132 まだ、何かを隠してらっしゃいますのね? その3


 龍翔の不安を吹き払うかのように、初華が勢いよく頷く。


「もちろんですわっ! だってわたくしの自慢のとっても素敵なお兄様ですもの! お兄様に憧れぬ女人はいませんわ!」


 自信に満ちた断言に、思わず笑みがこぼれる。


「初華。そう言ってくれるお前の気持ちはありがたいが……。他の女人にどれだけ想いを寄せられようと、意味がないのだ。わたしが想いを向けられたいと願うのは、ただひとり、明珠だけだ」


「まあ……っ!」


 目をみはった初華の頬が薄紅色に染まる。


「お兄様にそれほどまで想われるなんて……っ! 明珠が羨ましくなってしまいますわ」


「何を言う。お前には藍圭陛下がいらっしゃるではないか」


「ええ。もちろん兄様のおっしゃるとおりですわ。わたくし、藍圭様をもっともっと幸せにしてさしあげたいんですの!」


 きっぱりと言い切る初華の清々すがすがしさに、龍翔の心にまで爽やかな風が吹く心地がする。


「ですから、わたくしが心おきなく藍圭様と幸せになるためにも、お兄様もわたくしに負けないくらいお幸せになっていただかなくては困ります! 皇位につかれるだけではなく……。お兄様自身の幸せも求めていただきたいのです!」


 自分にかこつけながらも、明らかに龍翔を思いやる真摯な願いがこもった言葉に、胸をつかれる。


「お兄様はもう少しご自分に甘くなってもよろしいと思います! 自分が幸せではないのに、どうして他の者の幸せを願うことができましょう? そんな無理は、遠からず破綻はたんするに決まっていますわ!」


 晟都について間もない頃にも、初華に同じようなことを言われた。


「わたしが、自身の幸せを求めてもよいと……。お前は、そう言うのか?」


「もちろんですわ! だって」


 初華が龍翔の手をぎゅっと握りしめる。


「お兄様は、もし、わたくしや明珠がつらい境遇にいたら、気に病まれますでしょう?」


「もちろんだ。お前や明珠には、なんとしても幸せになってほしいと、心から願っている。そのためならば、わたしにできることは何でもしよう」


 間髪入れずに即答すると、初華の面輪にあでやかな笑みが浮かんだ。


「わたくしと明珠も同じですわ。大切な方だからこそ、お兄様に幸せになっていただきたいのです」


 あたたかな思いにあふれた言葉に、龍翔の胸まで熱が宿る心地がする。


 もし、龍翔も己の幸せを求めてよいのなら、その鍵を握るのは、明珠以外にありえない。しかし――。


「初華。お前の気持ちはこの上なく嬉しい。それほどまでにわたしの幸せを願ってくれているとは、わたしほど果報者の兄もおるまい。だが明珠は――」


「そこで明珠はお兄様を大切に想っているかどうかわからない、なんておっしゃったら、明珠の代わりにわたくしが怒りますわよ!? 大切に想わぬ者のために、《龍》の前に身を投げ出す者がいるとお思いですか!?」


「っ!?」


 告げられた瞬間、反射的に脳裏に思い出したのは《晶盾族》の村へ行く途中、賊の襲撃に遭った際に怯え震えていた明珠の姿だ。


 龍翔にとってはまったく脅威ではない襲撃にさえ、あれほど怯えていた明珠のことだ。今日の『花降り婚』の襲撃はどれほど恐ろしかったことだろう。


 だというのに、その恐怖をおして、《龍》の前に飛び出してくれたというのか。



 ――ただ、龍翔を守るために。



「お兄様っ!?」


 突然、片手で顔を覆ってそっぽを向いた龍翔に、初華が驚きの声を上げる。


「急にどうなさいましたの!?」


「いや、その……」


 いったいなんと言えばいいのか。

 押さえた顔が熱いのが、手のひらから伝わってくる。


「感情に翻弄されて、うまく言葉が出てこぬ……。大切な明珠を危険な目に遭わせた己のことが叩き斬ってやりたいほど腹立たしいと同時に、わたしを助けようとしてくれた明珠の想いが、嬉しくて仕方がない……っ!」


 胸の奥が熱くしびれるようなこの感情を何と呼ぶのか、わからない。


 ただ、明珠が愛しくて……。いますぐ部屋に戻って抱きしめたくてたまらない。


「お兄様……」


 呆れたような感嘆したような、どちらともつかぬ声で呟いた初華が、そっと龍翔の肩にふれる。


「明珠は純真すぎますから……。きっとまだ己の心の形を見定められていないのですわ。ですが、きっと遠くない未来、お兄様の想いに気づくに違いありません。そして、自分自身の気持ちにも……。その時、明珠の瞳に映るのはお兄様に違いないと、わたくし、確信しておりますわ」


 なだめるように龍翔の肩を撫でながら、初華が確信に満ちた声で告げる。


「ですから、そのように不安にならないでくださいませ。ただ、しかるべき時が来ていないだけで、明珠の心はきっと、奥底ではお兄様のほうを向いているに違いありませんわ」


「初華……」


 初華の言に素直に頷いていいものかどうか、龍翔には判断がつかない。誰かに恋をしたことなんて、明珠が初めてなのだ。


 と、初華が悪戯っぽい笑みを閃かせる。


「ですが、お兄様と明珠はある意味、似た者同士ですわね。お兄様も明珠への想いを自覚したのは、恋敵の玲泉様が現れてからなのでしょう?」


「確かに、それはそうだが……」


 龍翔自身は、自分には恋をしている余裕などないと思っていた。政敵に命を狙われ続け、脆弱な己の地歩を固め、皇位への道を進まねばならぬ自分には、甘やかな感情に身をひたす余裕などないのだと。


 ……明珠も、同じなのだろか。


 十二歳で母を亡くし、困窮する中、大切な弟を必死で育ててきた明珠も、恋なんかにかまけている余裕などなかったのかもしれない。


 あれほど愛らしいというのに、男女の機微はおろか、赤子のつくり方さえ知らぬのも、きっとそのせいなのだろう。


 明珠に、気づいてほしい。


 どれほど龍翔が彼女に恋焦がれているのか。


 だが、同時に天真爛漫な少女の心を自分の都合で無理やり変えたくなくて。


「感謝する、初華。お前のおかげで初心を思い出せた。いつか、明珠の心がわたしを向いてくれるというのなら……。お前の言葉を励みに、大切な蕾が花ひらく日を待とう」


 決して玲泉などに手折らせることなく、大切に守り抜いてみせる。


 肩を撫でる初華の手を握り返し、龍翔は力強い声で誓った。


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