪魔が入ることもないしな。何より、晟藍国に来てからというもの、お前と手をつなぐ機会など、ろくになかったのだから」


「そ、そうかもしれませんけど……っ。で、でも……っ!」


 部屋を出て、無人の廊下を龍翔に手を引かれて歩きながら、あわあわと告げる。


「龍翔様は、私が不安になった時は、いつだって手を握ってくださったではありませんか。藍圭陛下のご事情をうかがって哀しくなった時も、玲泉様にご事情を話された時も……。龍翔様が手を握ってくださったおかげで、私、本当に安心して――。龍翔様? どうなさったんですか?」


 不意に足を止めた龍翔が、明珠とつないでいないほうの手で顔を覆い、そっぽを向く。驚いて問いかけると、「いや……」と手のひらの下から、くぐもった声が聞こえてきた。


「思いがけない不意打ちの威力が高すぎてな……」


「不意打ち……っ!? ええっ!? 何かあったんですか……っ!?」


 驚いて周りを見回してみるが、廊下はしんと静かなものだ。窓の向こうには白い雲が浮かんだ青空が広がり、陽光がきらきらと降りそそいでいる。


「いや、お前が心配するようなことは何もない」


 かぶりを振った龍翔が歩を進め、初華の部屋の扉を叩く。


「初華。明順を連れてきたぞ」


「お兄様っ! お待ちしておりましたわ!」


 待ち構えていたかのように扉が開く。萄芭とうはが開けてくれた扉の先に立っていたのは、晟藍国風の紗を重ねた華やかで涼しげな衣装を纏った初華だった。


「明順、来てくれてありがとう! 嬉しいわっ!」


「ひゃあっ!?」


 勢いよく抱きついてきた初華を空いているほうの手であわてて抱きとめる。まさか、こんな熱烈に歓迎をされるとは思ってもいなかった。


 すぐ隣から、龍翔の呆れ混じりの声が降ってくる。


「初華。気持ちはわかるが、明順が目を白黒させているぞ。ほら、藍圭陛下も呆れていらっしゃる」


「あら?」


 明珠が視線を向けた先では、出迎えのために卓から立ち上がった藍圭が、椅子の背もたれに手をかけた格好のまま、何とも言えない微妙な表情で明珠達を見ている。


 従者である明珠ごときを初華が大歓迎しているのが、嫌なのかもしれない。と。


「まぁっ、藍圭様ったら!」


 初華が明珠に抱きついたまま振り返った初華が、嬉しくてたまらないと言いたげなはずんだ声を上げる。


「ご心配はいりませんわ。だって……」


 ようやく明珠から身を離した初華が、藍圭を振り返って悪戯っぽく微笑む。


「よくご覧になってくださいませ。明順は、少年従者ではなく少女ですのよ? 本当の名前は、明珠と言いますの」


「…………え?」


 ぽかん、と藍圭が目を見開いて、呆けた声を洩らす。


 くすくすと笑う初華は、まるでとっておきの種明かしをするかのように楽しげだ。


「ですから、藍圭陛下がご心配なさる必要は、まったくございませんわ」


「あ……っ」


 藍圭の愛らしい面輪が、さっと朱に染まる。が、明珠はなぜ心配が不要なのか、わからない。


 明珠が疑問を呈するより早く、藍圭が小首をかしげる。


「明順……。いえ、明珠が少女なのはわかりましたが……。なぜ、少年従者のふりをしているのです?」


 当然の疑問に、初華があっさり答える。


「お兄様の従者は、男ばかりなのですもの。そんな中に愛らしい明珠が混ざれば、嫌でも目立ってしまうでしょう? お兄様は明珠をできる限り人目にふれさせたくないのですわ」


「す、すみません……っ! 私が不出来なばっかりに……っ! 龍翔様の従者に粗忽者そこつものがいると噂になったら、ご迷惑をおかけしてしまいますもんね……」


 だから留守番ばかりなのだと、いまさらながらに思い至り、しゅんと肩を落として詫びると、


「まぁっ、明珠ったら!」

 と初華が驚きに満ちた声を上げた。


「お兄様があなたを隠している理由が、そんなことのわけがないでしょう!? いったい、どんな誤解をしたら、そんな考えになりますの!?」


「そうだぞ。明珠、お前はいつもよくやってくれている。わたしはお前を粗忽者だと思ったことなどない」


 初華が明珠の顔を覗き込み、龍翔もまた逆側から顔を覗き込みながら、あやすように明珠の頭を撫でる。


「り、龍翔様っ!? 初華妃様も……っ!? あのっ、大丈夫ですからっ!」


 きらきらとまばゆい兄妹に両側から詰め寄られては、へこんでいるどころの話ではない。


 あわあわと声を上げたところで、明珠は初華のもとへ来た主目的を思い出した。



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