114 富盈との会談 その4


 目をみはって龍翔の顔を見上げていた初華が、花ひらくようにあでやかな笑みをこぼした。


「お兄様ったら……。天を翔けるだなんて、《龍》に乗っていらっしゃるおつもりですの?」


「お前が望むならそうしよう。《龍》で参れば、お前にも、わたしの来訪がすぐ伝わるだろう?」


「《龍》でいらっしゃったら、わたくしどころか、晟藍国中に知れ渡ってしまいますわ。お兄様が相対する前に、不届き者も尻尾を巻いて逃げ出すことでございましょう」


 半ば以上、本気で伝えたが、初華はくすくす笑うばかりだ。


 だが、その声がほんのわずかに湿り気を帯びていることに、初華と長いつきあいの龍翔は気づく。しかし、口に出しては何も言わない。代わりに、別の言葉を口にする。


「手を下さずとも不届き者が逃げるのならば、よいではないか。余計な手間が省けるだろう? ……もっとも、わたしの大切な妹に無体を働こうとした不届き者をそのまま許してやる気はないが」


 にこやかに微笑みつつも、声に圧を乗せる。


 感心したような声を上げたのは富盈だ。


「龍翔殿下は初華姫様をことのほか大切に思われていらっしゃるのですな。麗しい兄妹の愛慕の情に、わたくし、感じ入りました」


 感動の表情を浮かべる富盈の頭の中では、素早く計算が巡っていることだろう。龍翔と親しい初華に取り入れば、どれほどの利益を得ることができるだろうかと。


 龍翔は照れたように微笑んでみせる。


「そのように言われると面映おもはゆいが。だが、誠に大切な妹なのだ。富盈殿も……。重々含みおいてもらいたい」


「もちろんでございます。しかと心に留めおきましょう」


 深く頷いた富盈が恭しく一礼する。


 ふと興味を引かれたように、藍圭が口を開いた。


「ひとつ聞きますが、富盈殿も『花降り婚』」に参列されるのですか?」


「もちろんでございます!」

 勢いよく富盈が頷く。


「人生で二度とは見られない記念すべき儀式でございますから。藍圭陛下と初華姫様のご婚礼をお祝いするべく、華やかに船を飾り、交流のある名士の方々とともに、湾上からお祝い申しあげる予定でございます」


 『花下り婚』の当日は、舞台の上に登るのは限られた者達だけで、参列する貴族や官吏達などは、船に乗って港内につどうこととなっている。


 富盈のことだ。金にあかせてさぞかし華やかに船を飾り立てることだろう。きっと、『花下り婚』の日の華揺河は、錦を敷き詰めたように華やかになるに違いない。


 数多あまたの船が華揺河を彩る中、『花下り婚』を執り行う初華と藍圭の姿を思い描くと、柄にもなく龍翔の心も弾む。


 同時に、脳裏に浮かぶのは明珠の笑顔だ。


 天真爛漫な明珠のことだ。きっと『花下り婚』の光景に、つぶらな瞳をこぼれんばかりに見開いて感動の声を上げるに違いない。


 きらきらと輝くばかりの明珠の喜ぶ顔を思い描くだけで、風に舞い上がる蝶のように、そわそわと心が浮き立ってくる。


『お兄様。まさか、明珠を王城で留守番させたりなんてなさらないでしょう? わたくし、お友達である明珠にも、ぜひ一緒にお祝いしてもらいたいですわ』


 と初華も望んだため、『花降り婚』当日は、明珠も「明順」として、季白や張宇とともに龍翔の供として舞台の片隅に控えることになっている。


 河の上に設えられた舞台であるため、不埒者が近づくのは難しいだろうが、式の最中に不測の事態が起こらぬとは限らない。


 淡閲たんえつで捕らえそこねた刺客もようとして行方が掴めぬままなのだ。警戒しておくに越したことはない。


 差し添え人である龍翔は、初華の先導をしたり、儀式で《龍》を喚ばねばならなかったりと、明珠を気にかけてやる余裕はあまりないだろうが、明珠が目の届く場所にいるというだけで安心できる。


 さすがに玲泉も、『花下り婚』の真っ最中に明珠にかまっている暇はなかろう。何より、張宇が明珠のそばについてくれれば心強い。


「本日は貴重なお時間をいただきまして、誠にありがとうございました。感謝の念にたえません。『花降り婚』のご成功を祈念いたします。どうか、婚礼の後はいっそう親しくおつきあいをさせていただければと存じます」


 富盈の言葉に、想いをせていた龍翔は我に返る。代表して応じたのは藍圭だ。


「いえ、わたしにとっても得難い機会でした。必ずや、富盈殿や参列する方々が後世まで語り継ぎたくなるような『花下り婚』にしてみせます!」


「心より楽しみにしております」


 力強く宣言した藍圭に、富盈がしわの深い顔に笑みを浮かべる。


「このたびは、わたくしめに貴重なお時間をいただき、誠にありがとうございました」


 と恭しく一礼して見送る富盈と別れ、龍翔達一行は部屋を出た。


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