109 ごちそうの夢から目覚めれば その1


 目の前に広がっているのは、龍翔が厚意で用意してくれた歓迎の宴に出されているものと同じごちそうだ。


 ひとくち口に入れるだけで、おいしさに頬が融け落ちる心地がする。


「おいしくって幸せです~っ! ええっ! おかわりまでいいんですか!? ありがとうございます……っ!」


 笑顔で次の皿を差し出してくる安理に、喜びの声を上げた明珠は、ふはっ、とこらえきれないようにこぼされた笑い声に、はっと夢から目が覚めた。


 ぎゅっと腕に抱きしめているのは、はしでも料理の皿でもなく、ふこふこのお布団だ。


 とっさに状況がつかめず、ぼんやりしていると、衝立ついたての向こうから耳に心地よい美声が聞こえてきた。


「どうやらよい夢を見ていたようだな。起こしてしまってすまぬ」


「と、とんでもないですっ! すみませんっ!」


 がばりと布団をはねのけて飛び起きて、自分がお仕着せのまま寝こけていたことにようやく気づく。


 同時に、夕べは龍翔が雷炎の歓迎の宴に出ている間、安理と二人で留守番をしていたことを思いだした。


 そうだ。龍翔が留守番の安理と明珠のために、わざわざ宴に供されるものと同じ料理を用意してくれて、それで安理と楽しくおしゃべりをしながらごちそうをいただいて……。


 おなかいっぱい食べても、龍翔はまだ帰ってこなくて。


 先に眠っていていいと事前に言われていたものの、主人を放って先に休むわけにはいかないと、季白特製の教本を読んで、勉強していて……。


「すみませんっ! 私、夕べうっかり寝こけちゃったみたいで……っ!」


 衝立の向こうへ駆けると、回り込んだところで、こちらへ歩んできた龍翔とぶつかりそうになった。


「ひゃっ!?」


 あわてて止まろうとするも、勢いを殺しきれず、とすっと龍翔にぶつかってしまう。


「す、すみません……っ」


 もはや何に謝っているのか自分でもよくわからぬまま謝罪し、抱きとめてくれた龍翔から身を離そうとする。が、龍翔の腕はほどけない。


「あ、あの……?」


 戸惑いながら長身の主を見上げると、龍翔が柔らかな微笑みをたたえ、明珠を見下ろしていた。


「夢に見るほど、夕べの料理を気に入ってくれたのか? お前にもと、用意をさせた甲斐があった」


「は、はいっ! ほっぺが落ちるかと思うほどおいしかったです! 本当にありがとうございます!」


 昨日のごちそうのおいしさは、思い出すだけで顔が緩みそうになってしまう。

 こくこくこくっ、と勢いよく頷くと、龍翔の秀麗な面輪が甘やかな笑みに彩られた。


「そうか。お前が喜んでくれたのなら、わたしも嬉しい」


「ですが、申し訳ありません。龍翔様はご公務で大変だったというのに、私だけのんきにごちそうを楽しませていただいて……。季白さん達だって、宴には出られたものの、ずっと後ろに控えていて、食べることはできなかったのでしょう? それに、龍翔様がお戻りになる前に、寝こけてしまうなんて……」


 情けなさにしゅんと視線を落とすと、大きな手のひらに優しく頭を撫でられた。


「気にせずともよい。もともと、先に寝ていてよいと言っておいただろう? わたしの帰りを待とうと、限界まで眠気にたえてくれていたのだと、安理から聞いたぞ」


「あの、ありがとうございました! その……。龍翔様が寝台まで運んでくださったんですよね……?」


 おずおずと問うと、「ああ、そうだ」ときっぱりした頷きが返ってきた。


「お前の愛らしい寝顔を、他の者に見せるわけにはいかぬからな」

「ふぇっ!?」


 とんでもない言葉に、思わずすっとんきょうな声が飛び出す。龍翔の冗談は、いつも心臓に悪すぎる。


 身じろぎして龍翔の腕の中から逃げようとすると、それよりも早く、「龍玉を」と促された。


「は、はい……っ」


 お仕着せの上から守り袋を握りしめ、ぎゅっと固く目を閉じると、抱き寄せていた腕の片方をほどいた龍翔が、顎に手をかけ、くいと持ち上げた。


 龍翔の衣にめられた香の薫りがかすかに揺蕩たゆたい、唇が柔らかなものにふさがれる。


「……ああ、やはりどんな菓子よりも甘いのはお前だな」


 唇を離し、謎の言葉を呟いた龍翔が、身を離そうとした明珠を「まだだ」と引き留める。


「夕べは、宴の前に《気》をもらっただけゆえ。まだ、足りぬ」


 あたたかな呼気がまつげを揺らしたかと思うと、ふたたび唇が下りてくる。


 先ほどよりも、深いくちづけ。長い指先が顎から頬をたどって耳朶じだへとすべり、くすぐったさに「んぅ」と思わず声が洩れる。


 途端、くちづけがさらに深くなり、驚きに心臓がぱくんと跳ねた。


 反射的に身を引きそうになるが、腰の後ろに回された力強い腕が許してくれない。


 明珠の息が苦しくなる前に唇が離れ、ほっとするも、ぎゅっと強く抱き寄せられてうろたえる。


「あ、あの……っ!?」


「このまま……」

 たくましい胸元にぎゅっと明珠を抱き寄せた龍翔が、低い呟きを洩らす。


「は、はいっ! なんでしょうか!? 何か粗相をしてしまいましたかっ!?」


 龍翔の声の低さに、何か気に障ることをしてしまったかと不安になる。


「す、すみませんっ、その……っ。いつも、つい唇を引き結んでしまって……」


 いけないとわかっているのに、緊張のあまり、いつも無意識に唇を引き結んでしまう。


「あ、呆れてらっしゃいますか……?」


 不安のあまりじわりと目が潤む。


 おずおずと龍翔を見上げると、明珠を見下ろす真剣なまなざしにぶつかり、身体に緊張が走る。


 それでも、龍翔の叱責を受け止めねばと、硬く張りつめた秀麗な面輪を見つめていると。


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