131 お前にどれほど感謝すればよいのか その6


「《龍》を喚ぶことは滅多にない。おそらく、そこを突かれたのだ。禁呪を《龍》に仕込み、時間をっけて少しずつ育て……。わたしが『花降り婚』の差し添え人に選ばれたのは、禁呪使いにとっては僥倖ぎょうこうだっただろうな。『花降り婚』では必ず《龍》を召喚せねばならぬ。その時にわたしを確実に殺そうと考えていたに違いない」


 龍翔の言葉に玲泉が端麗な面輪をしかめて問いを紡ぐ。


「では、舞台に乱入した刺客は、龍翔様を狙う刺客とはまた別人と考えてよいのですね? 確かに、あの刺客は龍翔様より藍圭陛下を標的と定めていたようでしたが……」


「ああ。彼奴あやつは別の刺客だ。浬角殿の話では、離城で前国王ご夫妻をしいした者が彼奴らしい。生け捕りにできていれば、背後関係を探れただろうが……」


「あの状況では、安理の判断が的確だったでしょう。捕らえるだけでは、完全に無力化せぬ限り、安心して式を続けることがかないませんでしたから。あの様子では、もし捕らえていたとしても口を割る前に自害していたに違いありません」


「そうだな。おぬしが言うとおり、あの場ではあれが最善だった」

 玲泉の言に龍翔も同意する。


「ともあれ、あの刺客がわたしを狙う禁呪使いでないことは明らかだ。禁呪使いは、砂郭で左腕を失っているからな。片腕がない者は目立つ。少しでも情報が入らぬかと、安理には休む間もなく街へ出てもらっているが……」


「『花降り婚』のこの人手では、大海の中から砂粒を見つけるようなものでしょうね」


 龍翔のあとを引き取るように玲泉が嘆息する。


「しかし、《龍》に正気を失わせるほどの禁呪が存在するとは……。この目で見たからには信じぬわけにはいきませんが、どれほどの腕前を持っているのか……。考えるだに恐ろしいことです。皇族の方々の中でも強い《龍》の力をお持ちの龍翔殿下ですら、あのようになられたのですから……。もし他の方々が狙われたら、さらに危険な目に陥られることでしょう」


「……確かに。第一皇子派、第三皇子派、どちらが禁呪使いの雇い主かはわからんが、わたしという共通の敵がいなくなれば、己が唯一の皇子となるために、もう片方に牙をく可能性は、大いにありうるな」


 半分とはいえ、血を分けた兄弟で争うなんて……。父親違いの弟である順雪を心から大切に思っている明珠には、龍翔達が話す内容が理解できない。


 龍華国の皇帝の座というのは、そこまでしても得たいものなのだろうか。


「龍翔様の突然のご不調についてはひとまず理解いたしました」


 玲泉の言葉に、呆然としていた明珠ははっと我に返る。玲泉が刺すように鋭い視線で龍翔を見つめていた。


「ですが、もうひとつ確認したいことがございます」


 玲泉の声音は抜き身の刃のようだ。


「正気を失った《龍》を元に戻したばかりか、何十匹もの《刀翅蟲》を還したあの力……。明珠は、解呪の特性を持っていると考えて間違いありませんね?」


「っ!?」


 突然、話が自分のことに及び、明珠は反射的に息を呑む。


 確かに、玲泉の言うとおりだが、果たして正直に答えていいのか。判断がつかずおろおろと龍翔を見やると、安心させるように明珠の手を握り返した龍翔が頷いた。


「ああ。そのとおりだ。明珠は希少な解呪の特性を持っておる」


「なるほど……」


 頷いた玲泉がまなざしに感嘆を宿す。


「本当に、龍翔殿下は幸運な方でいらっしゃる。明珠が身をていして《龍》を正気に戻していなければ、怒り狂った《龍》に喰い殺されていた可能性もあったのでしょう? それを回避することができたのですから。いやはや、明珠にはいくら感謝してもし足りませんね」


「おぬしに言われずとも、明珠には心から感謝している。どれほど謝意を述べても足りぬほどだ。……玲泉、何が言いたい?」


 玲泉の声音から、単純に明珠を褒めそやしたいだけではないと気づいたらしい龍翔が眉をひそめる。


「いえいえ。これで得心がいったというだけですよ」


 にっこりと見惚れずにはいられない笑みを浮かべて、玲泉が言を継ぐ。


「龍翔殿下が何と言われても明珠を手放そうとなさらない理由は、ご自身の身を護るためだったというわけでございますね。第二皇子ともあろう御方が、可憐な乙女の身を犠牲にして我が身の保身を図ろうとは……。なんと情けないことよ、と慨嘆がいたんするほかございませんね。明珠は龍翔殿下を守るための道具ではないのですよ? もちろん、明珠を大切に想い。欲する者として、許せる事態ではございません」


「っ!」


 まるで、玲泉が笑顔の下にひそませていた不可視の刃に貫かれたように。

 息を呑んだ龍翔の身体が衝撃に揺れる。


「違う! わたしは――っ!」


 反射的に抗弁しようとした龍翔が、途中で我に返ったように唇を噛みしめる。


 まるで、心の一番柔らかな部分を無遠慮に斬りつけられたように、蒼白な顔で血が出そうなほど唇を噛みしめる龍翔の表情を見た途端、明珠は弾かれたように口を開いていた。


「違いますっ! 龍翔様はそんなことをなさる方ではありませんっ! いつだって私を気遣ってくださって、お優しくて……っ! 私を道具のように扱ったことなんて一度もありませんっ! 舞台でのことも、私が勝手にやったことで……っ! だから……っ!」


 言いたいことはたくさんあるのに、喉が詰まって言葉にならない。


 なぜだろう。胸が痛くてたまらない。


 庶民の明珠なんかが龍翔のそばにいられるのは、解呪の特性があるからだとちゃんとわかっている。


 けれど、それを他者に指摘されるのがこんなにつらいなんて。


 言葉の代わりに、ぼろぼろと涙があふれてくる。


「明珠……」


 途方に暮れた龍翔の声がしたかと思うと、椅子に座ったまま、そっと優しく抱き寄せられる。


 人前だということも忘れ、つないでいないほうの手で無意識に龍翔の衣にすがりつく。


 ぎ慣れた香の薫りと、力強いぬくもり。そっと手を撫でる手のひらは、明珠の心をほどくかのように優しくて。


 大切なこの方が無事でよかったと、あらためて喜びが湧き上がる。


「……まったく……。明珠自身にそう言われて泣かれては、さしものわたしも引かねばならぬではありませんか」


 呆れとも感嘆ともつかぬ玲泉の声に明珠はようやく我に返った。


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