131 お前にどれほど感謝すればよいのか その3


「初華が……」


 龍翔の呟きに重なるように、扉の向こうから初華の声が聞こえてくる。


「お兄様! 明順の様子はいかがですか!? 萄芭から、怪我はないようだと聞いてはいますが……っ!」


「初華姫様っ! あの……っ!」


 切羽詰まった初華の声の様子に、とにかく答えなくては声を上げると、「少し待て」と龍翔に制された。


「初華。来ているのはお前だけか? 藍圭陛下はいらっしゃっているのか?」


 明珠から身を離し、立ち上がった龍翔が扉を振り返って尋ねる。龍翔の言葉に、明珠はいまの自分の姿を思い出した。


 お仕着せから清潔な夜着に着替えさせてもらっているので、さらしもほどかれてしまっている。


 明珠を少年だと思っている藍圭に、この格好を見せるわけにはいかない。


「いいえ。わたくしと萄芭とうはだけですわ。藍圭様も明順のことをひどく心配なさってましたけれど……。ひどくお疲れのようですので、いまはお部屋でお休みいただいておりますの。夜には貴族達を招いての祝宴が控えておりますから、少しでも休んでいただきたくて……」


「そうか。ならば入ってくるといい。明珠もかまわぬか?」


「もちろんです!」


 明珠を振り向いた龍翔にこくこく頷く。明珠の声が聞こえたのか、張宇が開けた扉を通って、初華と萄芭が入ってくる。


 足早に寝台へとやってくる初華と萄芭に、明珠は龍翔が止めるのも聞かず、急いで寝台から下りる。一介の従者である明珠が、寝台にのったまま対応するのはあまりに不敬すぎる。


「ああっ、明珠……っ! 身体の調子はどう!? お兄様が《癒蟲》で治しているでしょうけれど……。つらいところはない!? 立ち上がって大丈夫なの? 寝ていてくれていいのよ?」


 明珠の右手を両手で握りしめた初華が矢継ぎ早に問いかける。


「は、はいっ、大丈夫ですっ! 龍翔様が治してくださったので、もうすっかり……っ!」


 すでに『花降り婚』の華麗な衣装から着替えているものの、美しい初華に間近に迫られて、どぎまぎしながら早口で答える。


「そ、それより、藍圭陛下こそ大丈夫なのですか!? お疲れで休まれているとおっしゃってましたが……っ!」


 《霊亀》をあれだけの時間喚び出していたのだ。きっと疲労もかなりのものに違いない。


 明珠の問いかけに、安心させるように初華がふわりと微笑む。


「大丈夫よ、心配いらないわ。たいしたことはないけれど、大事をとって休まれているだけなの。『花降り婚』は終わったけれど、これからさらにお忙しくなられるでしょうから、休める時にゆっくり休んでいただきたくて……。だから、安心してちょうだい」


「そういうことでしたら、よかったです……」


 ほっ、と安堵の息をこぼす。


 と、明珠の手を握りしめていた初華の両手にぎゅっと力がこもった。


「明珠。本当にありがとう……っ! 『花降り婚』を成就できたのは、あなたのおかげだわ。何より、大切なお兄様を助けてくれて……っ! なんとお礼を言えばいいのか……っ!」


 深々と、身を折るようにして頭を下げられ、度肝を抜かれる。


「は、はははは初華姫様っ!? どうなさったんですかっ!? どうかお顔をお上げくださいっ! わ、私なんかに頭を下げられるなんて……っ!」


 握られていないほうの左手を振ってわたわたと告げるが、初華は頭を下げたまま微動だにしない。


「り、龍翔様……っ!」


 いったいどうすればいいのかわからず、すがるように隣に立つ主を見上げると、ふ、と龍翔が悪戯っぽく口元を緩めた。


「気位の高い初華が、ここまで謝意をあらわすことは滅多にないのだぞ? せっかくの機会なのだ。ゆっくり味わってはどうだ?」


「ふぇっ!? ええぇぇぇっ!? い、いえっ、そんな機会、けっこうですからっ! そもそも初華姫様にお礼を言っていただくことなんてしていませんし……っ!」


「もうっ、お兄様ったら! その言い方では、わたくしがふだんから傲慢ごうまんおごり高ぶっているようではありませんか!」


 ようやく身を起こした初華が、龍翔を見上げてぷくっと頬をふくらませる。


「ほら、初華が身を起こしただろう?」


 くつくつと龍翔がからかいまじりの笑みをこぼす。どうやら、先ほどの物言いはわざとだったらしい。


「だが、初華がお前に礼を言いたい気持ちはわかる。わたしも、いくらお前に感謝しても足りぬのだからな」


 柔らかな微笑みを浮かべた龍翔が、明珠の空いているほうの左手を取る。


「わたしからも、何度でも例を言おう。明珠、本当にありがとう。どれほど感謝しても足りぬ」


 明珠の手を持ち上げた龍翔が、ちゅ、と指先にくちづける。


「ひゃあぁっ!?」


 反射的にぶんっ、と手を振ろうとしたが、龍翔の手は離れない。


 右手を初華に左手を龍翔に握りしめられて両側から二人にはさまれているなんて、いったいどういう状況なのか。


 きらきらしい二人が放つ高貴さで庶民の明珠は窒息してしまうのではないかと思う。目がちかちかする。混乱と焦りでうまく息ができない。


「あ、あのっ! あのあのあの……っ!?」


 うまく言葉が出てこず、あうあうと情けなく呻いていると、不意に扉の向こうから張宇の厳しい声が聞こえてきた。


「申し訳ございませんが、お通しすることはできませんっ!」


 申し合わせたように、龍翔と初華が鋭い視線を扉へ向ける。


 いったい誰だろうかと明珠が疑問に思うより早く、玲泉の美声が扉の向こうから聞こえてきた。


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