132 まだ、何かを隠してらっしゃいますのね? その1


 玲泉達とともに部屋から出た龍翔は、そのまま初華の部屋に招かれた。


 玲泉は自分の私室へと戻り、張宇は龍翔の私室の前に警護として残ったため、初華の私室へ入ったのは龍翔と季白、萄芭だけだ。


 萄芭が扉を閉めた瞬間、先頭を歩んでいた初華がぴたりと足を止め、勢いよく龍翔を振り返る。


「お兄様っ! 先ほどは玲泉様がいらっしゃったため我慢しましたけれど……。わたくし、怒っているんですのよ!」


 ずいっと一歩踏み出した初華が、頭ひとつ高い龍翔を睨み上げる。


「乾晶で禁呪使いに襲われたことをわたくしにまで黙っているなんて! ひどいですわ! わたくしを信用してくださっていませんの!?」


 黒曜石の瞳に怒りの炎を燃やし、厳しい声で兄を糾弾する初華に、龍翔は素直に頭を下げた。


「すまぬ。言い訳のしようもない。お前には、ひどく心配をかけてしまったな。しかも、『花降り婚』の舞台であのような醜態しゅうたいさらすとは……。どれほど責められても当然だ」


「もうっ! わたくしが言いたいのはそういうことではございませんっ! 舞台で膝をついたお兄様を見た時、どれほどご心配申し上げたか……っ!」


 不意に初華の声が潤む。同時に、つぶらな瞳に涙の粒が盛り上がり、龍翔は反射的に手を伸ばした。


「すまん……。わたしは不調のあまり倒れてしまったが、お前が藍圭陛下を助け無事に『花降り婚』を成就させてくれたのを見て、どれほど安心したことか……。よく、頑張ったな」


 龍翔の指先を逃れ、涙を隠すかのようにぷいっとそっぽを向いた初華の頭を、幼い頃のようによしよしと撫でる。途端、初華がぐすっと鼻を鳴らした。


「もうっ、お兄様たら……っ!」


 不意に振り向いた初華が、ぎゅっと龍翔に抱きつく。すがりついてきた身体を龍翔はとっさに抱きしめた。


「本当にほんとうに心配しましたのよっ! ですのに、そんな風に言われたら、これ以上怒れないではありませんの!」


「すまぬ……」


 初華の非難に謝罪以外の返す言葉を持たず、龍翔は真摯に謝罪を紡ぎ、絹の衣に包まれた細い背を撫でる。


 確か、以前にもこんなことがあった。何年も昔、龍翔が暗殺者に狙われて怪我を負った時に……。


 あの時も初華は龍翔にしがみつき、泣きながら怒っていた。


「……わたくしだって、わかっていますのよ」


 どのくらい、龍翔にしがみついていただろうか。それほど長い時間ではあるまい。


 ゆっくりと身を離した初華が、うつむいたまま手巾で目元をぬぐいながら、ぽつりと呟く。


「お兄様がわたくしにお教えくださらなかった理由は、晟藍国に嫁ぎ、龍華国を遠く離れるわたくしに、余計な心配をさせぬためだと。ですけれどっ!」


 うっすらと赤い目元の初華が、ふたたび、きっ! と龍翔を見上げる。


「勝手にわたくしを見くびらないでくださいませ! わたくしだってお兄様の腹違いの妹であり、龍華国の皇女ですわ! 生半可なことで傷ついたりいたしません! むしろ、こんな風に隠されるほうがつらいですわ!」


「っ!」


 心から龍翔を想って紡がれた言葉に、思わず息を吞む。


 蚊帳かやの外は嫌だと……。自分にもちゃんと事情を教えてほしいと訴えるさまが、蚕家で泣きながら龍翔に求めた明珠の姿と重なって。


 兄の動揺にさとい初華は何かを感じ取ったらしい。黒曜石の瞳が剣呑な光を宿して細くなる。


「――まだ、わたくしに何かを隠してらっしゃいますのね?」


 見抜かれてしまっては、もう初華相手にごまかしは効かない。

 龍翔は小さく吐息して後ろに控える季白を振り返る。


「季白。よいな?」


「龍翔様のご決断にわたしが口を挟むなど、おそれ多いことでございます」


 龍翔の意図を察した季白が恭しく一礼する。


「わたしが決めたことであっても、意に沿わぬと思えば遠慮なく意見するくせに、何を言う」


 季白の言に思わず苦笑が洩れる。


「が、わたしに遠慮して諫言かんげんすらできぬよりはよほどましだ。季白。初華と二人で話したい。お前も夜の祝宴の準備があるだろう。先に少し休んでおくといい」


「お心遣いありがとうございます。が、休んでいる暇などございません。それに、準備というのでしたら、龍翔様はまず上衣をお脱ぎください。汚れを落とせないか確認してまいります」


 季白がずいと手を差し出す。


「お兄様。わたくしには遠慮は不要ですわ。萄芭、何か代わりの着物を用意して」


「では、わたしの着物で恐縮ですが、持ってまいりましょう」


 季白と萄芭があわただしく動き出す。


 血で汚れた上衣を着替えると、ようやく人心地つけた。季白と萄芭が部屋を出て行き、二人きりとなった龍翔は初華を促して部屋の隅にある長椅子に並んで腰かける。


「さあっ、お兄様! もう隠し事はなしですわよ!? どんなことであろうと、受けとめる覚悟はできております! 正直にお話しくださいませ!」


 座るなり、龍翔の手を掴み、初華がずいと身を乗り出してきた。


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