108 主への進言 その2


「やはり、お前と季白の目はあざむけんな。……確かに、このところ、どうにも身体が重いような気がしておる」


「それはいけませんっ! すぐに晟藍国一の名医を手配していただきましょう! いいえっ! 医師など待っていられません! 先にわたしが……っ!」


「落ち着けと言っているだろう?」


 張宇の手を振り払いそうな勢いで身を乗り出した季白を、龍翔が穏やかに押しとどめる。


「熱などはまったくないのだ。ただ、どうにも寝ても疲れがとれきれぬというか、だるさが続いているというか……。たいしたことではない」


「わたしにとっては一大事でございますっ! 大切な龍翔様の御身に何かあったらと思うと……っ! 心が千々に乱れて、いても立ってもいられませんっ!」


 必死な形相で訴えかける季白を、龍翔が「本当に、たいしたことはないのだ」となだめる。


「おそらく、気温の高さに身体がついてきていないのだろう。《氷雪蟲》があるとはいえ、逆に言えば屋外と室内での気温差が激しいからな。最近はあちらこちらへと出入りも多いゆえ……。玲泉のせいで、気苦労も多いことだしな」


 吐息とともに吐き出された龍翔の言葉に、季白の切れ長の目に不穏な光が宿る。


「龍翔様を悩ませるなど、万死に値する罪です! ……やはり、瀁淀の仕業に見せかけて、玲泉様を排してしまったほうがよろしいでしょうか……?」


「おい季白! あれは冗談じゃなかったのかっ!?」


 物騒極まりないことを呟く同僚に、張宇は思わず突っ込む。季白があっさりとかぶりを振った。


「半分以上は本気でしたよ。龍翔様のお役に立つために身を捧げられるなんて、喜び以外の何物でもないでしょう!?」


「……お前はそうだろうが、玲泉様は絶対に違うご意見だと思うぞ……」


 季白はふだんは冷徹なくせに龍翔が絡むと、ときどきとんでもないことを言い出す。


 はぁああっ、と吐息した張宇には、気遣いをこめて尊敬する主を見た。


「龍翔様。明珠のことでしたら、どうぞ俺にお任せください。周康殿も復帰して、少しは警護の人員に余裕ができましたし、龍翔様がご不在の間は、俺がしっかり明珠を守りますから。玲泉様も他の不埒者ふらちものも、決して明珠に近づけたりなどいたしません」


 明珠が哀しむのも、龍翔が怒るのも、どちらも張宇の望む事態ではない。


 固い決意をこめて告げると、龍翔の表情がやわらいだ。


「そうだな。頼む、張宇。わたしが不在の間は、お前が明珠を守ってやってくれ。お前が守ってくれれば、わたしも安心だ」


「はい! お任せください!」

 拳と手のひらを胸の前でぱしりと合わせ、力強く請け負う。


「それで、季白の提案についてだが――」


 表情を改めた龍翔が、季白に視線を向ける。


「遼淵に明珠を娘として正式に認めさせるという案は、確かに、玲泉に対して一定の抑止力となろう。……明珠から聞いた話では、義父の寒節かんせつは明珠を可愛がっておらぬようだからな。万が一、明珠の素性を知られた際、寒節なら蛟家の富に目がくらんで、明珠を売り飛ばす事態も十分にありえる。会ったことはないが、寒節に比べたら遼淵のほうがまだましだろう」


 怒りをはらんだ龍翔の声が低くなる。


「だが、明珠は腹違いの弟の順雪をことのほか可愛がっておる。わたしに仕えてくれているのも、順雪に仕送りをしてやりたいがためだろう?」


「まあ、借金返済のためでもありますが。そちらは給金から天引きしておりますが、微々たる額ですからね。つなぎとめる鎖を、そう簡単に手放すつもりはございませんから」


 季白が極悪人に等しいことをさらりと言う。張宇は、将来もし金に困るような事態があったとしても、季白にだけは借金はするまいと、心の中でひそかに決意する。


「先に申しあげておきますが、たとえ、龍翔様のご命令であろうとも、借金を帳消しにしてやるつもりはございませんので」


 龍翔が何か言うより早く、季白がきっぱりと表明する。張宇はため息をついて同僚をたしなめた。


「お前はそう言うが、明珠はきっと、たとえ借金がなくなったとしても、おいとまをもらいたいなんて言いださないだろう? 前に、黒曜宮の雑用係でもなんでもいいから、お仕えさせてもらいたいと言っていたくらいだし……」


「さすが龍翔様でございます! ひとたびお人柄にふれれば、感服し、ずっとお仕えしたくなるのは当然のことでございますからね!」


 季白が満足そうに頷き、龍翔を持ち上げる。


「わたしも、明珠を借金で縛るのはどうかと思うが……。まあ、その話は後日でよい。それよりも」


 龍翔の黒曜石の瞳が、ひたと季白を見据える。


「遼淵に明珠を正式に娘と認めさせるのはよい。だが、明珠と順雪の縁が切れぬよう、重々注意して取り計らってやってくれ。遼淵と順雪に血のつながりはないが、順雪も蚕家に引き取るもよし、蚕家が後見人につくもよし……。明珠を哀しませる事態だけは、決して引き起こすな」


 張宇は龍翔の細やかな気遣いに我がごとのように嬉しくなる。


「明珠は順雪を本当に大事に思っておりますからね。蚕家の娘となっても、順雪との縁が切れぬとわかれば、喜ぶことでしょう」


 笑顔で告げると、「うん?」と龍翔がいぶかしげに眉を寄せた。


「……もしや、明珠にはまだ一言も告げておらぬのか?」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る