107 従者達は真夜中に語らう その1


「えーと、張宇サン? これはいったい、どういう状況なんスか?」


 部屋の扉が開いたかと思うと、呆れ顔の安理に問われ、張宇はほっと安堵の息を吐き出した。


 いや、相手が安理なので完全に油断するわけにはいかないが、安理が尋ねたくなるのも仕方あるまい。


 戸口付近では季白が両膝を床につき、恍惚こうこつの表情を浮かべたまま、忘我の極致に行ったきりだし、椅子に座る周康は対照的に卓に両肘をつき、頭を抱えて悲愴な顔つきで何やらぶつぶつ呟いている。


 と、安理の声に触発されたかのように、季白ががばりと顔を上げた。


「ああ……っ! 確固たる碁石を貫く龍翔様のなんと気高く凛々しいことか……っ! わたしの浅はかな企みなど、たやすく打ち伏せる強靭きょうじんなお心……っ! やはり、龍翔様はわたしのすべてを捧げてお仕えするに値する素晴らしい御方です……っ!」


「あー……。季白サンはいつものヤツっスね」


 恍惚にあふれた表情でいまにも感動の涙を流しそうな季白の様子に、安理が慣れた様子で呟く。


 張宇もこんな様子の季白は見慣れているので、季白についてはまったく心配していない。むしろ。


「龍翔様があの小娘を、と望まれるのでしたら、この季白、己の感情はいったん脇に置き、全力で龍翔様のお望みを叶えようではありませんか! 鈍感で変に図太くて予想の埒外らちがいのことばかり引き起こす、頭痛の原因にしかならぬ小娘ですが、まったく価値がないというわけでもないのです! まずは――」


「おい季白、落ち着け」


 明珠に失礼極まりないことを言い、ゆらりと立ち上がった季白に、張宇はすかさずつっこむ。


「お前の篤い忠誠心はわかっているが……。龍翔様は、お前に何も指示を出されなかっただろう? 勝手に暴走するなよ?」


 声の調子を強め、しっかりと釘を刺す。


 有能なのはよいことだが、下手に実行力があるだけに、季白が暴走したら、いったいどんな騒動が巻き起こされるやら……。


 今までもさんざん巻き込まれている身としては、気が気でない。


 ただでさえ、今は『花降り婚』が間近に迫っている大事な時期なのだ。


 敵か味方が判然としない雷炎がいる上に、玲泉が明珠を狙い続けているこの状況で、さらなる騒動が起こるなど……。


 本気で、勘弁してほしい。


「龍翔様が何のために晟藍国へ来られているか、お前ならわかっているだろう? 最たる目的は、つつがなく『花降り婚』を成就させることだ。明珠のことは、無事に婚礼が終わってからでいい。順番をはき違えるなよ? いや、むしろ、お前や周りの者は下手な口出しをしないほうが――」


「わかっていますよ。わたしが優先順位を誤るはずがないでしょう?」


 張宇の諫言かんげんに季白が表情を引き締めて言い返すが……。

 正直、不安しかない。


 仕事に関しては、有能極まりない季白だが、こと恋だの男女の機微だのといった繊細なことに関しては、季白も明珠のことをどうこう言えないほどのぽんこつぶりだと、長年のつきあいである張宇は知っている。


 なんせ、季白ときたら、すべてにおいて龍翔が第一で、浮いた話ひとつないのだから。


「いや~、オレとしては、張宇サンの心配が的中するほうに賭けるっスけどね♪」


 腹を抱えて笑いながら口をはさんだのは安理だ。


「おい安理! 的中しないようにお前も止めろ!」


 自分が楽しむことしか考えてなさそうな様子の安理を、尖った声で叱りつける。

 が、安理は柳に風とばかりににへらと笑って、張宇の怒声を受け流した。


「やっだなぁ~、張宇サン♪ オレだって、明珠チャンを泣かせたいワケじゃないんでね? 季白サンが無茶をしそうになったら、ちゃんと止めるっスよ~♪」


「確かに、お前が明珠を泣かせたら、龍翔様にご助力して、俺も一緒にお前を叩っ斬るつもりだが……」


「こわっ! さらっと怖いコト言わないで!? 張宇サンに本気で狙われたら、オレも無事じゃ済まないっスから!」


 どこまで本気なのか、恐ろしげに震える安理の軽口を無視し、視線に圧をこめる。


「止めるなら、気づいた時点ですぐに止めろよ? 騒動になったほうが面白そうだからって、危なくなるぎりぎりまで放っておいたりするなよ?」


「えぇ……」

「おいっ! 何だその不満そうな顔は!?」


 一瞬、季白と安理が手を組んで、蚕家に泊まった時のようなことが起こる前に斬っておいたほうが……。などという考えが張宇の心をよぎるが、意志が形を成すより早く、不穏な気配を感じ取ったらしい安理が、にぱっと笑う。


「やっだな~♪ 大丈夫っスよ! ちゃんと季白サンの暴走を止めたらいいんスよね~♪ とゆーワケで、さっそくご注進するんスけど……」


 安理の視線を追えば、立ち上がった季白が頭を抱えている周康に詰め寄っている。


「周康殿! ここから蚕家の遼淵殿に《渡風蟲》で文を送ることは可能ですよね!? ……周康殿?」


 さすがに季白も周康の様子がただならぬことに気づいたらしい。


 いぶかしげに名を呼んだ季白に、頭を抱えていた両手を外した周康がのろのろと顔を上げる。揺れる瞳には、すがるような悲愴な光が宿っていた。


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