112 差し添え人として成果を上げてまいりました その1


 雷炎の歓迎の宴が終わった翌々日。


 瀁淀の屋敷に滞在を続けていた玲泉が龍翔を訪ねて来たと、王城の従者が告げに来たのは、明珠が龍翔や季白、張宇、周康の四人で、龍翔の部屋で朝食をとっている時だった。


 ちなみに安理は、宴の日に明珠が寝こけた後、早くも王城を出て、街へ戻ったらしい。


「何? 玲泉が?」


 玲泉の来訪を告げられた龍翔が、不愉快極まりないと言いたげに秀麗な面輪をしかめる。


「わたくしが応対してまいりましょうか?」

 主の表情を読んだ季白がすかさず提案した。


 龍翔がちらりと左隣に座る明珠に視線を走らせ、指示を出すより早く、扉が開けられる。


 姿を現したのは、当の玲泉だった。


「何用だ? まだ入室の許可は出しておらぬぞ?」


 玲泉から庇うように、隣に座る明珠の前に龍翔がさっと左腕を伸ばす。玲泉に向けられた視線は、歩みを縫い留めようとするかのように、針よりも鋭い。 


 だが、龍翔に睨みつけられても、玲泉は悠然としたものだ。


「これはこれは、失礼いたしました」


 足を止め、優雅に一礼して詫びるも、出ていく様子は欠片もない。


「喜ばしい報告を早くお伝えしたい気持ちが先走るあまり、ご許可も得ずに入ってしまいました」


 恭しく告げた玲泉が、不意に明珠に端麗な面輪を向けて甘やかに微笑む。


「それに、久々に愛らしい明順にも逢いたかったですからね。事前に来訪をお伝えすれば、龍翔殿下は奥深くに明順を隠してしまいますでしょう?」


「当たり前だろう? 盗人の前に無防備に宝を置いておく者がどこにいる? 身に覚えがないとは言わせんぞ」


 刃のような鋭く低い声音で龍翔が玲泉を糾弾する。玲泉が端麗な面輪を哀しげにしかめた。


「盗人と非難されるとは……。哀しいことでございます」


 見る者の心まで切なくなるような表情で、玲泉が哀しげに吐息する。


 いつだって公明正大な龍翔が、これほど激しく他者を非難するのは珍しい。いったい、明珠の知らぬところで、龍翔と玲泉の間に何があったのだろう。


 驚きつつも口を出す不敬を働くわけにもいかず、明珠が黙して玲泉を見守っていると。


「ですが、龍翔殿下がわたしを盗人とおっしゃっるのも、もっともなことでございますね」


 不意に、玲泉が晴れやかな笑みを浮かべる。


「愛らしい明順の心を盗んだとがだというのでしたら、盗人という非難も、喜びとともに受け入れましょう」


「手に入れてもいないものを手に入れたなどとたばかるな! どうやら、盗人だけでなく、詐欺師さぎしとも呼ばねばならんようだな」


 叩き伏せるかのように怒りの声を上げた龍翔が、季白と張宇へ命じる。


「わたしは罪人などと話す気はない。季白、張宇。こやつを追い出せ。こやつの妄言を耳にしていては、明順にも悪い影響が出かねん」


「おや、わたしを追い返してよろしいのですか? 差し添え人として、せっかく成果を上げてまいりましたのに」


 季白達が席を立つより早く、玲泉がからかうような声を上げる。季白と張宇が龍翔の決断を仰ぐように主を振り返った。


「……成果とは? くだらぬ内容なら承知せんぞ?」


 玲泉を見据えたまま、龍翔が低い声で問う。


富盈ふえい殿と、ようやく密かに会う段取りがついたゆえ、ご報告に参ったのです」


「何だと?」

 玲泉の言葉に龍翔の表情が引き締まる。


 聞いた覚えのある富盈ふえいという名に、明珠はあわてて記憶を探った。


 確か、造船所へ行った際に、ちょうど造られていた大きな船の持ち主であるた晟藍国一の大商人と呼ばれている人物だったはずだ。


 瀁淀と手を組み、木材を買い占めて、『花降り婚』の妨害を目論んでいるのではないかという疑惑を持たれているいわくつきの人物でもある。


 その富盈と密かに会うとは、どういうことだろう。


 他の面々も同じ疑問を抱いているらしい。一同の視線を集めた玲泉が、優雅な仕草で卓を示す。


「少々込み入った話になりますので、わたしも卓につかせていただいてもよろしいですか?」


「……仕方があるまい。座れ」

 龍翔が空いている席を指し示す。


「わたしは明順の隣が嬉しいのですがね?」


戯言たわごとはよい。さっさと話せ。でなければ叩き出すぞ」

 玲泉の希望を、龍翔がひとことで斬り捨てる。


「仕方がありませんね」


 ふぅ、と芝居がかった仕草で吐息した玲泉が、周康が引いた椅子に腰かける。


「瀁淀の屋敷から馬車で王城に参りましたが、まだ朝とはいえ、やはり晟藍国は暑いですね。《氷雪蟲》が手放せません」


「も、申し訳ありません! すぐに冷たいお茶を……っ」


「わざわざお前がれてやる必要はない。張宇」


 遠回しに飲み物を要望する玲泉に、明珠はあわてて立ち上がろうとする。いまこそ、季白にさんざんしごかれた成果を見せる時だ。


 が、立ち上がるより早く、龍翔に腕を掴んで引き止められる。代わりに、龍翔に名を呼ばれた張宇が、さっと席を立つ。


「おや、明順は淹れてくれぬのですか。残念極まりないですね」


「玲泉様。龍翔様はお忙しいのです。お早く本題に入っていただけますか? それほど飲み物をお望みでしたら、好きなだけ華揺河の水を堪能できるよう、すぐに窓をお開けいたしますが」


 なかなか本題に入ろうとしない玲泉に業を煮やしたのか、季白が厳しい声音で割って入る。


 どう聞いても「華揺河に叩きこむぞ」という脅しにしか聞こえない季白の言葉に、さしもの玲泉も口をつぐむ。


 不敬だと季白が叱責されるのではないかと明珠はひやひやものだが、当の季白は平然としている。むしろ、いまにも張宇に指示を出しそうだ。


「玲泉様、どうぞ」


 張宇が恭しくよく冷えた茶を玲泉の前に置く。穏やかな声音に、わずかに卓の張りつめた雰囲気が緩んだ気がした。


「では、本題をお伝えいたしましょうか。朝も早いこの時間をわざわざ選んで参りましたのは、明順の愛らしい顔を見たいというだけではなく、藍圭陛下にお伝えするより先に、龍翔殿下に話を通しておきたかったためですから」


「先にわたしに?」


 いぶかしげに眉を寄せた龍翔に、玲泉が「ええ」と頷いた。


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