115 最初からそれが狙いだったのではあるまいな? その2


 龍翔の厳しい視線を受けても、玲泉のにこやかな笑みは変わらない。


「とんでもございません。わたしが求めずとも、商人達のほうから寄ってきたのですよ。『花下り婚』により、今後、親交が深くなるであろう龍華国の高官とえにしを結んでおきたいと申しましてね。晟藍国の商人達は、本当に商魂たくましくていらっしゃいますね」


 玲泉の最後の微笑みは藍圭に向けたものだ。


「藍圭陛下さえよろしければ、わたしが応対した者の中で、これはと思った商人達をご紹介いたしましょう」


「玲泉殿の目にかなった商人でしたら、こちらからお願いしたいほどです! ですが……。そこまでしていただいてもよろしいのですか?」


「もちろんでございますよ」

 藍圭の言葉に、玲泉がゆったりと頷く。


「今はまだ、藍圭陛下は王城内の官吏達や貴族達を御するのにお忙しいことでございましょう。市井しせいの商人達にまで目を配られるのは難しいかと思い、差し出がましいことと知りつつも、わたしのほうである程度の人選をさせていただきました。龍華国と晟藍国の間に深い絆を結ぶことは、差し添え人としての務めのひとつでございます。それゆえ、どうぞ藍圭陛下はお気になさらないでください」


「そういうことでしたら、遠慮なく玲泉殿のお心遣いをいただきます。『花下り婚』が終われば、わたしも少しは身体が空くかと思いますので、ぜひとも玲泉殿ご推薦の商人達に会ってみます!」


 背筋を伸ばして真っ直ぐ座席に座り直した藍圭が、端然と玲泉に頭を下げる。


「何から何まで段取りをつけていただきまして、誠にありがとうございます。いくら感謝しても足りません!」


「いえいえ、とんでもないことです。これは、藍圭陛下のためだけではなく、龍華国のためでもございますから」


 笑んだ声でかぶりを振る玲泉に、龍翔も座席に腰を落ち着け、玲泉に向き直る。


「いや、わたしからも礼を言おう。晟藍国の高官に藍圭陛下を認めさせようとするあまり、商人達、市井のことにまで手が回っていなかったことは確か。そこを補ってくれて助かった。感謝する」


 深く頭を下げた龍翔に、隣の玲泉から憮然ぶぜんとした声が振ってきた。


「礼など不要です。間違っても龍翔殿下のためにしたことではございませんので。晟藍国の商人が龍華国との取引にも積極的になれば、龍華国にも新しい風が吹き込みましょう。藍圭陛下にお伝えするのはお恥ずかしい限りですが、龍華国の御用商人達は自分達の地位にあぐらをかいていますからね。新しい商人達が台頭し、交易が活発になれば、少しは我が身を振り返りましょう」


 玲泉の声は断ち切るように冷ややかだ。国を富ませるのではなく、己のみを富ませることに腐心している龍華国の御用商人達には、龍翔もまた、辟易へきえきしている。


 御用商人の甘言に踊らされ、まるで国庫から無尽蔵に金が湧き出るという夢につかれているのか、湯水のごとく大金を払う皇族や妃嬪ひひん達にも。


「龍華国に新しい風が吹くのは歓迎だが、その風がもたらす富を最初に得るのは蛟家なのだろう?」


 思わず渋面で告げると、「おや」と玲泉がからかうような視線を龍翔に向けた。


「その程度の役得は、尽力した褒美としていただいてもよろしいかと存じますが? それとも、龍翔殿下は働きに応じた褒賞まで認めぬおつもりですか? ……そのように狭量では、早晩、にも見限られましょう。まあ、わたしとしましては、そのほうが好都合でございますが」


 玲泉の言葉に、反射的に眉が寄る。「純真な明順がわたしを狭量だとうとんじたりするものか。明順の心根の清らかさを知らぬのはおぬしのほうだろう?」と思わず言い返しそうになり、理性を奮い立たせて自制する。


 代わりに、悠然と口元に笑みを浮かべる。


「確かに、おぬしは狭量とは縁遠いようだな、玲泉。おぬしが晟藍国の商人と親しくつきあってくれたおかげで、龍華国と晟藍国の間の交易も、さらに盛んになるだろう。となれば、龍華国の町で真っ先に潤うのは、最も晟藍国に近い淡閲たんえつ。立ち寄った際にえにしを結んだ淡閲総督も、喜ぶことであろう」


 龍翔につくと誓ってくれた淡閲総督が富み、力をつけるのは龍翔にとっては願ったり叶ったりだ。ただでさえ味方が少ないのだから、少しでも力を持つに越したことはない。


 龍翔の言葉に、玲泉が一瞬だけ端麗な顔をしかめる。だがすぐにいつもの優雅な笑みが浮かんだ。


「わたしは寛大ですからね。ある意味では敵である龍翔殿下であろうとも、最終的に龍華国のためとなるならば、結果的に殿下に助力することになったとしても仕方がありません。……可愛い従者にも、その点はしっかり伝えておいてくださいね?」


「そうだな。間違いなくわたしの慶事を喜んでくれることだろう。……きっと、おぬしにも深く感謝するだろうがな」


 天真爛漫な明珠のことだ。何の他意もなく純粋に、龍翔の味方が力を得ることと、そのために尽力してくれた玲泉に感謝するに違いない。


「感謝してもらえるならば、龍翔殿下から伝え聞くのではなく、ぜひとも本人の口から聞きたいものですがね?」


「おぬしを不用意に近づけるわけがなかろう」


 玲泉の要求をひとことのもとに断ち斬りながら、龍翔はふと思う。


 果たして玲泉は、「明珠から直接感謝の言葉を聞きたい」と告げる己の表情に気づいているのだろうかと。


 冷徹で有能な官吏ではない。かといって軽薄な遊び人でもない。ふだんの玲泉からは想像もつかぬ甘く柔らかな笑みを浮かべているということに。


 ……わざわざ玲泉に教えてやる気は欠片もないが。


 きっと龍翔自身も明珠について話している時はこんな表情を浮かべているに違いない。


 確かに、これでは季白に「明順だけを特別扱いしている」と注意されても仕方がない。


「……わたしも気をつけねばならぬな」


 明珠が龍翔にとってどれほど大切な存在なのか、政敵に気取けどられるわけにはいかぬ。自分のそばにいるがゆえに、大切な少女を危険にさらすわけには、決していかないのだから。


「龍翔殿下は警戒心が強くていらっしゃいますが……。束縛は感心いたしませんよ?」


 龍翔の呟きを「明順を玲泉に会わせぬよう気をつけねばならぬな」と言っていると誤解したのだろう。玲泉が責めるように端麗な面輪をしかめて龍翔を見やる。龍翔は苦笑を浮かべてかぶりを振った。


「束縛などするつもりはない。彼奴あやつはいつも……。わたしの予想など軽く飛び越えた行いをするからな」


 蚕家さんけでも乾晶けんしょうでも……。いつも明珠の行動は龍翔の埒外らちがいだ。


「お二人とも……。いったい何のお話をなさっているのですか?」


 龍翔と玲泉のやりとりに、向かいに座る藍圭がきょとんと首をかしげる。


 思わず玲泉と顔を見合わせ――。龍翔と玲泉はそろって同時にかぶりを振った。


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