116 (幕間)二人の術師 その1


「久しいな、螘刑ぎぎょう。まだ生きていたか」


 十数年ぶりに聞いた知人の声に、宿の食堂で昼食を取っていた螘刑は驚きを心のうちに押し隠して顔を上げた。卓のそばに立つ頭巾付きの外套を纏う男に、鋭い視線を投げかける。


「まだ生きていたか、はこちらの台詞だ、冥骸めいがい。お前こそ、よく生き永らえているものだな」


 外は夏の陽射しがさんさんと降り注いでいるというのに、墨色の外套を纏い、頭巾を深くかぶる冥骸めいがいの姿は奇異でしかない。


 が、食堂にいる他の者達が視線を向けようとしないのは、冥骸が纏うふれればみつく狂犬のような危うい気配のせいか。


 まあ、螘刑自身、卓の周りが無人であることを考えれば、同じようなものかもしれないが。


 場末に近い安宿だが、それだけに面倒事に関わるのはごめんだと、周りの者達も鼻が利くらしい。螘刑や冥骸のようなすねに傷持つ身にとっては好都合だ。


 螘刑の言葉に、頭巾から覗く冥骸の唇が吊り上がる。


「わたしは死なんさ。《龍》をこの手にかけるまで、決して死ぬものか」


 溶岩のようにたぎる憎悪と妄執を垣間見せ、冥骸がわらう。


 昔と変わらぬ冥骸の執念深さに感心と同時に怖気おぞけを感じた螘刑は、それを表には出すまいと杯を傾け口元を隠す。


 冥骸が卓の対面に腰かけたところで、螘刑は初めて冥骸がひとりではなかったことに気づく。冥骸の後ろに、見知らぬ若い男が控えていた。


 叶うなら、今すぐここから逃げ出したいと言わんばかりの怯えた顔をしている若者は、どう考えてもこの場にふさわしくない。螘刑と冥骸を遠巻きに眺めている凡人の群れの中にいるべき者だ。


 螘刑の顔に浮かんだ疑問に気づいたのだろう。冥骸がごく簡単に告げる。


「こやつはわたしの手足で薄揺はくようという。取るに足らぬ雑用係だ。裏切ることはないゆえ、気にするな」


「確かに、その腕では何かと不便だろうな」


 螘刑はぺたんとしぼんで揺れている冥骸の左の袖を見やる。

 以前、会った時と唯一変わっている点といえば、左腕が失われていることだ。


 いったい、何をしたらそんな事態になるのか。


 螘刑ぎぎょうは例外的に、剣も術も使うが、一般的に術師は《蟲招術》だけで戦う者が多く、身体を使う戦闘には不慣れな者が多い。


 そのため、術師自身は安全なところに隠れ、決して前線に出ることはない。冥骸めいがいも同様のはずだが……。


 腕を失うほどの大怪我を負うとは、いったい冥骸の身に何が起こったのやら。


 まなざしで問うた螘刑に、だが冥骸は無言のまま卓の向かいに腰かけた。薄揺と呼ばれた青年が片腕がない冥骸のために心得たように椅子を引き、自分自身は不安げな顔で後ろに控える。


 唯一残った右腕を卓につき、ずいと身を乗り出した冥骸が、螘刑へ歪んだ笑みを向ける。


「晟藍国への途上で噂を聞いたぞ。国王夫妻が不幸にも離城で起こった火災に巻き込まれた死亡したと。……下手人は、お前だろう?」


「……だとしたら、どうする?」


 おごるでも否定するでもなく、冥骸のまなざしを見返し、螘刑は淡々と問う。


 螘刑自身より、冥骸の後ろで控える薄揺の驚愕の反応のほうが大きいくらいだ。とんでもない事実を知ってしまったと言わんばかりに小刻みに震えながら蒼白な顔で震えるさまは、今にも気を失いそうだ。


 薄揺の様子を視界の端に捉えながら、螘刑は油断なく冥骸の様子をうかがう。


 常に、腰に剣はいている。もし冥骸が何かを企んでいたとしても、動くと同時に斬ることなど造作もない。


「そう、警戒するな」


 螘刑の殺気を受けてなお、冥骸の笑みは崩れない。


「離城とはいえ、城を丸ごと落とすことができる腕前を持つ術師など限られている。お前の姿を見て、疑問が確信に変わっただけだ」


「……何が言いたい?」


 要領を得ない冥骸の言に、眉をひそめる。冥骸がくつりと喉を鳴らした。


「協力しないかと提案に来たのだ。国王夫妻をほふった手腕は見事だが……。子亀を一匹、取り逃したのだろう?」


 揶揄やゆするような声音に、反射的に螘刑のこめかみがぴくりと動く。


 あれは、螘刑にとって、痛恨の手落ちだった。


 年端としはもいかぬ子どもなど、たやすく殺せると思っていたというのに……。まさか、逃してしまうとは。


 そのせいで、いまも螘刑は震雷国に戻ることができず、晟藍国の安宿に留まる羽目になっている。あの時、藍圭さえ殺せていれば、今頃は山ほどの報酬を手に震雷国で遊び暮らしていたものを。


 思い返すだけで、はらわたが煮えくり返る。


 くつくつと喉を鳴らす冥骸の笑い声に、螘刑は我に返る。卓の向こうに視線を向ければ、冥骸がじっとこちらを見つめていた。


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