134 今くらい、無理しなくたっていーんだよ? その1


「安理さん、本当に大丈夫ですか? 『花降り婚』の後、禁呪使いを探して街中を駆け回ったんでしょう? お疲れなんじゃ……?」


 明珠は珍しく酒杯を傾ける対面の安理に、心配そうに問いかけた。


 卓の上に並べられたごちそうの皿は、ほとんどが空になっている。龍翔が明珠と安理のために、わざわざ今夜の祝宴と同じ料理を用意してくれたのだ。


 龍翔自身は明珠と安理に留守番を言いつけ、季白や張宇、周康とともに、『花降り婚』の成就を祝う祝宴に出かけている。


 明珠の問いかけに、ちびりちびりと残りの料理をつまみながら酒を飲んでいた安理が「うん?」と皿から視線を上げる。


「だいじょーぶだよ、これっくらい。まあ、確かに暑い中、駆けずり回ったのはちょーっと大変だったけど……。龍翔サマのいつもの無茶振りに比べたら、この程度、何ともないって!」


 にぱっといつもの軽やかな笑みを浮かべた安理が、酒杯を置いてひらひらと片手を振る。


 ふだんは滅多に酒を飲まない安理だが、「せっかく『花降り婚』も成就したんだし、今日くらいは酒で祝ってもいいよね~っ♪ きっと龍翔サマだってそのつもりで用意してくれたんだろうし♪」と、食事の初めから酒をちびちび飲んでいる。


 安理曰く、お高い銘酒なので味わって飲まなければもったいない、とのことだ。


「ですけれど……」


 明珠は酒なんて飲みたいとも思わないので、安理が嬉しそうに杯を傾ける姿を見るだけで嬉しいのだが、酒のせいか疲れのせいか、食事が進むにつれ、安理の目の光が少し鈍くなってきているような気がする。


 安理が置いた杯が空になっているのに気づいた明珠は、さっと立ち上がると、すぐさま瓶子へいしの酒を杯にそそいだ。ふわりと銘酒特有の芳醇な香りが揺蕩たゆたい、匂いだけで酔ってしまいそうな心地がする。


「お疲れだろう安理さんに、ずっとつきあっていただくのが申し訳なくて……。きっと、もうすぐ龍翔様も帰ってらっしゃると思うので、先に休んでくださっていても大丈夫ですよ?」


 杯を安理に差し出しながら伝えると、


「え~っ? オレってばそんなに疲れてるように見える? この程度で倒れるほど、やわじゃないと思ってるんだけどなぁ~?」


 と、からかうような笑みが返ってきた。


「ち、違いますっ! 安理さんがやわだなんて、そんなことは全然……っ!」


 あわててぷるぷるとかぶりを振ると、杯を受け取った安理が、にぱっと笑う。


「わかってるって~。明珠チャンはオレを心配してくれてるだけだよね~♪ っていうかさ、そんな風にオレに聞くってことは、明珠チャンのほうが疲れてるんじゃないの?」


「え……っ!?」


 安理の言葉に、心の中を見透かされたような気がして息を呑む。


 確かに、おなかいっぱいになった身体は、次は睡眠を欲して眠気が満ちてきている。だが『花降り婚』で気を失って眠ったばかりか、目覚めてからも龍翔達の見舞いがあった後、さらに寝たのだ。


 龍翔だけでなく、季白達だって『花降り婚』の後、休む間もなく働き続けている。それなのに、明珠だけが先に休むなんて……。


 明珠が起きて待っていても役に立てることはないとはいえ、申し訳なさすぎる。


「だって明珠チャン、さっきあくびを噛み殺してたじゃん♪」


 指摘に思わず両手で口を押さえると、安理がぷっと吹き出した。


「もーっ! 明珠チャンってば、ほんと隠し事が下手だよね~♪ そこもかわいートコのひとつなんだケド♪」


 からかうように笑った安理が、身を乗り出し、よしよしと明珠の頭を撫でてくれる。


「『花降り婚』であんなに頑張ったんだもん。疲れてて当然だって! オレに遠慮なんてしなくていーから、ほんと先に寝てくれてもいーんだよ? 龍翔サマが帰ってくるまで、明珠のことはちゃーんと守るからさ♪」


「で、ですけど……」


 いつもの安理と違って、頭を撫でてくれる手は驚くほど優しい。気遣いに満ちた言葉に反射的にこくんと頷きそうになる。


 ためらっていると、安理の顔を覗き込まれた。


「ん? どうしたの? オレじゃ安心できない? それとも、『花降り婚』でのことが気にかかって気が休まらない、とか? ……《龍》の前に身を投げ出して龍翔サマを庇うなんて、ほんとに頑張ったよね~。怖かっただろうに、偉かったね」


「安理さん……っ」


 いたわりに満ちた心をすくい上げるような声音に、心を奮い立たせていた壁が崩れそうになる。声が潤み、じわりと涙がにじみかけ、明珠はあわてて唇を噛みしめた。


「いーんだよ。今くらい、無理しなくたって」


 珍しく困ったように笑いながらも、身を乗り出して頭を撫でる安理の手は止まらない。と。


「……あ」

 安理が身を強張らせたのと、扉が開いたのが同時だった。


「明順、安理。いま戻――」


 部屋へ足を踏み入れた龍翔の声が途切れる。かと思うと、


「――安理。これはいったい、どういうことだ?」


 地の底を這うように低い声が、安理を問いただす。ぱっ、と弾かれたように明珠の頭から手を離した安理が、あわてた様子で龍翔を振り返った。


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