135 雷炎の見送り その1


 『花降り婚』成就の祝宴が開かれた翌朝。


 空は雲が低く垂れこめた生憎あいにくの曇天だが、晟都の玄関口である港は、いつもどおりの活気に満ちていた。


 雲のおかげで強い陽射しが遮られて逆に過ごしやすいほどだ。いつも以上に湿気を含んだ重い風が、華揺河の水面みなもをさざめかせて、龍翔達の髪や衣を揺らして通り過ぎてゆく。


 華揺河のきらめきがいつもより沈んだ色に感じるのは、曇り空のせいだろう。昨日、『花降り婚』が行われたばかりの舞台は、まだ解体されていないのでそのままだが、昨日はまぶしい陽光を受けてきらめいていた舞台も、無人の今日はどこか寂しげに見える。


 だが、舞台の周りは、風を受けて帆をふくらませた船が何隻も水面をすべるように行き交い、海運の国、晟藍国らしい活気を挺していた。


 港の中で比較的静かなのは、王族用の船着き場くらいだ。


 王族用の船着き場に停泊する船のひとつ。紅の地に咆哮する白虎が銀糸で描かれた震雷国の旗が掲げられた立派な船は、何隻もの船の中で、小ぶりながらも群を抜いて目立っていた。


 何よりも目立っているのは龍翔達が乗ってきた龍華国の豪奢な船だが、晟藍国の藍色の地の旗の中で、陽光を照り返してはためく紅の旗は否応なしに人目を引く。


 いや、人目を引いている最大の理由は、藍圭や初華をはじめとした錚々そうそうたる面々が雷炎を見送りに来ているためだ。


 『花降り婚』を祝いに来た震雷国の第二皇子の見送りとなれば、本来は大勢の貴族達が詰めかけ、楽団が華やかな音色を響かせることだろう。


 だが、雷炎がそのようなものは不要だと断ったため、見送りに来ているのは、晟藍国側は藍圭と初華の夫婦と魏角将軍と浬角、そして芙蓮ふれんの五人、龍華国側が龍翔と玲泉に、季白と張宇の四人だ。


 周康は街へ出た安理の代わりに、王城で待つ明珠の警護につけてある。昨夜の宴で雷炎が明珠の解呪の特性に興味を示した以上、雷炎を明珠に会わせることは決してできない。


 もし雷炎が強引に明珠に手を出そうとすれば、龍翔は雷炎と真っ向から戦うことも辞さぬだろう。そのような事態を引き起こさぬためにも、明珠は厳重に守らせておくに限る。


「雷炎様、こんなに早くに震雷国へ帰られてしまうなんて……。わたくし、寂しいですわ……っ!」


 晟藍国風の衣装で華やかに着飾った芙蓮が、身をくねらせるようにして、雷炎にびを含んだ視線を送る。


 夕べの祝宴でも、何とか雷炎と距離を詰めようとしてすげなくあしらわれていたというのに、この期に及んで、まだ雷炎の妻になるという野望を諦めきれぬらしい。


 芙蓮の婚約者である瀁汀が見ていたら嘆くに違いない光景だが、瀁汀は瀁汀で、藍圭を亡き者にして初華をめとろうと画策していたのだから、ある意味、似た者同士かもしれない。


 雷炎の出迎えの時には、藍圭に張り合っていた瀁淀と瀁汀の親子だが、今日は姿を見せていない。昨夜の祝宴でもおとなしいものだった。


 『花降り婚』が成就し、藍圭の王座は揺るぎないものと己の敗北を悟ったのならばよいが……。


 なぜか、龍翔は胸の奥がざわめくような嫌な予感を覚える。


「芙蓮姫のような美姫に別れを惜しんでもらえるとは、嬉しいことだ」


 雷炎の笑い声に、思考の海に陥りかけていた龍翔は我に返る。


 たくましい長身を朱を基調とした豪奢な衣装で包んだ雷炎は、曇天の下、そこだけ炎が燃え立っているかのような偉丈夫だ。


「だが、俺もこう見えてなかなか忙しい身。そろそろ国へ戻らねば、親父殿にどやされてしまうのでな」


 芙蓮の言葉を軽くいなした雷炎は、「だが……」と笑みを覗かせる。


「せっかく晟藍国まで来て結んだえにしがこれっきりで切れては寂しいことだ。今後も、固い絆で結ばれた仲でありたいものだな」


「ええっ! 誠にそうでございますわね!」


 うっとりと雷炎に見惚れた様子で芙蓮が大きく頷く。


 腹違いの姉に代わって口を開いたのは、小さな身体に国王にふさわしい立派な衣装を纏った藍圭だ


「雷炎殿下よりそのように言っていただけるとは、嬉しい限りでございます。今後も、両国の友好と繁栄が続くことを願っております」


 見事『花降り婚』を成就させたからだろうか。健やかな自身に満ちた藍圭の姿は、これからの晟藍国の明るい未来を象徴しているかのようだ。


「もちろん、俺も願っているとも」


 雷炎と藍圭が固い握手を交わす。


 夕べ、祝宴で告げていたとおり、雷炎は今後しばらくは晟藍国に手を出す気はなさそうだ。


 龍翔が心の中で安堵の息をこぼしていると、藍圭の手を放した雷炎の視線が、つい、と龍翔へ向けられた。


「晟藍国へ来てよかったと、心から思っておる。滅多に会えぬ龍華国の皇族とも、友誼ゆうぎが結べたことだしな」


 虎が牙を剥くような好戦的な表情は、どう考えても「友誼」とはほど遠い。が、龍翔はにこやかに微笑んで首肯する。


「わたしも、雷炎殿下と知己を得ることができ、誠に嬉しく思っております」


「俺もだ。龍翔殿下とは、次の機会にこそ、ゆっくりと語らいたいものだな」


「まあっ! その場にはぜひわたくしも同席させていただきたいものですわ!」


 龍翔と雷炎の間で優雅に座す自分を想像しているのか、芙蓮がはずんだ声を上げるが、雷炎が言う語らいが、決して穏やかな談笑ではないと知っている龍翔は、苦笑をこぼすしかない。


 軍旗のもと、戦場で相まみえるのか、《龍》と《炎虎》でぶつかり合うのか、はたまた剣を打ち交わすのか……。


 龍翔としては、できる限り遠い将来に小さな争乱で済むことを願うばかりだ。いや、雷炎の期待には沿えぬが、戦乱など起こらぬに越したことはないに決まっている。


 そのためにも、早く禁呪を解き、龍華国での地位を盤石ばんじゃくにしなければ。


 安理が晟都のあちらこちらを捜したものの《龍》に禁呪を仕込んだ禁呪使いの行方はようとして知れない。


 あれほど大掛かりな罠を張っておきながら失敗したのだ。いつまでも晟都でぐずぐずと留まっているとは思えない。今頃はとうに晟都を脱出しているだろう。


 だが、この身が禁呪に侵されたままだとしても、歩みを止めるつもりなどない。


 龍翔のまなざしに宿る決意に気づいたのか、雷炎が楽しげに唇を吊り上げた。


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