114 富盈との会談 その1


 玲泉が富盈ふえいと藍圭が会う段取りをつけたのは、港のそばの高級酒楼だった。


 船で訪れた他国の貴人や商人が宿泊するだけでなく、商談の場として利用されることも多いらしく、話し合いに適した小部屋も多くしつらえられているらしい。壁が厚く、窓も小さい部屋は、出入りする者の姿があまり見えないほうに工夫されていて、密談にも最適だ。


 ここを面談の場に選んだのは、瀁淀の追及を避けるために、富盈を王城に呼びつけるわけにも、逆に藍圭のほうから富盈の屋敷に赴くわけにもいかないためだ。


 玲泉が王城で説明したところによると、今回、富盈と会うのは、表向きには港へ『花下り婚』の舞台を見に来た初華が暑さで調子を崩して酒楼で休息を取ろうとしたところ、偶然、商談で来ていた富盈と出会って富盈が挨拶を求めた、という筋書きになっているということだ。


 富盈にとっては、瀁淀に裏切ったと言われぬよう、建前が必要ということらしい。


 酒楼の最上階、ぜいを凝らした室内にいるのは富盈の他には龍翔と藍圭に初華、供の浬角と季白、そして今回の立役者である玲泉の七人だけだ。


 富盈が供を別室で待機させているのは、藍圭に恭順の意を示すためだろう。万が一、この会合が罠で、別室に刺客が潜んでいたとしても、龍翔と玲泉とで撃退してみせる自信はあるが。


 龍翔は初めて出会った富盈の人となりを見極めるべく、大きな卓の向こうへ静かにまなざしを注ぐ。


 汚職に手を染めた瀁淀と手を組んで荒稼ぎしようとした大商人という印象とは裏腹に、富盈はせぎみで白髪頭の六十歳半ばの人物だった。


 だが、晟藍国一の大商人という名に恥じず、纏う衣は精緻せいちな刺繍がほどこされた絹で、王侯貴族にも負けぬほどの豪華さだ。


 それだけ、藍圭との会談に意気込んでいるのか、それとも己の財力を誇示したいのか。果たしてどちらだろうかと富盈を見つめていると。


「このたびは、藍圭陛下に拝謁する機会を賜り、恐悦至極に存じまする」


 口火を切った富盈が深々と頭を下げた。


「まもなく晟藍国の王妃となられるお美しい初華姫様にもお会いでき、幸甚こうじんに存じます。……お加減はいかがでございますか?」


 『初華が暑さで立ちくらみを起こして酒楼へ来た』という建前を会話の糸口にして、富盈が恭しく初華に問いかける。


 不調など微塵みじんも感じさせぬ様子で、初華があでやかに微笑んだ。


「お気遣い感謝いたしますわ。そうですわね……。わたくしが調子を取り戻すかどうかは、このあとのお話次第ですわね」


 にこやかに圧をかける初華に、


「それはそれは……。では、初華姫様のご機嫌が麗しくなるよう、ゆっくり茶菓をお楽しみいただかなくてはなりませんな」


 と、動じる様子もなく富盈が微笑んで応じる。


 大きな卓の上には、よく冷えた茶の器や、さまざまな菓子が盛られた皿が並んでいるが、誰も手をつけようとしない。が、富盈はそんなことには頓着とんちゃくしていないようだ。


 やはり、風が吹けば折れそうな痩せた身体とは裏腹に、簡単に御せるような人物ではないらしい。


 だが、玲泉に応じて藍圭に会うことを決めたということは、富盈もこのまま益もない無駄話を続ける気はないだろう。


 さて、どう切り込むべきかと龍翔が思案していると。


「富盈殿。単刀直入にうかがいます」


 卓の向かいにひとり座る富盈を真っ直ぐに見つめ、声を上げたのは藍圭だった。


「何でございましょう? 何なりとおうかがいください」


 富盈が孫に対するかのように、表面上は好々爺にしか見えぬ笑顔で応じる。


「では、お言葉に甘えてうかがいましょう」

 にこりともせず、藍圭が言を継ぐ。


「――富盈殿は、わたしに何を求めらっしゃるのですか?」


 真っ直ぐに富盈を見つめ、藍圭が問いを口にした。


 まさかここまで率直に問われるとは思っていなかったのだろう。富盈が虚を突かれたように瞬きする。


 が、しわが刻まれた顔に、すぐにびるような笑みが浮かんだ。


「わたくしから国王陛下に何かを求めようとするなど、おそれ多いことでございます。わたくしはただ、晟藍国に住まう商人のひとりとして、よりよい未来のために微力ながら尽くすことができれば、と願っているだけでございます。その中で、藍圭陛下とご交誼こうぎを結ぶことが叶いましたら、これ以上の喜びはございません」


 あくまでも下手したてに告げる富盈の言葉に、藍圭が唇を引き結ぶ。


 龍翔も玲泉も、そして初華も、藍圭を尊重して何も言わない。


 いま、藍圭は晟藍国の国王として富盈に相対しているのだ。他の者が口を挟めば、藍圭を軽んじることになってしまう。


 酒楼に来る前の打ち合わせで、富盈の処遇については藍圭の望むままに裁可してほしいと、龍翔も初華も口を揃えて伝えている。


 富盈の財力は確かに魅力的だが、藍圭に無理をいてまで欲するほどのものではない。もし富盈を瀁淀とともに処断したとしても、後釜を狙う別の商人が、御用商人の座を求めて藍圭にすり寄ってくるのは確実だ。


 富盈が自分からは具体的に何も求めず、ただ交誼こうぎを結べられればよいと告げたのも、藍圭が何を求めているのか、推し量りたいゆえだろう。


 富盈の心情を推測するならば、いまや泥船と化しつつある瀁淀から手を引きたいのはやまやまだが、『花降り婚』が成就していないいま、まだ藍圭の勝利が確定したわけではない。勝ちがどちらに転ぼうと、すぐさま勝者にすり寄れるように、瀁淀とのつながりを保持しつつ、藍圭ともつなぎをつけておきたい……。そんなところだろう。


 対して、藍圭のほうは、富盈からどこまで有利な条件を引き出せるか。交渉の主題はそこだろう。


 それゆえ、開口一番で富盈の望みを尋ねた藍圭の問いは悪手ではない。


 が、海千山千の富盈相手に、ここからどう交渉していくか……。


 表面上は落ち着き払った様子を装って座しながら、龍翔は黙して藍圭を見守る。と。


「つまり、富盈殿はわたしと交誼を結びたいだけで、それ以外の望みはないと言うのですか?」


 しばしの沈黙ののち、口を開いた藍圭が静かな声で問うた。


「富盈殿といえば、晟藍国一の大商人と呼ばれる御仁ごじん。富盈殿は瀁淀大臣とも親しく、今回の『花下り婚』の準備でもと聞いています」


 含みを持たせた藍圭の言葉に、にこやかな笑みを絶やさぬ富盈の口元がわずかに引きつった。


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