133 龍と虎と蛟の睨み合い その3


「それでこそ、大国、龍華国の第二皇子だ! この俺を前にして、引くどころか挑みかかろうとするその気概きがい、気に入った!」


 酒杯の残りの酒をあおった雷炎が、満足そうな息を吐く。


「やはり、晟藍国へ来たことは、間違いではなかったな。これほど心躍る相手に出会うことができるとは!」


 笑みを覗かせた雷炎が、龍翔に右手を差し出す。


「国へのよい土産話ができた。長らく勝手をするわけにはいかぬゆえ、俺は明日には晟藍国を発つが……。また相見あいまみえる日を楽しみにしている」


「……わたしも、雷炎殿下と友誼ゆうぎを結ぶことが叶い、光栄でございます」


 差し出された雷炎の手を握り返した瞬間、ぎゅっと握り潰さんばかりに雷炎の手に力がこもった。が、龍翔も負けじと力を込める。


 次に雷炎と会う時、果たして龍華国と震雷国の関係はどうなっているのか。


 未来を見通すことのできぬ人の身では、それが龍華国と震雷国の全面戦争の場でないことを祈るばかりだ。


 大陸の覇を二分する龍華国と震雷国との間に戦乱が巻き起これば、どれほど多くの民の安寧が脅かされることだろう。そんな事態は決して許せない。


 そもそも今の龍華国には、震雷国と正面切って事を構えられるほどの国力はない。


 噂でしか聞いたことのなかった第二皇子の雷炎の人となりを直接知ることができたのは、不幸中の幸いだ。


 雷炎の野心を隠そうともしない好戦的な性格を知れば、龍華国の高官達の中にも、少しは龍翔の言葉に耳を傾けてくれる者が出るかもしれない。


「やはり、心躍る御仁だな、龍翔殿下は」


 楽しげにわらった雷炎が龍翔の手を放し、くるりと背を向ける。


「では俺は、藍圭陛下と初華王妃に挨拶をしてそろそろ失礼することにしよう」


 悠然を歩み去る雷炎の後ろ姿を龍翔は玲泉とともに黙して見送る。


 藍圭と初華の元へ歩み寄った雷炎が、二人となごやかに歓談し始めたのを見届けてから。


「何と申しますか……。戦意を隠そうともなされない御方ですね。あそこまで好戦的とは……。雷炎殿下の興味を龍翔殿下が引きつけてくださって助かりました」


 玲泉がお世辞ではなく本心から安堵している様子で吐息する。


「何を言う? おぬしならば、わたしよりも器用に雷炎殿下の興味を逸らせたのではないか?」


 告げると、玲泉が「とんでもないことです」とかぶりを振る。


「わたしでは、とてもとても……。雷炎殿下はからめ手が効くような御方ではございませんでしょう? わたしではどう足掻あがこうと《炎虎》に勝つことはできませんから」


 玲泉は恐縮しきった様子で告げるが、内心では龍翔と雷炎の共倒れを願っているとも限らない。少なくとも、龍翔の力が削がれることは願っているだろう。そうすれば、労せず明珠を手に入れられる。


「だが……。このまま、震雷国が龍華国を狙うのを、何の手立てもせずに放っておくわけにはいかぬな」


 龍翔の言葉に、玲泉の顔が即座に引き締まる。


「左様でごさいますね。雷炎殿下は第二皇子ゆえ、雷炎殿下のお考えがどこまで政策に反映されるかはわかりかねますが……。震雷国が昔より、龍華国を目の上のたんこぶと捉えているのは確か。さらには、現国王陛下は領土の拡張に積極的です。決して油断していい相手ではございません」


 淡々と口調で告げる玲泉の表情は、沈着冷静な高官の顔だ。


「……玲泉。おぬしは、今の龍華国の状況で、震雷国の攻勢に抗しきれると思うか?」


 単刀直入に問いかけると、玲泉の形良い眉がわずかに寄った。


「龍翔殿下ならば、わたしが何と答えるか、ご存じでしょう?」


 玲泉の返答に、思わず口元が緩む。


「おぬしとわたしの考えが一致していると言うのなら、それは喜ばしいことだ。高官達は目の前の富と過去の幻影しか見ておらぬ。龍華国の現状を正しく把握している者はまれだからな。大臣の息子であり蛟家こうけの跡取りであるおぬしが、龍華国の未来を憂い、何とか変えなくてはと考えているのならば、心強いことこの上ない」


「……まったく、龍翔殿下は……」


 真摯に告げたというのに、なぜか玲泉から返ってきたのは呆れたような吐息だった。


「ご自身のお立場を、本当にわかってらっしゃいますか? 第一皇子派、第三皇子派、どちらからもうとまれてらっしゃる上に、わたしとは敵なのですよ?」


「だが、だからと言って、龍華国の未来のために何もせぬわけにはいくまい? 座して死を待つくらいなら、たとえ泥水をすすろうとも、足掻くほうが何千倍もましだ」


 きっぱりと迷いなく断言した龍翔は、玲泉を見やり笑ってみせる。


「それに、敵だからと言って、まったく手を結べぬというわけではあるまい?」


「さらに強大な敵に立ち向かうためには、利害の一致する者で一時的に手を組むことは、いくらでもございますからね」


 玲泉が諦めたように吐息する。次いで龍翔に向けたまなざしには、強い光が宿っていた。


「わたしも蛟家の嫡男。震雷国に龍華国をいいようにさせる気など、欠片もございません。そのために必要な手立てを講じるためならば、たとえ敵であれど、龍翔殿下にご協力いたしましょう」


「ありがたい。おぬしが味方となってくれれば、千人力だ」


 お世辞などではなく、心から真摯に告げる。


 敵となれば厄介この上ないが、有能な玲泉は味方になればこれほど心強いことはない。宮中で遊び人と評されている噂とは裏腹に、玲泉が心の底では龍華国の未来を真剣に考えていることは、差し添え人としてともに過ごすうちに気づいていた。


「当然のことをおっしゃっても、何も出てまいりませんよ?」


 玲泉が不敵な笑みを覗かせる。


「晟藍国から龍華国への帰途の船旅では、たっぷりと時間があるでしょうからね。互いに意見を交換し、策を練ろうではありませんか」


「ああ、望むところだ」


 即答した龍翔に、玲泉がからかうような笑みを浮かべる。


「話し合いの場には、愛らしい明順を、ぜひとも同席させていただきたいですね。愛らしいものを目の前にすれば、さらにやる気が出るでしょうから」


戯言たわごとを申すな。そのようなこと、許すわけがないだろう!」


 見直したと思った瞬間、とんでもないこと告げる玲泉に、思わずきつく眉が寄る。が、玲泉は気後れした様子もなく、婉然えんぜんと微笑んでみせた。


「それは残念極まりないですね。ですが、龍華国までの旅路は長いですからね。機会はいくらでもあることでしょう」


 にこやかに告げる玲泉に、龍翔は己の眉がますますきつく寄るのを感じずにはいられなかった。


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