132 まだ、何かを隠してらっしゃいますのね? その2


「もちろんだ。もう、おぬしに隠し事をしたりはせぬ」


 少しでも初華の心配を和らげようと微笑み、初華の繊手せんしゅに己の手を重ねる。


「すべて正直に話すゆえ、落ち着いて聞いてくれ。先ほど、《龍》に禁呪が仕込まれたと話したな? だが、本当のところは――」


 初華が必要以上に心配せぬよう、言葉を選びながら龍翔はこれまで自分の身に起こったことを簡潔に話していく。


 そもそもの始まりは、乾晶での反乱鎮圧に向かうため、王都を出ていくばくも進まぬうちに、禁呪使いに襲われたこと。


 禁呪に抵抗しようとした結果、命は長らえたものの、術も使えぬ童子の姿になってしまったこと。禁呪を解く方法を見つけるため、蚕遼淵さんりょうえんと取引し、蚕家の離邸に滞在することになったこと。


 だが、禁呪を解く方法はまったく見つからず、途方に暮れていたところに彗星すいせいのように現れたのが、解呪の特性を持つ明珠であること――。


 砂郭とこの『花降り婚』で襲ってきた術師も同じ禁呪使いだと告げ、ようやく説明を終えると、龍翔の手を掴んでいた初華の指先にぐっと力がこもった。


「では……っ! お兄様はいまも禁呪に苦しんでらっしゃるということですのね!?」


「大丈夫だ。そこまで深刻ではない。《龍》に仕掛けられていた禁呪と異なり、わたし自身にかけられた禁呪は毒のようなものではない。もしそうなら、とっくに冥府へと旅立っていただろうからな」


「そんな恐ろしいことをおっしゃらないでくださいまし!」


 不安を払うために言ったつもりが、逆に初華に叱られてしまう。


「お兄様がそのような目に遭ってらっしゃったなんて……っ! 知らずに王都で安穏としていた己が情けないですわ! 知っていましたら、わたくしでも解呪の方法がないか調べましたのに……っ!」


 悔しげに呟き、紅をぬった唇を噛みしめた妹の頭を、龍翔は掴まれていないほうの手で優しく撫でる。


「そう自分を責めてくれるな。わたしが話したのは、お前に自分を責めてほしいからではない。お前に伝えたくとも、このような話を手紙で伝えるわけにはいかなかっただろう? 伝えるなら、こうして顔を合わせて話したかったのだ」


「それは、おっしゃるとおりですけれども……」


 不承不承といった様子で頷いた初華が、すぐに鋭いまなざしで龍翔を見上げる。


「お兄様が童子の姿になってしまうなんて……っ! 本当に禁呪は解けそうにありませんの!? 何か少しでも緩和する方法は……っ!?」


「遼淵も協力を申し出てくれてはいるが、いまのところこれといって有効な手段は見つかっておらん。禁呪使いを捕らえることができれば、どのような外法げほうなのかわかるだろうが、決して前に出てこぬゆえ、捕らえたくとも捕らえられぬのだ。唯一、希望があるとすれば、いっときとはいえ、禁呪を弱めることができる明珠の存在だが……」


 明珠、と名を紡ぐ声が無意識に甘くなるのを自覚する。


「くちづけで《気》のやりとりをするだけで一時的に禁呪を解けるのならば、さらに多くの《気》を交わせば、禁呪に変化があるだろうことは予想がつく。だが――」


 龍翔の眼裏まなうらに浮かぶのは、天真爛漫てんしんらんまんな笑みを浮かべる明珠の姿だ。


 信頼と尊敬に満ちた無垢なまなざしを思い描くだけで、心があたたかなもので満たされる。


 大切で愛おしい、誰よりも幸せにしたい少女。


「わたしの都合だけで、明珠に無理をいたくない。大切に、したいのだ……」


「お兄様……」


 龍翔の言葉に、初華が驚いたように目をみはる。かと思うと、愛らしい面輪が柔らかな笑みを浮かべた。


「本当に、明珠を大切に想ってらっしゃいますのね」


 しみじみとした声音で言われ、頬がうっすらと熱をもつ。だが、身体は無意識に首肯していた。


「ああ。誰にも渡したくない、たった一輪の大切な花だ。いつか、美しく花ひらくまで小さなつぼみを大切に見守ってやりたい」


「自分の想いよりも、明珠の気持ちを第一に思われるのはとても、お兄様らしいですけれども……」


 感心したような声で呟いた初華が、困ったように形良い眉を寄せる。


「こと、恋愛方面については、明珠はかなりの難敵でしてよ? わたくしは明珠とのつきあいは短いですけれど……。それでも、確信をもって断言できますわ!」


 龍翔とつないでいないほうの拳を握りしめて言い切った初華に、思わず苦笑を洩らす。


「そうだな。まったく、お前の言うとおりだ。あの初々しさも明珠の魅力のひとつではあるが……。あれほど愛らしいというのに、まったくそれを自覚していないというのは、危なっかしくて仕方がない」


 くちづけるたび、抱き寄せたい気持ちを龍翔がどれほど理性を振り絞ってこらえているのか。


 たおやかな身体をかき抱き、愛らしい声もかすかな吐息をもっと味わいたいという衝動に、必死であらがっていることなど……。


 きっと明珠は、まったく気づいていないに違いない。


 だが、それでよい。明珠が龍翔に向けてくれる純粋な信頼を裏切るくらいなら、自分の首をかき斬ったほうがましだ。


「あら? いったい明珠と何があったのか、すこぶる気になりますわ」


 初華が悪戯っぽい笑みを浮かべて龍翔を覗き込む。


「……何かあったのなら、玲泉の挑発にここまで心揺らされまい」


 溜息まじりに答えると、「確かに、そうかもしれませんわね」と初華が頷いた。


「本当に、玲泉様にはお気をつけくださいまし。隙を見て、純粋な明珠を毒牙にかけるのではないかと……。わたくし、心配でたまりませんわ」


「決して、そんなことはさせぬ。万が一にもそんなことが起これば、その時が彼奴あやつの最期だ」


 反射的に拳を握りしめそうになり、初華の手を握りつぶすわけにはいかないと、あわててほどく。


「ですが……」

 初華が悩ましげに眉を寄せる。


「お兄様のお心映えは素晴らしいですが、玲泉様という油断ならない強敵も現れたいま、明珠ひとりに任せていたら、いったいいつお兄様の気持ちが伝わるか、わかったものではありませんわ。明珠だって、きっとお兄様を憎からず想っているに違いありませんもの!」


「そう、だろうか……?」


 思わず、情けない声がこぼれ出る。


 嫌われていないとは、思う。異性として、多少は意識されているだろうとも。


 だが……。明珠が龍翔に恋心をいだいているのかと問われれば、情けないがまったく全然、自信がない。


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