109 ごちそうの夢から目覚めれば その2


「お前はその……。わたしとくちづけするのが、嫌ではないか?」


 予想外のことを問われ、きょとんとまたたく。

 問われた内容を理解した瞬間、一瞬で頬が熱くなった。


「そ、そそそそそそんな……っ! き、《気》のやりとりが嫌だなんてことは決して……っ!」


 ぶんぶんぶんっ、と千切れんばかりに首を横に振る。


「い、嫌じゃないですっ。嫌じゃないんです、けど……っ」


 明珠が雇われているのは龍翔の禁呪を解呪するためなのだから。

 お給金をいただいておいて、仕事ができませんなんて、口が裂けても言えない。


「けど……。何だ?」


 龍翔が、先ほどの答えだけでは納得しかねると言いたげに問いを重ねる。


 確か、以前にも龍翔とこんなやりとりをした気がするのだが、龍翔は急にどうしたのだろう。


 疑問に思いつつも、明珠は以前と同じ答えを口にする。


「《気》のやりとりは嫌じゃないです。でも……。やっぱりその、は、恥ずかしくて緊張してしまって……っ」


 どうしていつまで経っても、龍翔の唇がふれるだけで、こんなにどきどきしてしまうのだろう。


 いまだって、鼓動がばくばくと高鳴って、口から心臓が飛び出しそうだ。


「ふ、ふがいなさに呆れてらっしゃいますか……?


 情けなさに泣きそうになりながら問いかけると、なぜかふはっと吹き出された。


 呆気にとられる明珠に、龍翔が蜜のように甘やかに微笑む。


「呆れたりなど、するはずがなかろう? むしろ、いつまでも初々しいお前が愛らしくて……。いっそう大切にせねばという気持ちがあふれてくる」


「ふぇっ!?」

 思いもかけない言葉に、すっとんきょうな声が飛び出す。


「な、なななななにを……っ!?」


 ふるふるとかぶりを振った拍子に、まなじりにたまっていた涙のしずくが、ぽろりと頬に伝い落ちた。かと思うと。


 身をかがめた龍翔が、ちゅ、と明珠の濡れた頬にくちづける。


「ひゃっ!?」


「……すまぬ。以前にも尋ねたというのに……。季白の言に惑わされ、もう一度、確かめずにはいられなくなった。」


「季白さんの……?」


 鬼上司の名前に、身体に緊張が走る。


「私がふぬけていると怒ってらっしゃったんでしょうか……? そうですよね。季白さんと張宇さんは、夕べごちそうを食べられなかったのに、私と安理さんだけがいただいてしまって……っ! 季白さんが怒られるのも当然――」


「そうではない。大丈夫だ。季白はお前に何も怒っておらぬ」


 苦笑をこぼした龍翔が、よしよしとあやすように明珠の頭を撫でる。


「ただ、季白がお前に提案したいことがあると――」


「龍翔様。まだ休まれておいででしょうか? そろそろ朝食を召し上がって支度をなさいませんと。本日は、藍圭陛下や雷炎殿下とともに、『花下り婚』の舞台を見に行かれるのでしょう?」


 龍翔が何やら言いかけたところで、内扉を叩く音とともに、ちょうど話題に出た季白の声が聞こえてくる。


「大丈夫だ。すでに起きておる。藍圭陛下をお待たせするわけにはいかぬからな。すぐに朝食にしよう。支度を頼む」


 振り返らずに扉の向こうの季白に命じた龍翔が、ひたと明珠を見据える。


「よいか? おそらく、季白から思いがけぬ提案があるかと思うが……。お前の心のままに決めてよいのだぞ? お前がどのような決断をくだそうとも、決して季白に文句は言わせぬ。張宇も同席するよう命じておるゆえ、安心してお前が望むように決めればよい」


「は、はあ……?」


 いったい、季白に何を言われるのだろうか。龍翔の言葉からでは予想がつかない。


 口ぶりからすると、どうやらクビを言い渡されるわけではなさそうだが……。


 が、先ほどの龍翔の問いかけから察するに。


「そ、その……っ。季白さんからの提案というのは、もっと長く、く、くくくくく……っ、えっと、《気》のやりとりをするようにとか、『鍛錬』をするようにとか、そういうことなんでしょうかっ!?」


 燃えるように頬が熱を持つのを感じながら、主を見上げて必死に問うと、龍翔が目をみはって固まった。


「……いや、それはその、わたしとしては望むところではあるが……」


 秀麗な面輪をうっすらと染めた龍翔が戸惑いがちにこぼしたところで、ふたたび内扉が叩かれる。


「龍翔様。お食事はすでに隣室に運び込んでおりますが、お着替えはなさいますか?」


「ああ、すぐに行く」


 季白に応じた龍翔が、明珠の髪をくしゃりと撫でる。


「季白の提案というのは、《気》のやりとりのことではないゆえ、安心せよ。……というか、これ以上は、わたしが抑えが効く自信がない……」


「……?」


「ともあれ、わたしは隣室で着替えてくるゆえ、お前も着替えるとよい」


「は、はいっ」


 腕をほどいた龍翔がきびすを返す。

 明珠も頷くと、急いで衝立の向こうへ駆け戻った。


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