134 今くらい、無理しなくたっていーんだよ? その2
「ち、違うんス、龍翔サマ! これは……っ!」
泣きそうな顔を龍翔に見られたくなくて、扉が開くと同時に顔を背けていた明珠は、二人のやりとりにぐすっと鼻を鳴らしておずおずと龍翔を振り返る。
視線が合った瞬間、龍翔の秀麗な面輪が凍りついた。
「明珠っ! おいっ、本当に何があった!?」
足早に卓を回り込んで明珠に歩み寄った龍翔が、ぐいと腕を引く。
「ひゃっ!?」
あまりの勢いにたたらを踏んだ明珠は、次の瞬間、ぎゅっと龍翔に抱き寄せられていた。
「なぜ、明珠が泣きそうな顔をしている? 安理、正直に言わねばただではおかんぞ?」
安理を睨みつける龍翔のまなざしは抜き身の剣のように鋭い。
なぜ、こんなに龍翔が怒っているのかわからぬまま、明珠はあわてて口を開いた。
「な、泣いてなんかいませんっ! これはその……っ、安理さんが慰めてくれて、それでちょっと気が緩んでしまって……っ!」
ぐいぐいと龍翔を押し返しながら答えると、龍翔の腕がわずかにゆるんだ。が、ほっとする間もなく、大きな手のひらが頬を包み、秀麗な面輪が間近に迫る。
「本当か?」
「ほ、本当ですっ! 龍翔様に嘘をつくことなんてありえませんっ!」
きっぱりと告げると、ようやく龍翔の表情から強張りがほどけた。ほっ、と安堵したように深い吐息をこぼすと、ふたたび包み込むように抱きしめられる。
「ならばよいが……。お前が泣いているのではないかと思った瞬間、心配のあまり心臓が凍りつくかと思った」
心から明珠を心配してくれたのだとわかる真摯な響きに、ぎゅっと胸の奥が締めつけられる。
「す、すみません。お疲れですのに、ご心配をおかけして……。あの、でも……っ」
供をしていた季白達とは部屋に入る前に別れたようだが、室内にはまだ安理だっているのだ。いい加減、恥ずかしいので放してほしい。
と、明珠の心を読んだかのように、「いやいやいや」と安理が首を横に振る。
「龍翔サマがお帰りになられましたし、オレはもうお役目御免ってコトで失礼するんで! どーぞど-ぞ、思う存分そのまま……っ!」
「あ、安理さんっ!?」
何てことを言うのか。このままずっと抱きしめられていたら、そのうち恥ずかしさが限界を突破して気絶してしまう。
「あ、でも明珠チャンはまだ疲れが残ってるみたいなんで、そこは気をつけてあげてくださいっス~♪ とゆーワケで、オレはこれで!」
一方的に告げた安理が軽やかに一礼し、ちゃっかり酒が残っている瓶子を回収して薄く空けた扉の隙間から出ていく。
ぱたりと扉が閉まった瞬間。
「疲れが……っ!? 明珠、まだ不調が残っているのか!?」
ふたたび秀麗な面輪が間近に迫ってきて、明珠は大いにあわてた。
「だ、大丈夫ですっ! ちょっと眠いなと思うくらいで、不調なんて全然……っ! ひゃあっ!?」
突然、横抱きに抱き上げられて、すっとんきょうな声が飛び出す。
「すまぬ。わたしの配慮が足りなかった。あれほどの力を使ったのだ。少し休んだくらいで癒えるはずがなかったな。だというのに、ずっと起きてわたしを待っていてくれたとは……。先に休んでよいとちゃんと言っておくべきだったな」
苦い声で話しながら、淀みない足取りで歩んだ龍翔が、
そっと壊れものを扱うように寝台に下ろされ、明珠はあわてた。
「だ、大丈夫ですっ! 眠いことは眠いですけれど、限界ってわけじゃありませんから……っ! 食べたお皿だって、片づけないといけませんし!」
「そんなものは明日でよい」
上半身を起こそうとするが、身を乗り出した龍翔の手が肩を押さえているので起き上がれない。
「で、でも、お仕着せで寝るわけにはいきませんっ! 皺をつけたら大変ですから! 夜着に着替えませんと……っ!」
告げた瞬間、なぜか龍翔の動きが止まる。その隙に、明珠は龍翔の大きな手のひらをそっと外し、身を起こして寝台に正座した。
「どうかなさったんですか……? それにその……。龍翔の《気》は、朝までもつのでしょうか……?」
龍翔が祝宴に行く前に《気》の補充はしたものの、それなりに時間が経っている。おずおずと問いかけると、龍翔が我に返ったように目を瞬いた。
「くちづけても、よいのか?」
「も、もちろんです。そ、そのためにお仕えしているわけですし……っ」
自分から口に出したものの、改めて問われるとどきどきして顔に熱がのぼってしまう。
視線を伏せてもごもごと答えると、龍翔がふっ、と笑みをこぼす気配がした。
「感謝する。お前の心遣いが、嬉しくてたまらぬ」
大きくあたたかな手のひらが、そっと明珠の頬を包み、上を向かせる。
お仕着せの上から胸元の守り袋をぎゅっと握ると、身を屈めた龍翔の吐息がまつげを揺らした。かと思うと、優しく唇をふさがれる。
慈しむような、優しいくちづけ。
心臓がぱくぱくと跳ねて、頬を包む龍翔の手に負けないくらい顔が熱くなる。
明珠の息が苦しくなる前に面輪を離した龍翔が、からかうようにくすりと笑みをこぼした。
「お前が言うとおり、くちづけは夜着に着替える前にしておくべきだな。昨日の愛らしい夜着姿を前にしたら……。お前にその気はなくとも、惑わされそうになる」
「ふぇっ!? な、何をおしゃってるんですか!? 昨日の夜着は安理さんに着るように言われたから着ただけで……っ! 今日も着るつもりなんてありませんっ! あんな薄物……。恥ずかしくて熟睡できませんからっ!」
そんな夜着で一晩中龍翔の腕の中にいたことを思い出した瞬間、ぼんっと爆発しそうなくらい顔に熱がのぼる。
「明珠チャン……。いやあの、明珠チャンが着てた夜着なんて、オレが持ってたら問答無用で龍翔サマに叩っ斬られるからね? オレ、そんなことで命を失いたくないし……っ! 着る着ないは明珠チャンの好きにしていーから、とりあえず持ってなよ」
と、ものすごく微妙な表情で言われてしまった。確かに、安理にしてみれば女物の夜着なんて、渡されても困るだけだろう。申し訳ないことをしてしまった。
必死で言い募ると、大きな手のひらになだめるように頭を撫でられた。
「お前がそう決めたのなら、それでよい。……正直、毎日あの姿を見せられては、わたしも理性を抑えられる自信がない……」
後半の呟きは小さすぎて、何と言ったのかよく聞こえない。
小首をかしげると、あやすようにもう一度撫でられた。
「着替えるのなら、わたしも隣室で着替えてこよう。わたしを待つ必要はないゆえ、支度ができたら先に眠るとよい。よいか、食器を片づけてから、などと考えるのではないぞ。お前の身体を癒やすことが一番大切なのだ。明日の朝もまだ疲れが残っているようなら、お前が寝台から出ぬよう、張宇に命じて一日中見張らせるぞ?」
強引ながらも気遣いに満ちた言葉に、思わずくすりと笑みがこぼれる。
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えさせていただきます。でも……。龍翔様こそお疲れでしょうから、ゆっくり休んでくださいね」
敬愛する主を見上げて告げると、とろけるような笑みが降ってきた。
「ああ。お前に余計な心配をかけたくはないからな。ちゃんと休もう」
最後に頭をひと撫でした龍翔が
衝立の向こうへ姿を消した龍翔が、隣室へと移動した扉の音を聞いてから、明珠は寝台を下りると夜着に着替え始めた。
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