136 わたしは前の問答をふたたびする気はないぞ?


「まさか、このような事態になるとはな……」


 晟藍国王城の与えられた部屋の卓で、龍翔は低い声で呟いた。


 いま私室にいるのは龍翔と季白に張宇、それに玲泉だ。明珠と周康は隣の従者用の部屋で待機している。


 龍翔の部屋に招かれた当初は、「おや、明珠は隠してしまわれたのですか」と軽口を叩いた玲泉も、龍翔のすげない言葉にすぐに表情を改め、怜悧れいりな龍華国高官の顔になっている。


 初華と藍圭はここにはいない。魏角将軍や浬角とともに、葬儀の準備に追われている。


 兵士より大臣である瀁淀とその息子、瀁汀の急死が伝えられた際、港にいた者はみな、誤報ではないかと疑った。


 権力欲にりつかれ、兄王夫妻と甥である藍圭をもしいしてまで、国王の座を狙っていた瀁淀親子が急死するとは、誰ひとりとして予想していなかったためだ。浬角など、


「それは真かっ!? 何かの罠ではあるまいな!? 遺体をその目で確かめたのか!?」

 と、使者の兵士を問い詰めていたほどだ。


 それほど、瀁淀親子の急死は、青天の霹靂へきれきだった。


「『花降り婚』が成就したことに絶望しての自死……。というわけではないのだろうな、やはり」


 龍翔の低い呟きに、玲泉が吐息とともに応じる。


「そうでしょうね。港で浬角殿が疑っていたとおり、最初聞いた時、わたしも何かの罠かと、その可能性を真っ先に考えましたから。他人を殺すことは考えても、己が死ぬことなど考えたこともなさそうな俗物の瀁淀親子が、計画の頓挫とんざを絶望して自死を選ぶとは、とても考えられません」


 手厳しい玲泉の言葉に、「ではやはり……」と眉をひそめたのは季白だ。季白の言葉を引き取るように、龍翔は低い声で呟いた。


「……昨日、祝宴の前に瀁淀の屋敷に滞在していたのは雷炎殿下だったな」


「雷炎殿下が……。二人を手にかけたということですか……?」


 凛々しい面輪をしかめ、信じたくないと言いたげにこぼしたのは張宇だ。真面目で誠実な張宇にとっては、味方であったはずの二人をあっさり始末した雷炎の行動が信じられないのだろう。


「瀁淀親子の死因は『毒のようなもの』を飲まされた、ということのようですね」


 龍翔の部屋に集まる前、初華の侍女から伝え聞いた情報を、玲泉が改めて口にする。


 瀁淀と瀁汀の遺体を見つけたのは、屋敷に勤める使用人だった。


 毎夜のように飽食にふけり、最近は気に入らぬことが多いのか深酒をすることも多い二人だったが、あまりに遅いため、それぞれの寝室を覗いたところ、すでに寝台の上で事切れていたのだという。


 二人とも苦悶の表情で事切れており、喉をかきむしっていたところから、恐らく毒にとって死亡したものだというのが、遺体を調べた兵士の見立てだ。


「どうやったのかは知らんが、《毒蟲》を飲ませたのだろうな」


 龍翔の言葉に玲泉が頷く。


「瀁淀達が、雷炎殿下の《毒蟲》に抗せるとは思えません。雷炎殿下にしてみれば、二人に《毒蟲》を飲ませた時点で、目的は達成したも同然だったことでしょう」


 龍翔は見送ってからまだ二刻も経っていない雷炎の悠然とした姿を思い返す。


 雷炎の態度に、協力者を暗殺したという後ろ暗いところはまったくなかった。だからこそ、瀁淀親子が急死したと聞いた際、にわかに信じられなかったのだが。


 自分の手を実際に血で濡らしたわけではないものの、協力者を二人殺しておいて、平然としているとは……。


「雷炎殿下は、やはり油断ならぬ人物だな」


 主の呟きに、季白と張宇が硬い表情で首肯する。


 ふぅ、と芝居がかった様子で吐息したのは玲泉だ。


「雷炎殿下は果断にして苛烈。そのような御方に好敵手と目されてしまうとは……。同情申し上げます」


 玲泉の言葉に、季白が間髪入れずにきっ! とまなじりを上げる。


「何をおっしゃるのです! 龍翔様が、《毒蟲》などという卑劣な手を使う輩などにおくれをとるなど、ありえませんっ!」


 季白のまなざしは玲泉を射貫くかのようだ。しかし、玲泉は季白の剣幕などどこ吹く風とばかりに肩をすくめる。


「ですが、あちらは大国、震雷国の第二皇子。しかも、震雷国は、国王陛下も領土拡大に熱心だと聞きます。龍翔殿下も雷炎殿下と同じく第二皇子とはいえ……。失礼ながら、第一皇子派、第三皇子派にうとまれ、いつ追い落とされるやもしれぬお立場。個人として闘うなら互角だとしても、お二人のお立場ならば、必ずや国を巻き込んでの戦いとなることでしょう。そうなれば……。現時点では、龍翔殿下が劣勢となるのは誰が見ても明らか。まさか、季白殿ともあろう者が、その程度のこともわからぬはずがないでしょう?」


「ぐぬ……っ!」


 玲泉の言に、珍しくやりこめられた季白が悔しげに唇を噛みしめる。が、すぐに威勢を取り戻す。


「現状は確かに玲泉様がおっしゃるとおりかもしれませんが、いつまでも後塵を拝する龍翔様ではございませんっ! このたび見事『花降り婚』を成就させ、差し添え人の役目を果たされたのです! 藍圭陛下とも固い絆で結ばれましたし、帰国してこのことが広まれば、王城内での影響力も増されるに違いありませんっ!」


「なるほど。それは確かに季白殿の言うとおりだ。が……。それだけでは、第一皇子派、第三皇子派を追い落とすにはまだまだ足りぬだろう?」


「季白、もうよい」


 何とか玲泉に抗弁しようとする季白を、龍翔は静かな声で止める。


「玲泉は事実を述べているに過ぎぬ。確かに、今のわたしの立場は、決して盤石ばんじゃくとは言えぬ。だが――」


 龍翔は射貫くように鋭く玲泉を睨みつける。


「わたしは以前もした問答をふたたびする気はないぞ? 蛟家の助力を得るために、明珠を差し出す気など、欠片もない」


「承知しておりますよ」


 玲泉が見る者をとりこにするような優雅な笑みを浮かべる。


「龍翔殿下に宣戦布告したからには、そのような手段を取る気はございません。それで明珠を得たとしても、心から満足はできぬでしょうからね。ですが……」


 す、と玲泉の目が細くなる。


「龍翔殿下が不覚を取られて、窮地に陥られた時は別です。明珠を道連れにするなど、許せるはずがありませんからね。その時は、明珠がどれほどあらがおうとも、わたしがさらって連れてゆきます。ですから、龍翔殿下は雷炎殿下と相打ちになるなり、第一皇子殿下と相争うなり、御心のままに無謀に挑んでいただいてかまいませんよ?」


 告げる声音は絹のように柔らかなのに、喉元を締め上げるような圧を発して玲泉が告げる。


「無策で雷炎殿下に挑むつもりなどない。第一皇子や第三皇子と敵対する気もな」


 玲泉のまなざしを真っ向から受け止めて告げた龍翔は、からかうように唇を吊り上げてみせる。


「そもそも、おぬしは第一皇子や第三皇子がわたしを追い落としたとして、あの二人で雷炎殿下、ひいては震雷国に抗しえると思っておるのか?」


「……そこを突かれると、わたしも痛いですね」


 まったく痛いとは思ってなさそうな様子で玲泉が苦笑する。


「これで、第一皇子殿下や第三皇子殿下がわたしが忠誠を捧げるにふさわしい御方であれば、迷いなく龍翔殿下と敵対できたのですが」


「そうであれば、わたしはここまで生き長らえていまい」


「龍翔様っ! ご冗談でもそのように不吉なことをおっしゃらないでくださいっ!」


 季白が悲鳴のような声を上げる。「大丈夫だ」と龍翔は忠臣にゆったりと微笑みかけた。


「案ずるな。むざむざとやられる気など、芥子粒ほどもない。第一、第三皇子にも、震雷国にもな」


「ですが……。いったい、事前にどのような準備をしておけばよいのでしょう?」


 凛々しい眉を寄せて疑問を呈したのは張宇だ。真面目な張宇らしい問いかけに、龍翔は穏やかに答え宇r。


「震雷国がいつ、どのような手を使ってくるかわからぬ以上、今のところ、打てる手はないに等しい。こちらにできるのは、震雷国の動向に常に注意を払っておくことと、いざという時に国を動かせる立場にいられるよう、地歩を固めておくことだな」


「つまり、今までどおりということですね」


 張宇が精悍な面輪をゆるめる。


「震雷国の動向は、晟藍国の正妃となられた初華妃様が逐一お教えくださるに違いありません。そちらは初華妃様にお任せして、我らは龍華国での地歩を固めることに注力いたしましょう!」


 季白が勢い込んで身を乗り出す。


「……今回のことで、初華によからぬ噂が立たねばよいのだがな……」


 いまごろ藍圭とともに、瀁淀親子急死の対応に追われているであろう大切な妹を想い、嘆息する。


 『花降り婚』の翌日に、藍圭や初華と対立していた瀁淀親子が急死したのだ。瀁淀親子が生前、初華とやりあっているのを見ている者も多くいる。口さがない噂が出回るのは想像にかたくない。


 しかも、真犯人と目される雷炎がすでに晟藍国を出立してしまった以上、犯人を検挙することは決してできぬのだ。


 龍華国からの客人である龍翔達は、葬儀の準備を手伝うことすらできない。


 大切な妹の力になってやれぬ不甲斐なさに、龍翔は吐息をこぼすことしかできなかった。


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