115 最初からそれが狙いだったのではあるまいな? その3


 余人ならば見惚れるような微笑みを浮かべてごまかしたのは玲泉だ。


「いえ、藍圭陛下のお心をわずらわせるようなことではないのです」


「その通り。遊び人と名高い玲泉殿の悪い虫がまたうずいているだけですので」


「遊び人とはひどいですね。今回ばかりは一生に一度の本気でございますよ」

 龍翔の言葉に、心外だと玲泉が眉を吊り上げる。


 口調は軽やかでありながら、真っ直ぐに龍翔を見つめるまなざしは射貫くほどに鋭くて――。


 ここで決して気圧けおされるわけにはいかぬと、龍翔もまた、まなざしに強い意志を込めて玲泉を見つめ返す。


「藍圭様。この二人の間に入っても益はございませんわ。放っておいたほうがよろしいかと」


 視線の刃を交わしあう二人に、ふぅ、と呆れ混じりに吐息したのは初華だ。


「はぁ……?」

 藍圭が戸惑いながらも素直に頷く。


「それよりも、気になるのはもうひとりの『遊び人』のほうですわ」


「雷炎殿下ですか……?」


 初華の言わんとしたことを即座に察した藍圭が愛らしい面輪を困ったようにしかめる。


 雷炎は今日、明日と瀁淀の屋敷に滞在することになっている。雷炎が基本的に滞在するは王城だが、瀁淀が「ぜひ我が屋敷にも滞在していただきたい!」と熱心にかき口説いたためだ。


 雷炎としても、藍圭だけでなく瀁淀ともつながりを保っていたいという意図があるのだろう。


「瀁淀殿の饗応きょうおうならば、王城とはまた違った趣向が楽しめるであろうな」


 と、宴の時と同じことを言い、わずかな従者だけを供に、朝から瀁淀の屋敷へ赴いている。おそらく、瀁淀は、雷炎好みの華やかな妓女をずらりと屋敷に取り揃えていることだろう。


 芙蓮も雷炎について行きたがったが、それは初華が説得して諦めさせた。芙蓮を雷炎に嫁がせないと方針を決めた今、万が一にも何か事を起こすわけにはいかない。


 富盈と会う日を今日に設定したのも、雷炎の来訪と同じ日にすれば、饗応に心を砕く瀁淀の意識が、藍圭にまで回りにくいだろうと考えたためだ。


 震雷国とつながりがあると噂される瀁淀が、雷炎とどんなやりとりをしているのか……。


 気にならぬ者はこの場にはいない。


「玲泉様が王城へ戻られたのは少し早かったやもしれませんわね。いまだ瀁淀の屋敷に滞在なさっていれば、雷炎殿下と瀁淀がどのようなやりとりをしたのか、わずかなりとも掴めたかもしれませんのに……」


 残念そうに吐息をこぼした初華に、玲泉が肩をすくめて苦笑する。


「お言葉ですが、滞在していたとしてもわたしが雷炎殿下を饗応する場にいられたかどうかはあやしいでしょう。加えて、もしわたしが同席したとしても、二人とも真意を隠して当たり障りのない話ばかりしていたに違いありません。何より、瀁淀が雷炎殿下を饗応するとなれば、大勢の妓女が集められるではありませんか。女人が大勢詰めかけた場所にいるなど……。苦行以外の何物でもありません。さすがに『花降り婚』間際に差し添え人が寝込むわけにはいかぬでしょう?」


「《龍》を喚ばねばならぬお兄様と違って、玲泉様は最悪、いらっしゃらずともなんとかなりますわよ?」


 初華の声音はにべもない。が、玲泉は動じた様子もなく優雅な微笑みを浮かべる。


「おやおや。初華姫様は《氷雪蟲》よりも冷ややかでいらっしゃる。馬車の中はもう、十分に涼しいですから、さらに温度を下げてくださらずとも大丈夫ですよ? あまり寒々しくしては、藍圭陛下がお風邪を召されてしまうのでは?」


「わたくしが冷たくするのは玲泉様と藍圭様にまつろわぬ者だけですもの。そんな心配は不要ですわ!」


 初華が気分を害したように、つんと鼻を上げる。


「ですが……。瀁淀と雷炎殿下が二人きりで会うことで、雷炎殿下が瀁淀側についたりする事態が起きたりはしないでしょうか……?」


 不安そうにこぼしたのは藍圭だ。龍翔は安心させるように力強い声を出す。


「ご心配には及びません。雷炎殿下のような身分のある方が、『花降り婚』を言祝ことほぐと言った発言を軽々しく撤回することはありえません。何より、雷炎殿下は、瀁淀ごときの小物でどうこうできる方ではありますまい」


「それは、確かにそうでしょうが……」


 龍翔の言葉にも、藍圭の表情はまだ晴れない。ふむ、と声を洩らしたのは玲泉だ。


「藍圭陛下は、雷炎殿下にそそのかされて瀁淀がよからぬことをするのでは、と心配なさってらっしゃるのですか?」


「その……。そそのかすというか、よからぬ知恵を得るのではないかというか……」


 藍圭が眉を寄せながらこぼす。


「まあ、確かに、むしろ瀁淀殿が雷炎殿下に操られる可能性はあるやもしれませんね……」


 苦い表情で頷いた玲泉が、「ですが」と続ける。


「先ほど龍翔殿下も話されたように、雷炎殿下は『花降り婚』を認めるとはっきりおっしゃったのです。いまさら言を翻されることはないでしょう。もし、瀁淀に入れ知恵するというなら、『花降り婚』の妨害よりも、婚礼後、どのように大臣の地位を保つのかといった内容になるのではないかと」


「確かに……。その可能性は高そうですね。瀁淀はなんとしても大臣の地位を手放すまいとするでしょうから」


 はぁっ、と嘆息した藍圭を励ますように、初華があでやかな笑みを浮かべる。


「藍圭様。ご心配は無用ですわ。『花降り婚』を無事成就させれば、藍圭様の治世が確固たるものとなると同時に、嫌でも瀁淀の権勢は下落いたします。もし瀁淀が無様にあがいたとしても、藍圭様の御代を大きく揺るがすことは叶いませんわ。わたくしが、そのような事態を許すものですか!」


「初華姫様……っ!」


 力強く言いきった華の言葉に、藍圭がはっと気づかされたように面輪を上げる。


「そうですね。初華姫様のおっしゃる通りです。いまは不安にかられて瀁淀のことをあれこれ思い悩むより、二日後に迫った『華降り婚』をなんとしても成功させることに心を砕かねばなりませんね!」


「その通りですわ。もう準備も完了しつつあるのですもの。藍圭様は大役に挑まれるのですから、いまは雑事でお心をわずらわせる必要はございません」


「初華が申す通りです。些事さじならばわたしどもにお任せください。きっと浬角殿や魏角将軍も同じことを申すでしょう」


 にこやかに告げた初華に続き、龍翔も藍圭に微笑みかける。


「わかりました。義兄上、玲泉殿。それに華姫様も……。わたしをお支えいただき、本当にありがとうございます」


 国王でありながら、素直に謝意を述べる藍圭を、龍翔は微笑ましい気持ちで見つめた。


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