116 (幕間)二人の術師 その2


「どうやら、雷炎殿下にひどくお叱りを受けたようだな」


 冥骸の言葉に息を飲んだのは、螘刑ではなく薄揺だ。蒼白を通り越した顔色は、死人のような土気色になっている。


 どうやら冥骸は薄揺に螘刑のことを――。


 震雷国に尻尾を振る瀁淀を晟藍国の国王の座につけるために、雷炎の密命を受けた暗殺者であることを、まったく話していないらしい。先ほど、薄揺を「取るに足らぬ雑用係」と言っていたのは真実のようだ。


 冥骸の言葉に、螘刑は「はんっ」と鼻を鳴らしてみせる。


「雷炎殿下がお叱り程度で済ませる甘い御方であるものか。あの御方は不要と断じれば即座に無言で斬り捨てるさ」


 螘刑が唯一、恐怖を感じる相手があるとするならば、それは仕えている雷炎だ。《焔虎えんこ》を操る雷炎が相手では、さしもの螘刑も正面から戦って勝てるとは思えない。


 螘刑は雷炎に報告に上がった時のことを思い出す。


 藍圭の暗殺に失敗して取り逃し、その後は警備が厳重となってしまい、手を出す機会が掴めず……。


 いったん震雷国へ帰国しご報告した螘刑を見下ろし、雷炎は怒るどころか、笑ったのだ。


「お前が失敗するとは珍しいな。だが、国王夫妻を暗殺したことで、瀁淀へ恩は十分に着せられた。あとは瀁淀次第だ。むしろ、ここまでお膳立ぜんだてをしてやったのだから、瀁淀が自分の力で国王の座を得てくれねば、通じた意味がない。俺は無能と長々とつきあうほど暇ではないからな」


 と。

 不要と判断すれば、手を組んだ瀁淀ですら斬り捨てる気でいる雷炎に、背中に冷たい汗が伝ったものだ。


 螘刑が藍圭を取り逃がしたと知った時、情けないほどうろたえ、「今すぐもう一度暗殺してこい!」と叫んだ瀁淀とは、天と地ほどの差だ。


 龍華国と『花降り婚』が行われると知った時も同じだ。


 瀁淀は藍圭に龍華国の後ろ盾を得させるわけにはいかぬと、皇女を脅して帰らせろと螘刑に命じたのはよいものの、晟藍国に入る前、まだ船が龍華国内にいる間に何とかしろと厳命した。


 晟藍国内に入ってから皇女が襲われるような事態が起こって、晟藍国の手落ちだと責められる羽目になっては大変だ、と。


 おかげで螘刑は淡閲たんえつくんだりまで赴く羽目になった。


 皇女の侍女を何人か殺し、本人を脅せば帰るかと思いきや……。忍び込んだ先で、まさか術師の反撃を食らうとは予想外だった。毒を塗った刃で手傷を負わせたものの、あれでは生き延びていることだろう。


 瀁淀ごときの命令を忠実に遂行すいこうする義理はないため、加勢が現れた時点で逃げを打ったが、二度も続けて任務を失敗したという事実は、とげのように螘刑の胸に突き刺さっている。


 だが。


「協力、だと? いままで人を使うばかりで、誰とも組もうとしなかったお前がやけに殊勝なことだな」


 胸の不快感を奥に押し込め、螘刑は警戒心を隠さずに黒衣を纏う冥骸を見返す。


 お互いに何度も顔を合わせたことはあるが、一緒に仕事をしたことは、これまで一度もない。


 螘刑が震雷国に属しているのに対し、冥骸がどこの国や組織にも属していない一匹狼であるという理由を抜きにしても、やけに《龍》を目のかたきにし、こだわる冥骸が、協力を持ちかけてくるとは……。異常な事態が起こっているのだとしか、思えない。


 冥骸と組むのはやぶさかではないが、早計は禁物だ。冥骸にいいように使われるこまに成り下がるなど、御免こうむる。


 螘刑はあえて唇を吊り上げると、挑発的な声音を出した。


「いままで、誰とも組もうとしなかったお前が俺にすがってくるとは、珍しいじゃないか? 片腕と失って気弱になったのか? それとも……」


 思わせぶりに、言葉を切る。


「やはり自分ひとりではかなわぬと、《龍》の強さに怖気おじけづいたか?」


 途端、黒衣の冥骸から殺気があふれでる。


「いますぐ死にたいというのなら、望みを叶えてやるぞ?」


「それはこちらの台詞だ。剣もいていないお前が、俺に敵うとでも?」


 いまにも《蟲》をびそうな冥骸の様子に、だが螘刑も引かない。ただ、二人の殺気にあてられた薄揺が、ついに後ろで床にへたりこんでいる。


 螘刑と冥骸はしばし、卓を間に向かい合う。


 と、先に小さく息を吐いて殺気をおさめたのは冥骸だった。


「わたしの禁呪は《龍》をも殺す。殺せているはずなのだ、本来ならば。だが……」


 低い声で呟くようにこぼす冥骸の顔は、泥水を飲んだように苦い。


「何か、わたしも知らぬ力が働いているとしか思えぬのだ。どうやら、第二皇子のそばには、解呪の力を持つ者が仕えているようでな……。でなければ、わたしの禁呪がとうに第二皇子を殺している」


 己の禁呪に絶対の自信をもって告げる冥骸の言葉に、螘刑は思わず声を出す。


「解呪の力か。それはまた稀有けうな力の持ち主がいたもんだな」


「ああ。こいつの話によると、まだ若い小娘らしいが……」


 冥骸が床にへたり込んでいる薄揺を侮蔑のまなざしで見やる。荒い息を整えようと必死になっている薄揺は、冥骸に視線を向けられたことすら気づいていないようだ。


 螘刑に視線を戻した冥骸が、ゆっくりと口を開く。


「次こそ、《龍》を仕留めてみせる。もうすでに仕込みは済んであるのだ。あとは、しかるべき時に仕掛けを発動させるだけ……。だからこそ、万全を期したい」


 淀んだ執着の炎を宿した冥骸のまなざしが、螘刑を見据える。


「わたしは、《龍》を殺したい。お前は、幼い国王を殺したい。ふたりが民衆の前にそろって姿を現すのは『花降り婚』の日だ。貴族や民衆が大勢つめかける『花降り婚』の当日ならば、お前の腕をもってすれば、舞台に近づくのもたやすいだろう? むろん、わたしも援護をする。どうだ?」


 冥骸の唇が、歪んだ愉悦に彩られる。


「二国を挙げての華燭かしょくの宴を、わたしとお前の手で、血で染めたくはないか?」


「……なるほど」


 冥骸の提案に、螘刑は重々しく頷く。


 螘刑が未だに藍圭を暗殺できていないのは、ひとえに警備が厳重であるゆえだ。警備さえかいくぐることができれば、年端もいかぬ小童こわっぱなど、一太刀でほふれる。


 『花降り婚』の主役である藍圭と初華は厳重に警護されているだろうが、差し添え人である第二皇子ならば、警護もそれほどものものしくはないだろう。


 冥骸が禁呪で第二皇子を狙ってくれるというのなら、螘刑は混乱の隙を突いて、藍圭を殺せばよい。


 何より。


「入念に準備を進めてきた『花降り婚』が当日で頓挫とんざし、龍華国の面目が丸つぶれとなるのは、心躍るな」


 螘刑いままでずっと、裏の汚れ仕事ばかりしてきた。何人殺してきたのか、自分でも覚えていないくらいだ。


 血で薄汚れたこの身体は、いまさら明るい陽光のもとなど歩けない。


 そんな螘刑が、光の下を歩き続けてきた皇女や少年国王の華燭の宴を血に染めるというのは、あらいがたい甘美な誘惑だった。


「いいだろう。お前の提案に乗ってやる。詳細を話せ」


 螘刑の言葉に、冥骸の笑みが深くなる。


 二人の術師は、互いにくらい情熱を宿した笑みを交わしあった……。


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