131 お前にどれほど感謝すればよいのか その2


「な、なんてことをおっしゃるんですか!? 私は大丈夫ですっ! どこも痛いところなんてありませんし、左腕だってたぶん……」


「たぶん?」

 龍翔の声が硬くなる。


「もしや、動かしにくいとかそういう……っ!?」


「ち、違いますっ! ただ、目が覚めてから、自分の目で確かめていないので……。ちゃんと動きますし、大丈夫なのはわかってますから……っ!」


「だが、ちゃんと確認しておいたほうがよいだろう?」


 決然とした口調で告げた龍翔が腕をほどいて身を離す。


「もし傷が残っていたら、すぐに《癒蟲》で治す」


「あ、ありがとうございます……」


 龍翔のまなざしは真剣極まりない。龍翔にも見えるように、左腕を伸ばした明珠は、右手でそろそろと袖をめくっていく。


 『花降り婚』の時は無我夢中で痛みを忘れていたが、《龍》のあぎとに腕を突っ込んだのだ。下手したら、動かなくなっていても仕方がないところだ。いくら《癒蟲》で治してくれたとはいえ、大きな傷が残っている可能性はある。


 もし傷が残ったとしても、後悔なんてまったくない。ちゃんとあるがままを受け入れようと思うものの、めくりあげる指先がかすかに震える。


 龍翔が真剣な面持ちで見つめる中、意を決して肘の上まで袖をめくりあげると。


 そこにあったのは、いつもと同じ傷ひとつない左腕だった。


「よかった……っ」

 無意識に、ほっと安堵の息がこぼれる。


 いくら傷が残っても後悔はないとはいえ、明珠だっていちおう年頃の娘だ。傷が残らなかったのなら、もちろんそのほうが嬉しいに決まっている。


 腕をひねったり拳を握ったり緩めたりしても、違和感もまったくない。


「大丈夫ですっ、何ともありませんっ! ありがとうございますっ! 龍翔様が癒してくださったおかげで、どこもまったく全然……っ!」


 明珠の言葉に、龍翔もほぅっ、と心から安堵したように深い息を吐き出す。だが、明珠の腕を見つめるまなざしは真剣なままだ。


「こんなに細い腕で……。わたしを助けようとしてくれたのだな」


 そ、と龍翔の右手が左腕にそえられる。


「ひゃ」


 そのまま、確かめるように手のひらで肌を撫でられ、明珠はくすぐったさに声を洩らした。


「あ、あのっ、龍翔様……っ」


 一定の年頃以上になると、女性が肌をさらすのは、はしたないことだとされている。

 もう傷がないことも確認できたし、よいだろうと袖を下ろそうとすると。


「本当に……。お前の勇気と行動には、いつも驚嘆させられる」


 不意に腕を持ち上げた龍翔に、ちゅ、と腕の内側にくちづけられた。


「ひゃあぁっ!?」


 予想だにしない龍翔の行動にすっとんきょうな悲鳴が飛び出す。


「ななななな……っ!?」


 あわてて腕を引き抜こうとするが、放してくれない。それどころか、あたたかな唇がそっと肌を辿り、さらに悲鳴が飛び出す。


「り、龍翔様……っ!? そ、そうですっ、龍翔様こそご無事なのですかっ!? 禁呪が強まったりなんて……っ!?」


 なんとか腕を放してもらおうと身をよじりながら尋ねると、ようやく龍翔が身を起こした。


 明珠はそそくさと袖を下ろす。腕だけでなく身体全体が燃えているように熱い。指の先まで薄紅色に染まっている。


「禁呪が強まってはいないとは思うが……。お前さえ許してくれるなら、確かめてもよいか?」


「ふぇっ!? は、はいっ」


 こくこくと頷き、右手でぎゅっと服の上から守り袋を握りしめる。ぎゅっと目を閉じた耳に、龍翔が椅子から腰を浮かせた衣擦れの音が聞こえた、


 ふわりとかぐわしい薫りが揺蕩たゆたったかと思うと大きな手のひらがそっと頬を包み。


 あたたかなものが、そっと明珠の唇をふさぐ。


 無事を確かめるような、遠慮がちで優しいくちづけ。


 ふれた瞬間、かすかに震えた唇に、龍翔がどれほど明珠を心配してくれたのかあらためて感じられて、きゅぅっと胸が締めつけられる。


 着替えることすら忘れ、明珠の目覚めをまんじりともせず待ってくれていたに違いない。


 輪郭を辿るように龍翔の大きな手のひらが頬をすべり、長い指先が耳朶をなぞる。


「ん……っ」


 くすぐったさにかすかに声を洩らすと、龍翔の唇がそっと離れた。


「明珠」


 心にあふれる感情を抑えきれぬと言いたげに、名を呼ばった龍翔の唇がふたたび下りてくる。


 先ほどよりも、深いくちづけ。


 耳にふれていた手が頭の後ろに回り、もう一方の手が腰の後ろにそえられたかと思うと、逃さぬと言わんばかりに力がこもる。


 龍翔の熱と薫りに、頭がくらくらしてくる。


 息が苦しくなり、もぞりと身動みじろぎすると、ようやく龍翔の唇が離れた。


 かと思うと、ろくに息を整える間もなく、ふたたびくちづけられる。


「んぅっ!?」


 まさか、三度みたびくちづけられるとは予想しておらず、くぐもった声が飛び出す。


 禁呪に侵されながら、あれほど大きな《龍》を喚んだのだ。《気》が尽きかけていても不思議ではないが……。このままでは、明珠のほうが恥ずかしさのあまり、もう一度気絶してしまう。


 ぐいぐいと広い胸板を押し返すと、ようやく龍翔の唇が離れた。


 はっ、と洩らされた吐息の熱さに、ろうのように身体が融けてしまうのではないかと不安になる。


「すまぬ……。嬉しさに、思わず抑えがきかなくなってしまった」


 明珠が抗議するより早く、龍翔に詫びられてしまう。


「い、いえ……っ。そんなに、《気》が足りなかったのですか? それなのでしたら、その……っ」


 気絶しそうなほど恥ずかしい。


 だが、龍翔の力になりたい一心で、うつむきながらぎこちなく紡ぐと、小さく息を呑む音が聞こえた。


 かと思うと、息が詰まるほど、強く抱きしめられる。


「お前はまったく……っ! そんなに愛らしいことを言われたら、いつまでもくちづけしたくなってしまうだろう?」


 言うが早いが、龍翔の指先が、くいと顎を持ち上げる。


「お、お待ち――」


 明珠があわてて押しとどめようとしたところで。


「龍翔様。先ほど明順の叫び声が聞こえましたが……。気がついたのでしょうか? 初華姫様がひと目、様子を見て安心したいといらっしゃっているのですが……」


 遠慮がちに扉を叩く音に次いで、張宇の声が聞こえてくる。龍翔が我に返ったように動きを止めた。


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