108 主への進言 その1


「季白、龍翔様がすでにご就寝なさっていたら、進言はまたの機会にしろよ」


 念のため、張宇は季白に釘を刺す。


 季白の場合、必要とあらば、眠っている龍翔でさえ叩き起こしそうだ。慣れぬ異国で『花下り婚』の準備に忙しくしているせいだろう。最近の龍翔には疲れがにじんでいるように見える。もしすでに眠っているのなら、ゆっくり休んでほしい。


「わかっております。ですが、あなたも同席したいというのなら、いまが一番都合がよいでしょう?」


 が、季白はあっさり告げると、


「龍翔様。季白ですが、まだ起きてらっしゃいますでしょうか?」

 と、口調だけは恭しく扉を叩く。


 夜更けなので遠慮がちな音に、部屋の中からはすぐに龍翔の声が返ってきた。


「ああ。まだ起きておる。……何かあったのか?」


 いぶかしげな龍翔の声とともに、内側から扉が開けられる。姿を現したのは、夜着に着替え、長い髪をほどいた龍翔だ。龍翔が喚んだのだろう光蟲が、しなやかな長身を照らしている。


「申し訳ございません。お休みのところを起こしてしまったのではありませんか?」


 深々と頭を下げた張宇に、龍翔の穏やかな声が降ってくる。


「いや、大丈夫だ。つい先ほど着替えたばかりだからな。それより、いったいどうした? お前と季白がそろってこんな夜中にわたしを訪ねてくるとは……。何かよからぬ事態でも起こったのか?」


 声に緊張をにじませる龍翔に、張宇はあわてて「いえ……っ!」とかぶりを振る。淡々と口を開いたのは季白だ。


「明順のことで、龍翔様にご了承いただきたいことがあるのです。玲泉様への対策を取るなら、少しでも早いほうがよいかと思い、夜分にもかかわらずうかがわせていただきました」


「明順の?」


 形よい眉を寄せた龍翔が二人を招き入れかけ――。


「いや、もう明順が眠っておるからな。話ならば隣室で聞こう」


 張宇と季白が通った扉に内側からしっかりとかんぬきをかけた龍翔が、隣の従者用の部屋へ続く内扉を開ける。


 確かに、明珠が眠る隣で話をして、万が一、起こしてしまってはかわいそうだ。季白がこれから話す内容を考えるに、龍翔が声を荒げる可能性も十分ありえる。


「それで、明珠についての話とは何なのだ?」


 張宇が内扉を閉めるのを待って、龍翔が口を開く。


「《光蟲》」


 と龍翔が喚ぶと、さらに数匹の《光蟲》が現れ、あかりひとつなかった室内を明るく照らす。


 季白がひとつ咳払いすると、敬愛する主の面輪を見つめ、おもむろに口を開いた。


「龍華国へ戻った際の話になりますが……。玲泉様の魔の手から明珠を守るため、遼淵様に明珠を正式に娘として認めていただいてはどうかと考えているのです」


「遼淵に?」


 眉を寄せた龍翔に、頷いた季白が滔々とうとうと張宇達に話したのと同じ内容を説明する。


 明珠が名家である蚕家の娘となれば、玲泉とて無体には扱えぬこと。


 遼淵の性格ならば、蛟家が正式に明珠との婚姻を求めても確実に拒否すること。


 明珠の存在が明らかになれば、政敵達が明珠を龍翔の弱点だとみなすだろうが、その点は季白達も心を砕くため心配は無用である点と、ここでも変わり者と名高い遼淵の娘である明珠にあえて手を出す愚か者は少ないだろうということ……。


 黙して季白の説明を聞き終えた龍翔が、静かに口を開く。


「季白。お前の言い分はわかった。確かに、蚕家と遼淵の名は、明珠をある程度守る盾となろう。だが……。明珠を遼淵の娘として公表するなら、その前に考えねばならぬことがあろう?」


 季白の糸を掴みかねると言いたげに、龍翔が疑問を口にする。


「明珠はいま、『明順』という少年従者としてわたしに仕えているが……。『蚕家当主の娘・明珠』となれば。わたしに仕えるわけにはいかぬだろう? 蚕家の娘を侍女として扱うわけにはいかぬという点は、お前も理解しておろう? わたしが明珠と半日以上、離れられぬということもその点については、どうするつもりだ?」


「もちろん、その点もぬかりなく考えてございます」


 主の疑問に、季白が即答する。


「明珠が『明順』として龍翔様にお仕えできぬのなら、別の形で仕えさせればよいだけのこと。遼淵様が明珠を正式に娘と認めたあかつきには――。龍翔様の仮の婚約者として、おそばに置けばよいのです」


「……こ……」


 龍翔が、呆然と声を洩らす。龍翔が幼い頃から長年仕えている張宇だが、龍翔がここまであっけにとられた顔は、初めて見た。


 と、龍翔の目が吊り上がる。


「こ、婚約者だとっ!? しかも何だ!? 『仮』というのは!? ……こ、婚約者、など……っ」


 叫んだ龍翔の声が途中で弱々しくしぼんでゆく。


 口元を片手で覆った龍翔が、ふいと顔を背けた。秀麗な面輪はうっすらと紅い。


「龍翔様っ!? どうなさいましたか!? ……はっ! 最近、お身体が不調のように見受けられましたが、もしや多忙のあまり体調が……っ!?」


 血相を変えた季白が龍翔にすがりつく。


 いや、今のこれは明らかに違うだろう、と張宇は変なところで節穴な同僚に心の中でつっこむ。


 もしかしたら、季白の現実を認めたくない心が逃避させているのかもしれないが。


 案の定、龍翔が、


「違う。不調ではない」


 と、かぶりを振りながらすがりつく季白を引きはがそうとする。が、季白も引かない。


「いいえっ! この季白の目はごまかせませんっ! ここ最近の龍翔様は、どこか覇気はきが欠けてらっしゃいます! いえっ、それでも点に座す星々よりも輝かしく、素晴らしくていらっしゃるのが龍翔様でございますが……っ!」


「落ち着け季白。そんなにすがりつくな。張宇、お前も変な顔をしていないで、季白を引きはがすのを手伝え」


 放っておけば、夜着を脱がせ、くまなく身体を調べだしそうな様子の季白に、龍翔がうんざりした顔で張宇に命じる。


「おい、季白……」


 季白の肩を掴み、龍翔から離しながら、だが張宇もまた、気遣わしげな視線を龍翔に向けた。


「ですが、龍翔様。季白の言をまったくの妄言とも言い切れません。俺の目から見ても、疲れてらっしゃるように見受けられます。いまは『花降り婚』前の大切な時期。体調を崩すわけにいかぬのは、藍圭陛下や初華姫様だけでなく、龍翔様も同様でございます。もし、体調にご不安があるようでしたら、どうか大事になる前にお教えください。俺や季白で補えることは何でもいたしますから」


 政敵が多い龍翔は、弱みを見せまいとするあまり、季白や張宇にさえ、不調を隠す時がある。


 心配をかけまいとする龍翔の気遣いだとわかってはいるが……。


 せめて、張宇や季白には、遠慮なく頼ってほしい。


 真摯な気持ちをこめて告げると、龍翔が困ったように苦笑した。

 だが、その表情は隠しごとが見つかって、どこかほっとしているようにも見える。


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