131 お前にどれほど感謝すればよいのか その8


「り、龍翔様だけではなく玲泉様まで……っ! お二人ともこの超絶鈍感娘のどこがよいというのですっ!? わたしにはまったくこれっぽっちも理解できませんっ!」


 いつも冷静沈着な季白が、珍しくひび割れた声を上げる。


「玲泉様っ! いまなら引き返せますよ!? 玲泉様が明珠にふれても平気な理由は、おそらく明珠の解呪の特性が関係しているに違いありませんっ! 蛟家の力をもってすれば、解呪の特性を持つ女人を探すことも可能でしょう!? 何も、よりによってこんな小娘を欲することなど――」


「間違えないでほしいね」


 静かながら鋭い玲泉の声が、ぴしゃりと季白の唇を縫いとめる。


「わたしは解呪の特性を持つ女人が欲しいわけじゃない。欲しいんだよ。そこを勘違いされては困るね」


「れ、玲泉様がそこまで……っ!?」


 きっぱりと断言した玲泉に、季白が愕然がくぜんと目をむく。


「いっそのこと、これが夢であればどれほどよかったか……っ! 龍華国の未来はわたしが思う以上に暗いやもしれません……っ!」


 わなわなと全身を震わせて季白が嘆く。張宇が嘆息して季白をなだめた。


「おい季白……。口を慎め。誰にとっても失礼極まりないぞ、それは」


「あら、何を言うの、季白? わたくしは明るい未来しか見えなくてよ?」


 呆れ混じりの張宇とは対照的に、初華がころころと明るい声で笑う。


「近い未来、龍華国にいったいどんな新風か吹くのか、楽しみ極まりないではないの!」


「新風を吹かせるのは晟藍国の初華姫様だけで十分でございますっ! 小娘の場合、吹かせるのは新風ではなく胃痛の嵐ですっ! ああっ! もうすでに胃がねじ切れそうです……っ!」


「ええぇぇぇっ!? き、季白さんっ、大丈夫ですか!? な、何かお薬とか……っ!?」


 おろおろと声を上げると、ぎんっ! と刺すような目で季白に睨まれた。


「黙らっしゃいっ! いったい誰のせいだと……っ!」


「明珠のせいではない。どう考えても、余計な混乱を巻き起こす玲泉のせいだろう?」


 ひぃぃっ、と明珠が悲鳴を上げるより早く、龍翔が庇ってくれる。糾弾された玲泉が優雅な笑みを閃かせた。


「何をおっしゃいます? これほどそばにいながら意識すらされておらぬ龍翔殿下こそ、いい加減、望み薄だと自覚して身を引かれるべきではございませんか?」


「それを言うなら、身を引くべきはおぬしのほうだろう? 明珠の負担になっていると気づかぬとは、ほとほとおめでたい頭だな」


「そのお言葉、そっくりそのままお返しいたしましょう」


 龍翔と玲泉がふたたび睨み合う。


「あ、あの……っ!? あのあのあの……っ!?」


 さっきも話についていけなかったが、いまはそれ以上だ。


 おろおろと龍翔と玲泉の間でせわしなく視線を行き来させていると、龍翔の逆隣から初華の嘆息が聞こえてきた。


「お兄様も玲泉様も、いい加減になさいませ。張り合うのはお二人の勝手ですが、それで明珠に負担をかけては、本末転倒でございましょう? お忘れかもしれませんが、明珠は大怪我をしたばかりですのよ? 争うのでしたら、明珠のいないところでやりあってくださいませ!」


 きっ! と目を吊り上げた初華が厳しい声で龍翔と玲泉に注意する。


「す、すまぬ……。おぬしの言うとおりだ」


「初華姫様のおっしゃるとおりでございますね。大変申し訳ございませんでした。明珠、きみにもすまなかったね」


「ふぇっ!?」


 甘く微笑んだ玲泉に詫びられ、すっとんきょうな声が出る。


「な、何をおっしゃるんですか!? 玲泉様や龍翔様にお詫びいただくことなんて、全然……っ!」


 ぷるぷるとかぶりを振ると、玲泉の笑みが深くなる。


「詫びといっては何だが、早くきみがよくなるように、何かおいしいものを差し入れしよう。いったい何がきみの好みかな? ぜひとも教えてほしいね」


「おぬしからの差し入れなど不要だ。明珠の面倒はわたしが見る。おぬしの手をわずらわせることはせん」


 明珠が答えるより早く、龍翔が叩き斬るように答える。玲泉の目が揶揄やゆするように細くなった。


「確かに龍翔殿下は明珠につきっきりだったようですね。いまだ、『花降り婚』の衣装のままだとは……。血に汚れた衣装のままでは、明珠の心労はいや増すばかりでしょう? もう少し気を遣われたほうがよろしいのでは? というか……。まさか、明珠の着替えにまでつきあったのではございませんよね?」


「そのようなことをするわけがなかろう!」


「す、すみませんっ! こんな高価な衣装を汚してしまうなんて……っ!」


 龍翔の怒声と明珠の謝罪が重なる。


 初華が繊手せんしゅで額を押さえてふたたび嘆息した。


「……お二人とも、わたくしの言葉を聞いてらっしゃいました? いい加減になさいませんと、張宇と萄芭に力づくで追い出させますわよ?」


 圧を増した初華の声音に、龍翔と玲泉が気まずげに押し黙る。


「そうだな、初華の言うとおりだ。玲泉、ひとまず休戦とせぬか? このままでは明珠を休ませてやれぬ。話すべきことは伝えた。いったんお開きとしよう」


「仕方がありませんね。明珠に何かあれば悔やんでも悔やみきれませんから。休戦を受け入れましょう」


 ふぅ、と吐息した玲泉が立ち上がる。玲泉に合わせて両脇の季白と張宇も立ち上がった。


 ずっと明珠の手を握っていた龍翔も、ようやく手を放して立ち上がる。


「明珠。ゆっくりと休むんだよ。元気になったら、明日にはまたきみの愛らしい姿を見せておくれ」


「よいか、明珠。張宇を扉の前に控えさせておくゆえ、何かあればすぐに声をかけるといい。いまは身体を癒すのが第一だ。何も心配はいらぬゆえ、ゆっくり休むのだぞ?」


 玲泉がにこやかに微笑んで明珠に告げれば、負けじとばかりに龍翔が優しく明珠の頭を撫でる。


「さあ! 参りますわよ、お二人とも!」


 初華が鋭く声を上げ、率先して歩き出す。龍翔と玲泉も初華につられるように後に続いた。


 最後に部屋を出た張宇が、ぱたりと扉を閉める。途端、しんと静寂が広い部屋を埋めた。


 華やかな龍翔達が全員出て行ったせいだろう。一気に室内が色を失ったように思える。


 ふぅ、と明珠は無意識に大きな息をつく。いろいろと緊張が続いたせいで、どっと疲れた。


 頭の中が混乱していてまったく整理できていないが、すぐに状況を理解できる気がしない。


「龍翔様達もゆっくり休むといいと言ってくださったし……」


 明珠はのろのろと自分の寝台がある衝立の向こうへと移動する。さすがに、もう一度龍翔の寝台で眠る気にはなれない。あまりに不敬すぎる。


 夜着の上に着ていたお仕着せを脱いで畳み、明珠は掛布団をめくりあげると、のそのそと寝台にもぐりこんだ。


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