112 差し添え人として成果を上げてまいりました その3


「おぬしが懸念するとおり、藍圭陛下が富盈に隔意かくいを抱いている可能性はあるだろう。だが」


 龍翔が真っ直ぐに玲泉を見返す。


「藍圭陛下は利発で、しなやかな心根をお持ちでいらっしゃる。国王となれば、己の意に染まぬ者ともつきあい、そうした者達も御さねばならぬ。相手におもねるのは論外だが、富盈殿を取り込むことが藍圭陛下の今後の治世を安定させるために必要ならば、きっと毅然きぜんとした態度で富盈殿に対されるであろう」


 静かに語る龍翔の声が、祈るような響きを宿す。


「わたしは、藍圭陛下ならば清濁あわせ呑んだうえで晟藍国をよき未来へ導ける国王へ成長されるに違いないと……。そして、初華が藍圭陛下の隣で、ずっと助けとなるだろうと信じている」


「っ!?」

 真摯な祈りを込めた言葉に、明珠は息を飲む。


 立派な衣を纏い、幼いながらも立派な国王として凛々しく立つ藍圭の姿と、藍圭の隣に寄り添い、あでやかに微笑む初華の姿が、ごく自然に脳裏に浮かんで。


 龍翔が願う通り、藍圭と初華ならば、きっとすぐにそんな未來が来るに違いないと……。


 素直に、信じられる。


 龍翔も季白や張宇達も、そして玲泉も、みなが『花下り婚』の成就のために尽力しているのだ。


 藍圭と初華が幸せになる未来は、絶対に、もうすぐにやってくる。


 龍翔の言葉に、息を飲んだのは明珠だけではなかった。玲泉もまた、驚いたように目をみはる。


「……龍翔殿下から、『清濁あわせ呑む』というお言葉が飛び出すとは……。今までの龍翔殿下の言動を見るに、決して不正を許さぬ潔癖で堅苦しい御方かとお見受けしておりましたが……」


「不正を許すわけではない」

 意外そうな玲泉の言葉に、龍翔が即座に応じる。


「いつまでも悪事をのさばらせておく気はない。だが、急に変えれば、それだけ軋轢あつれきも深くなろう。大事を成就するために、いっとき小事は脇へ置いておくだけだ」


「おや……。龍翔殿下は意外と現実的でいらっしゃるのですね。わたしはてっきり、龍翔殿下は理想を追い求める夢想家かと」


 揶揄やゆもあらわな玲泉の声音に、だが龍翔は怒る様子もなくゆったりと微笑んでみせる。


「理想を目指すことは決して諦めぬ。理想を目指しもせず、ただ漫然と生きることは、わたしには耐えられぬ」


 一瞬、龍翔の黒曜石の瞳にさまざまな感情がよぎる。


 それは第二皇子として生まれながら、母の身分が低かったゆえに他の皇子達から命を狙われるほとうとまれている己を哀しんでいるのか、それでも皇位争いを勝ち抜こうという強い意志なのか、いまだ禁呪に囚われたままの己の無力を嘆いているのか、別の感情なのか……。


 明珠には、すべてを読み取ることは不可能だ。


 ただ、尊敬するこの御方の力に少しでもなれることはないかと――。


 じっとしていられないような衝動が、身体の中で渦巻く。


 だいそれた願いだというのは自分でもわかっている。

 それでも、龍翔のために明珠ができることがあるのなら、どんなことでもしたい。そんな想いが、身体の奥底からあふれてくる。


 龍翔の瞳に光が揺れたのは、ほんの一瞬だった。


 挑むように玲泉を見返したまなざしには、いつもの強い輝きが戻っている。


「だが、理想を追い求めるあまり意に染まぬ者を切り捨て続けていれば、いずれ足元に空いた穴に落ちることだろう。わたしが歩むのは天ではなく、あくまで人の世なのだから。何より、他者を切り捨て続けて目指す場所に辿り着けるとは思わぬ。たとえ、わたしを憎み、うとむ者であっても、そういった者達を含めた民草の上に立ってこそ、国を導くに足る皇帝であろう?」


「さすが龍翔様でございます!」


 誰よりも早く、季白が感動に震える声を上げる。


「なんという素晴らしいお心映こころばえでございましょう! 己に敵対する者まで取り込もうという海よりも広い度量に、高潔なこころざし! この季白、感動の涙が止まりません……っ! やはり、龍翔様こそ、わたくしが全身全霊を捧げてお仕えするべき御方でございますっ!」


 感極まった様子で告げる季白の声は感動に潤み、いまにも男泣きしそうだ。


「季白殿の忠誠心は本当にあついね」

 玲泉が感心とも呆れともつかぬ声をこぼす。


「どうかな? その崇拝する龍翔殿下を皇位につけるために、明順と引き換えに蛟家の後ろ盾を願うかい?」


 玲泉の口調は、あくまでも冗談混じりで軽やかだ。


 だが、その言葉に卓に激震が走る。


 周康が顔を青ざめさせ、張宇が凛々しい眉を寄せる。そして、顔を強張らせた季白が口を開くより早く。


「季白」


 凛とした龍翔の声が、うち乱れる気配をくさびのように縫い留める。


「言っただろう? わたしを信じよ、と」


「っ! その通りでございます!」

 息を飲んだ季白が、恭しくこうべを垂れる。


「龍翔様が進まれる道を疑うなど、臣下としてあってはならぬこと。己の不徳を恥じ入るばかりでございます」


「うむ」

 満足そうに頷いた龍翔が、厳しいまなざしを玲泉に向ける。


「やはり、おぬしを招き入れると、ろくでもないことばかり妄言ばかり聞かされるようだな。これ以上、悪い影響が及ぶ前に、藍圭陛下の元へ参るか。おぬしのことだ。すでに富盈殿と会う段取りまでつけているのだろう?」


「わたしとしては、愛らしい明順と、少しでも長く一緒にいたいのですがね……」


 ふぅ、と吐息した玲泉が、座ったまま卓に身を乗り出したかと思うと、明珠ににこやかな笑みを向ける。


「明順、前にきみに頼まれた通り、藍圭陛下と初華姫様のために尽力したよ。きみから感謝を示してもらえたら、わたしも頑張った甲斐があるのだけれどね?」


「感謝、を……」

 玲泉の言葉をおうむ返しに呟く。


 確かに、以前、玲泉にお願いしたことがある。


 汜涵しかんの離城でようやく藍圭と合流できた時のことだ。「わたしに願いごとがあるのなら言ってごらん?」と玲泉に促され、「藍圭陛下と初華姫様のために、玲泉様のお力をお貸しいただけたら、この上なく心強いです」と玲泉の助力を願った。


 まさか、玲泉は明珠との約束を守るために、富盈との会談をとりつけてくれたのだろうか。


 ふと、そう考え、そんなことはあり得ないとあわてて否定する。


 玲泉は差し添え人として、藍圭と初華のために力を尽くしてくれたのだ。それを明珠がお願いしたからだと思うのは傲慢ごうまん過ぎる。


 明珠の考えを裏づけるように、龍翔が厳しい声を出す。


「玲泉! おぬしの働きは差し添え人として当然の働きだろう!? 感謝ならばわたしがいくらでもしてやる! 明順に見返りを求めるな!」


 龍翔の言うことはもっともだ。そもそも明珠などでは、玲泉が喜ぶお礼ができるとは思えない。けれど。


「あの、玲泉様……っ! 本当にありがとうございましたっ!」


 あわてて立ち上がると、身を二つに折りたたむようにして、深々と頭を下げる。


「瀁淀様と組んでいた富盈様を、藍圭陛下と会わせるように取り計らうなんて……っ! さすが玲泉様ですね! すごいですっ!」


 心の底からの感嘆を口に出すと、なぜか玲泉が押し黙った。


「……玲泉様?」


 顔を上げ、きょとんと首をかしげる。明珠ごときに賞賛されても不快なだけだっただろうか。


 玲泉は片手で口元を覆ったまま、何やら難しい顔で黙り込んでいる。と。


「これは……。思っていた以上の喜びだね」


 口元から手を外した玲泉が、甘やかに微笑む。端麗な面輪はうっすらと紅い。


「賞賛など、いままで数限りなく捧げられてきたけれど……。想う者からの感謝の言葉が、これほど心震わせるとは。どんな美酒よりも甘美だね」


「あの……?」


 謎の言葉を呟く玲泉に、戸惑った声を上げると、不意に玲泉が手を伸ばしてきた。

 が、明珠に届くより早く、ぱしりと龍翔にはたき落される。


「その妄言をやめよと言っているのだ。行くぞ。季白、周康、供をせよ」


 席を立った龍翔が視線を遮るように明珠の前に身を乗り出し、季白と周康に命じる。


「おぬしもだ、玲泉。おぬしが来ねば、そもそも話が進まぬだろう? さっさと来て差し添え人の務めを果たせ」


 龍翔が玲泉を睨みつけて命じると、玲泉が残念そうに吐息して立ち上がった。


「仕方がありませんね。ここで差し添え人の務めを放棄して明順に呆れられるわけにもまいりませんし、藍圭陛下の元へご一緒いたしましょうか」


「行ってらっしゃいませ」

 明珠はあわててもう一度頭を下げる。


「張宇。明順を頼んだぞ」


「お任せくださいませ」

 龍翔の言葉に、立ち上がった張宇が両手をぱしんと合わせて力強く応じる。


 部屋を出ていく龍翔達を、明珠は張宇と一緒に見送った。



~作者からのお知らせ~


 いつも「呪われた龍にくちづけを 第三幕」をお読みいただきまして、誠にありがとうございます!(深々)


 現在、5日に1度の更新で連載しておりますが、私の力不足により、5日に1度の更新が難しくなってまいりました……。

 つきましては、次回の更新より、6日に1度の更新に変更させていただきます。


 長く連載しております第三幕もそろそろ終盤にさしかかろうとしているというのに、誠に申し訳ございません……っ!


 叶うことなら物語のラストまでおつきあいいただけましたら、これ以上嬉しいことはございません。どうぞ、これからも「呪われた龍にくちづけを」をどうかよろしくお願い申しあげます(ぺこり)


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