135 雷炎の見送り その2


「ああ、本当に楽しみだ。ふたたび相まみえる日のことを考えると、今から血沸き肉踊り、心がたぎって仕方がない」


 獰猛どうもうな笑みに、芙蓮が小さく悲鳴をこぼす。


 物怖じする様子もなく愛らしい面輪をしかめて雷炎に苦言を呈したのは、王妃となり晟藍国風の華やかな衣装に身を包むようになった初華だ。


「雷炎殿下、あまりお兄様ばかりかまわないでいただけますか。お兄様はようやく差し添え人の大役を果たしたばかりなのですもの。少しの間くらい、心穏やかな日々を過ごしていただかなくては」


 憤然と雷炎を見上げる初華は、雷炎が龍翔を好敵手と見なしたことに気づいているのだろう。禁呪使いや政敵に狙われ続けている龍翔の境遇を知りながら、それでも心穏やかな日々を願ってくれる妹の優しさに、心の奥があたたかくなる。


「ははっ、心穏やか、か。当の龍翔殿下は、そんな日々はつまらぬと言いたげだが」


「そのようなことはございません。どのような名馬でも、休むことなく走り続けることはできぬでしょう。弓の弦とて同じです。ずっと張り詰めていれば、そのうち切れてしまいます」


 鼻を鳴らした雷炎に、龍翔は穏やかに反駁はんぱくする。


 明珠と出逢う前の龍翔がそうだった。敵に隙を見せぬように常に気を張り、心安らぐ機会など滅多になく……。


 だが今は、明珠にふれ、他愛のないやりとりをするだけで、心がやすらぎ幸せで満ちていくのを感じる。明珠がそばにいてくれるならば、不可能でも可能に変えられるのではないかと思えるほどに。


如何いかなる名剣とて、手入れをせねばなまくらになるようなものか」


 我が身に引き寄せて考えた雷炎が、ふむ、と納得した声を上げる。


「ならば、龍翔殿下にはしっかりと磨き上げてもらわなくてはな」


 龍翔を見やる雷炎のまなざしは、刃よりもよほど鋭い。


「これは、誠に再会が楽しみだ。俺も負けぬように腕を磨いておくこととしよう」


 呵呵かかと笑った雷炎がゆっくりとかかとを返す。


「では、さらばだ」


 雷炎が船へとかけられた渡し板を悠然とした足取りで上っていく。


 朱色の衣装に包まれた長身が甲板に上がると同時に、出航を知らせる太鼓の音が鳴り響き、渡し板が引き上げられる。


 いかりが巻き上げられる重い音がし、朱に染められた帆が風をはらんで大きく弓形を描く。


 曇天の下、震雷国の旗に描かれた虎が天へとえるようにはためく。


 雷炎の船が船着き場を離れていくのを見送る間、誰もが無言のままだった。


 最初、震雷国の第二皇子が晟都を訪れると聞いた時は、どうなることかと思ったが、よくも悪くも強烈な印象を残した御仁だった。


 雷炎ほど自信に満ちて好戦的な人物は、龍翔の人生の中でも初めてだ。


「……《炎虎》を喚ぶという震雷国の皇子にふさわしい方でしたね。雷炎殿下自身が、虎のような方でした」


 ゆっくりと小さくなっていく船を見つめながら、藍圭がぽつりと感想を洩らす。


「ええ、藍圭陛下のおっしゃるとおりです」


 雷炎の人となりを的確に表わした言葉に、思わず同意の頷きを返す。


 感慨深げにな声を出したのは玲泉だ。


「突然、晟都へいらっしゃった時にはきもを潰しましたが、無事にご帰国の運びとなり、安堵しております。藍圭陛下、ご饗応きょうおう、本当にお疲れ様でございました。陛下の国王としてのご立派なご対応に、雷炎殿下も満足されたことでしょう」


「いえ、わたしだけの力ではありません」


 玲泉の言葉に、藍圭が恐縮したようにかぶりを振る。


「初華姫をはじめに、義兄上や玲泉殿が尽力くださったおかげです。誠にありがとうございます。どれほどの感謝をお伝えすればよいか……っ!」


 愛らしい面輪に生真面目な表情を浮かべて、藍圭が頭を下げる。龍翔はあわててかぶりを振った。


「もったいないお言葉です。ですが、わたしどもはたいしたことはしておりません。藍圭陛下が晟藍国国王として、ご立派に対応されたゆえですので」


「龍翔殿下がおっしゃるとおりでございます。藍圭陛下はもう、押しも押されもせぬ晟藍国の新国王なのです。軽々しく頭を下げられてはなりません。どうぞ、お顔をお上げください」


 龍翔に続き、玲泉も恐縮しきったような声を出す。軽やかな声を上げたのは初華だ。


「藍圭様ったら。夕べも申し上げたではありませんか。『花降り婚』も成就した今、わたくしはもう『姫』ではございません。れきっとした藍圭様の妻なのですもの。初華、とお呼びくださいませ」


「で、ですが……。その、つい……っ」


 初華の指摘に、藍圭が困ったように愛らしい面輪を紅く染める。

 仲睦まじい二人の様子に、思わず口元がゆるむのを感じる。


 見れば、雷炎が去ってつまらなそうな顔をしている芙蓮以外の全員が、微笑ましいものを見るように、目じりを下げて新婚の二人を見つめていた。と。


 和やかな雰囲気を蹴散らすかのように、石畳を駆ける馬のひづめが響いてくる。


 視線を転じれば、近衛兵の鎧に身を包んだ兵士が、馬を駆って矢のように港をこちらへと駆けてきていた。切羽詰まった様子に、何事かと緊張が走る。


「陛下っ! 一大事でございますっ!」


 龍翔達の目の前で荒々しく手綱を引いた兵士が、くらからすべり落ちるように下り、ひざまずくのももどかしい様子で告げる。


「よ、瀁淀大臣と瀁汀様が……っ! お亡くなりになられましたっ!」


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