126 『花降り婚』の舞台にて その3


 龍翔に手を取られ、萄芭に傘を差しかけられたままの初華と藍圭が、人ひとり分ほどの距離をおいて舞台の中央で向き合ったところで、腹の底に響くような大音量で舞台の端に備えつけられていた銅鑼どらが打ち鳴らされた。びりびりと空気が震える。


 息をあわせて藍圭と初華達が同時に参列者に向き直ったところで、舞台の後ろ側の階に接舷していた船から十人ほどの舞い手が走り出てきた。


 楽師達が奏でていた調べが変わり、明るく速い曲調になる。


 ひらひらと天女の羽衣のような薄い紗をはためかせ、舞い手達が婚礼を寿ことほぐ舞を踊る。


 濃い青、淡い青、群青色に浅葱色あさぎいろ……。


 時に速く、時にゆったりと、舞い手達が動くたびひらひらとはためく領巾ひれは、陽光を反射してきらめく華揺河そのものだ。


 海運によって栄える晟藍国の婚礼にこれほどふさわしい舞はないだろう。


 楽の音が終わり、波が引くように舞い手達が舞台の後ろへ下がる。このまま、舞台後ろの階から、待機している船へ移動するのだろう。


 円形の舞台の直径は十丈(約三十メートル)ほどで、さほど広くはない。


 舞が行われるのは最初だけなので、終わり次第舞台からおりる手はずになっている。


 舞い手達が全員、舞台からはけたところで、ふたたび銅鑼が鳴った。


 その音とともに前へ進み出たのは儀礼用のきらびやかなよろいに身を包んだ魏角将軍だ。


 民衆に尊敬される高名な将軍の姿に、あちらこちらの船から歓声が潮騒しおさいのように湧き上がる。


「これより、晟藍国国王であらせられる藍圭陛下と、龍華国第一皇女であせられる初華姫様の『花降り婚』の儀を執り行う!」


 魏角将軍の朗々たる声が波間を渡って響き渡る。


 かと思うと、すべての船からわあっ! と、うねるような歓声が上がった。

 まるで、数多あまたの楽器がいっせいに鳴らされたかのようだ。


 歓声が静まるのを待ってから、魏角将軍がふたたび口を開く。


 力強い声で語られたのは藍圭と初華を讃える言葉と、晟藍国と龍華国が『花降り婚』で絆を深めることで、今後、両国にどれほど明るい未来が待っているかという演説だ。


 抑揚に満ちた力強い声を聞いていると、そんな素晴らしい未来がきっと来るに違いないと素直に信じられ、じんと胸の奥が熱くなる。


「では、初華姫様のお目見えを!」


 魏角将軍の声と同時に、さっと萄芭が初華に差しかけていた傘を取る。


 降りそそぐ明るい陽射しの中にあらわになった初華の美貌に、参列者からいっせいに感嘆の吐息がこぼれた。


 龍翔の手のひらに手を重ね、反対側に玲泉を従えた初華の姿は、まるで一幅の絵画のようだ。明珠は三人の身体から光が放たれていると言われても信じただろう。


 龍翔が初華の手を引いて歩み、藍圭の前に並んで立つ。


「藍圭陛下。『花降り婚』の盟約に従い、龍華国第一皇女である初華姫をお連れいたしました。どうか、龍華国と晟藍国の絆が幾久しく続くことを願います」


 龍翔によって恭しく差し出された初華の手を、藍圭が小さな手でぎゅっと握りしめる。


「大切な皇女殿下を託していただけるとは感謝の念に堪えません。初華姫様がわたしの正妃でいらっしゃる限り、晟藍国は龍華国の盟友であることを、晟藍国国王であるわたしの名に誓いましょう」


 藍圭が初華と握った手を掲げると、わぁっとひときわ大きな歓声が上がる。


 しっかりと力強く握られた二人の手は、藍圭と初華の、そして龍華国と晟藍国の絆の強さを示すかのようだ。


 視線を交わし、微笑みあう藍圭と初華の姿に、じんと胸が熱くなる。


 ここまでくればあとはもう、龍翔と藍圭がそれぞれ《龍》と《霊亀れいき》を喚び出して参列する民達に祝福を与え、魏角将軍が『花降り婚』の成就を宣言するだけだ。


 明珠が見守る中、魏角将軍がふたたび声を張り上げる。


「今日のめでたき日を祝い、晟藍国国王であらせられる藍圭陛下と、龍華国第二皇子であらせられる龍翔殿下の御二方より、遥かいにしえより、晟藍国と龍華国を守り続けてきた《霊亀》と《龍》の祝福を皆の者へ分け与える!」


 魏角の言葉に、藍圭が初華とつないでいる手を下ろし、もう片方の右手を頭上に掲げる。


「《大いなる彼の眷属よ。万物を包み込みはぐくむ水の化身よ。我が前にその姿をお示しください!》」


 藍圭の澄んだ声が呪文を唱えると同時に、舞台の前方の空中に人の身の丈ほどもある銀灰色の巨大な亀が姿を現す。


 晟藍国の象徴ともいえる《霊亀》の姿に、民衆からわぁっと歓喜の声が上がった。


 ふつうの亀とは異なり、尾のように長いしっぽを揺らしながら、《霊亀》は悠然と空中に浮かんでいる。


 藍圭に次いで、龍翔が右手を天へと伸ばした。


「《あらゆる蟲達の主よ。至高の頂に端座する王よ。我が身に流れる血の盟約に基づき、光り輝く御身を我が前に示したもう》」


 龍翔の耳に心地よい美声が呪文を紡ぐ。


 天へ向けたてのひらから、人の身丈みたけの十倍はあろうかという巨大な白銀に輝く《龍》が現れた。


 だが。


「ぐっ!?」


 苦しげな呻き声とともに、きらびやかな衣装を纏う龍翔の長身が揺らぐ。同時に。



 ――《龍》が、暴虐の咆哮ほうこうを放った。



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