115 最初からそれが狙いだったのではあるまいな? その1
藍圭が不安そうな顔で龍翔達を見上げたのは、酒楼を出て馬車に乗り込んでからだった。富盈との会談が終わったため、後は王城へ戻るだけだ。
「義兄上、玲泉殿。富盈殿との交渉は……。わたしばかりが受け答えをしてしまいましたが、あのような形でよかったのでしょうか……?」
馬車の向かいに並んで座る龍翔と玲泉に交互に視線を向けながら藍圭が尋ねる。
「もちろんですわ!」
龍翔達が答えるより早く、大きく頷いたのは初華だ。
「藍圭様はたいへんご立派でございましたわ。富盈殿に一歩も引かず……。国王としての威厳を見事に示されました」
藍圭の不安を吹き飛ばそうとするように、華があでやかな笑顔を浮かべて褒めそやす。
龍翔も初華に続いて力強く頷いた。
「ええ。初華の申す通りでございます。藍圭陛下は、国王として立派に富盈殿と渡り合ってらっしゃいましたよ。どうぞ自信をお持ちください」
「ですが……。わたしの力が及ばぬばかりに、富盈殿をこちらに引き込むまでは叶いませんでした……」
藍圭がしょぼんと小さな肩を落とす。にこやかに微笑んで藍圭を慰めたのは玲泉だ。
「藍圭陛下。それは陛下の力不足などではございません。富盈殿がおっしゃることにも、一定の理がございます。富盈殿がすぐさま瀁淀から藍圭陛下に乗り換えれば、口さがない噂を立てる者もおりましょう。信用第一である商人の間で、そのような噂が流れる事態を富盈殿が忌避しようとしたのは当然のことでございます。まあ……」
玲泉が端麗な面輪に凄味のある笑みを浮かべる。
「藍圭陛下にお味方せず、瀁淀についた時点で、富盈殿の
《氷雪蟲》が放つ冷気より冷ややかな声で断じた玲泉に、藍圭が小さく息を飲む。
いつもにこやかな笑顔をたたえている玲泉が、刃を振るうように断じる姿を見せたのが意外だったのだろう。
だが、龍翔は龍華国の王城で、玲泉が
明珠の件では叩っ斬ってやりたいほどの怒りを感じつつも、龍翔が玲泉を
「ですが……。富盈殿を味方に引き込んだほうがよいと、会談の場を設けてくださったのは、他でもない玲泉殿ではありませんか」
玲泉の物言いに、藍圭が意外そうに目を
「さようでございます。富盈殿が手を結んでいる瀁淀の失脚を恐れるあまり、裏で画策するようなことがあれば、財力があるだけに厄介極まりないですから」
表情を緩めた玲泉が、いつものように優雅な笑みを浮かべ、藍圭に話しかける。
「このたび、藍圭陛下が富盈殿と会われ、顔をつながれたことで、富盈殿は中立の立場となりました。これでもう、『花下り婚』の妨害を防ぐという本来の目的は果たされたも同然。必ずしも、味方に引き込む必要はなかったのでございます」
「本来の、目的……」
玲泉の意図を
「はい。ですので、どうぞ『味方に引き込むことは叶わなかった』と、お嘆きにならないでくださいませ」
と、玲泉が慰めるように柔らかく微笑む。
「わたしはむしろ、富盈殿がすぐに陛下のお味方にならずに済んだ事態に、安堵しているのですから」
「え……?」
「玲泉様。もったいぶらずに、お考えをすべて明らかにしてくださいませ」
戸惑った声を上げた藍圭の心を代弁するかのように、初華が声を上げる。
「富盈殿との会談を設定されたのは玲泉様なのですから、ちゃんと意図まですべて明かしていただかなくては困りますわ!」
「これはこれは、申し訳ございません」
責め立てるような初華の言葉に、気分を害した様子もなく、玲泉が恭しく頭を下げる。
「事前に富盈殿と会っていたとはいえ、実際に藍圭陛下との会談が終わるまでは、最終的に富盈殿がどのような判断をくだすかわからなかったゆえ、わたしの考えをお伝えするわけにはいかなかったのでございます」
背筋を伸ばし、馬車の座席に座り直した玲泉が、真っ直ぐに藍圭を見つめる。
「これは、わたし個人の考えとしてお聞きいただきたいのですが……。藍圭陛下は先ほどの会談で、今後、富盈ともつきあいを望まれるお言葉をかけてらっしゃいましたが……。わたしは、瀁淀を追い落としたとしても、富盈を重用する必要はないと存じます」
きっぱりと言いきった玲泉に、目を
「富盈殿を重用する必要がない、ですか……?玲泉殿がそうお考えになられた理由をうかがってもよろしいですか……?」
藍圭の問いかけに、玲泉が「もちろんご説明いたします」と優雅に頷く。
「富盈殿は――見る目がないからでございますよ」
告げた玲泉の声は磨き抜かれた刃のように鋭い。
「今しがた申しあげました通り、晟藍国の正統なる国王である藍圭陛下にお味方せず、邪道に足を踏み入れた瀁淀の味方となり、横領の手助けをした時点で、富盈は商人としてだけでなく、人としての倫理に背いております。いくら、今は晟藍国一の大商人と呼ばれていても、未来を見抜く目がないのは、商人として致命的。早晩、凋落していくことでございましょう。そのような商人を使っていては、藍圭陛下の名声まで落とされかねません。今後、瀁淀を追い落としたとしても、富盈に便宜を図ってやる必要はないかと」
「わたしの名声など……。無きに等しいものでしょう?」
藍圭の愛らしい面輪に自嘲の笑みが浮かぶ。
「そのようなことはおっしゃらないでくださいませ!」
即座に声を上げた初華が、ぎゅっと隣に座る藍圭の手を握る。
「藍圭様の治世は、まだ始まったばかりですもの。今はまだ名声がなくとも仕方がございませんわ。ですが……。二日後の『花下り婚』の成就を皮切りに、これから、藍圭様の名声は晟藍国にあまねく広まるばかりか、きっと他国にまで知れることでございましょう。わたくしもそのお手伝いをせひともさせていただきとうございますわ」
藍圭の明るい未来を確信した様子で断言した初華が、次いで、
「なるほど……。玲泉様がおっしゃりたいことが理解できた気がしますわ」
と呟く。
「つまり、いかに晟藍国一の大商人といえど、瀁淀に
「その通りございます」
初華の言葉に玲泉が首肯する。
「富盈殿には、『花下り婚』の邪魔をせぬよう、二日の間、都合の良い夢を見てもらえばよいのです。藍圭陛下の治世の基盤さえ確固たるものとなれば、富盈殿に代わって御用商人の地位を得たいと欲する若い商人は、山と現れることでございましょう。どのような者を選ぼうと、藍圭陛下の思いのまま。必要でしたら、わたしが晟藍国にて知り合った商人をご紹介いたしましょう。いずれも才気にあふれる若い商人ばかりでございます。きっと藍圭陛下のお役に立つことでございましょう」
「……玲泉。おぬし、もしや最初からそれが狙いだったのではあるまいな?」
黙してやりとりを聞いていた龍翔は、たまらず厳しい声を出す。
瀁淀の動きを封じるために、王城ではなく瀁淀の屋敷に滞在していた玲泉だが、まさか富盈とつなぎをつけるだけでなく、晟藍国の商人達とも顔をつないでいたとは。
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