131 お前にどれほど感謝すればよいのか その5
「明順の姿を見る許しは与えたが、近づいてもよいとは、ひと言も許可しておらんぞ?」
「お兄様のおっしゃるとおりですわ。目に余る横暴をするようでしたら、いますぐ萄芭にふれさせますわよ?」
龍翔と初華の言葉に、玲泉が残念そうに肩をすくめる。
「それはさすがに困りますね。ですが、わたしを追い出さぬということは、会話をする意志はおありということでしょう? わたしを招き入れてくださったということは……。龍翔殿下の身に、何らかの異変が起こってらっしゃるのは、真実のようですね?」
「っ!?」
玲泉の言葉に、明珠は思わず息を呑む。反応してはいけないとわかっているのに、緊張に身が強張る。
いったい玲泉は龍翔にかけられた禁呪について、どこまで気づいているのだろう。
以前、龍翔は、禁呪のことは決して政敵に知られてはならないと言っていた。
知られれば最後、神聖な《龍》の血を
龍翔が処刑されてしまうかもしれない。
そう考えるだけで、身体がかたかたと震え、目の前が昏くなる。
と、明珠の手を握る龍翔の指先に力がこもった。
「玲泉。結論を急いで明順を怯えさせるな。明順は先ほど怪我を負ったばかりなのだぞ? 明順を怖がらせるのは、おぬしも本意ではあるまい? わたしの身に起こったことが知りたいのならちゃんと話してやる。まずは卓につけ」
静かな声で告げた龍翔が、玲泉の返事も聞かずに部屋の中央に置かれた卓へと歩み寄る。龍翔を真ん中に明珠と初華が両側に座る。萄芭は椅子には座らなかったので初華の後ろに控えるかと思いきや、明珠の斜め後ろに立ったのでびっくりする。
おそらく、明珠以外の女人にふれると調子を崩す玲泉への
「では、じっくりとお話をお聞かせいただきましょうか」
促された玲泉も素直に卓につく。玲泉が何かしようとしたらすぐさま止めるためだろう。両側を季白と張宇に挟まれた格好だ。
斜め向かいに座る玲泉と視線があった瞬間、にこりと嬉しげに微笑まれる。
「愛らしいきみの姿をじっくりと見られるなんて、嬉しいことこのうえないね。ああ、いつもよりさらに雰囲気が柔らかいと思ったら、ふだんはさらしを巻いて体型を隠しているのをいまは取っているのかな? 本来のきみの姿を愛でられて嬉しいよ。――明珠」
「っ!?」
蜜のように甘い声音で秘密にしていたはずの本名を呼ばれ、息を呑む。
「なぜ知っている!?」
目を吊り上げて問いただす龍翔に、玲泉が呆れたように眉をひそめた。
「何をおっしゃいます? 殿下が『花降り婚』の舞台で、自ら明珠の名を呼ばれたのではありませんか。わたしが責められるいわれはございません」
玲泉の指摘に、龍翔がきつく眉を寄せて口をつぐむ。
そういえば、明珠が《龍》の前に飛び出した時に、明順ではなく「明珠」と呼ばれたような気がする。が、あの時はそれどころではなくて、ろくに聞いていなかった。
「……で。明珠の本名を呼んだことすら気づかぬほど切羽詰まってらっしゃった殿下の身には、いったい何が起こってらっしゃったのです?」
玲泉が射貫くような視線を龍翔に向ける。
刃のような視線を真っ向から受け止めた龍翔が、いなすように小さく吐息を洩らした。
「何から話すべきか……。玲泉、わたしが第一皇子派、第三皇子派の双方に
怒るわけでもなく自嘲するわけでもなく、淡々と告げた龍翔に、玲泉が表情を引き締めて頷く。
「もちろん、存じております。特に第一皇子でありながら、未だ皇太子として認められていない
玲泉の言葉に、明珠は『花降り婚』に出立した日、龍華国王城の
龍正殿の前には皇帝陛下を除いた皇族や妃嬪達が何人も立っていたが、その中のひとりに龍翔より二歳ほど年上で、あまり顔立ちの似ていない立派な衣を纏った青年がいた。きっと彼が第一皇子の龍耀だったに違いない。
「ろくな後ろ盾を持たぬくせに皇子の座の一角につくわたしは、第一皇子派、第三皇子派のどちらにとっても、忌々しい存在なのだろう。そのせいで昔から、特に《龍》を召喚できるとわかった頃からは命を狙う者に
「っ!?」
自分の命が狙われているという話をしているのに、淡々と告げる龍翔の声音に、明珠は胸がつかれる思いがする。
こんな風に落ち着いた声で語れるようになるまでに、龍翔はどれほどの危機や痛みを乗り越えてきたのだろう。龍翔と出逢うまで、貧乏ながらも平穏に暮らしてきた明珠には、想像もつかない。
同時に、一介の庶民にすぎない明珠と第二皇子である龍翔の隔絶した身分差に気が遠くなる心地がする。
そばにいるはずなのに、龍翔が遠くにいるように感じ、無意識に
驚きに思わず振り返った視線が、こちらを振り向いた黒曜石の瞳とぶつかる。
安心させるような穏やかなまなざしは明珠への気遣いにあふれていて、それだけで心臓がぱくんと跳ねて、泣きたいような気持ちになる。
「では、このたび突然の不調に陥られた件も、龍翔殿下のお命を狙う輩が起こしたことだと?」
玲泉のまなざしの鋭さは変わらない。明珠から玲泉に視線を移した龍翔が、ゆっくりと頷いた。
「ああ、おぬしの推測とおりだ。『花降り婚』の差し添え人に命じられる前に、わたしが乾晶に反乱鎮圧に赴いたことは知っているだろう? わたしの命を狙う者は多くいるが、王都ではなかなか手を出しにくい。警護の厳しい王城で刺客の侵入すら難しいうえに、王城でわたしに何かあれば、皇帝陛下の権威にも傷がつきかねぬ。もし暗殺に成功したとしても、第二皇子が王城で変死したとなれば、その後の捜査の手も厳しくなるだろうからな。それゆえ、王都から遠く離れるのが好機とばかりに、乾晶のさらに北西、
言葉を区切った龍翔が、気遣うように隣に座る初華を見やる。龍翔の話が始まってからずっと、初華は怒りをこらえるかのように美しい面輪をしかめていた。
「安心してくれ。砂郭での襲撃を退けたからこそ、こうして無事にここにいるのだ」
龍翔が安心させるように柔らかな笑みを初華に向けるが、初華の
「ですが、砂郭で何かよからぬことがあったからこそ、お兄様は苦しまれたのでしょう?」
哀しげに告げた初華に龍翔が頷く。
「ああ。砂郭で禁呪を使うと
「禁呪、ですか……?」
龍翔の説明を黙して聞いていた玲泉が端麗な面輪をしかめる。
「外道の術である禁呪には、予想もつかぬものがあると聞いたことがありますが……。しかし、建国神話で
玲泉の表情は信じられないと言わんばかりだ。だが、龍翔は気分を害した様子もなく頷き、深く息をつく。
「お前の疑念はわかる。正直なところ、わたし自身もこのたび《龍》が禁呪に侵されるまで、そんな話を聞いたとしても信じられなかっただろうからな。だが、お前が自身の目で見たことが真実だ」
告げる龍翔の声はひどく苦い。
説明した内容から察するに、龍翔は自分自身に禁呪がかかっていることまでは話さぬつもりだろう。
あくまでも《龍》が禁呪をかけられてしまったという説明のみにとどめるらしい。龍翔本人に禁呪がかけられていると知られるよりは遥かにましだと判断したに違いない。
龍翔自身の禁呪のことを知られたら、いったいどんな
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