105 渦巻く懸念 その4


「……いいえ。たとえ芙蓮姉様と瀁汀の婚約が破棄され、雷炎殿下が姉様を求められたとしても、晟藍国の王として、その申し出をお受けするわけにはいきません」


 藍圭が澄んだ声できっぱりと宣言する。


「理由をうかがってもよろしいですか?」


 興味深そうに問いかけたのは玲泉だ。黒い瞳を輝かせて藍圭を見る様は、弟子を見守る師のようだ。


 玲泉の問いを受けた藍圭がこくりと頷き、説明する。


「瀁淀と瀁汀が罪人となれば、血筋が絶えてしまう事態も考えられます。罪を償ったとしても、少なくともわたしの治世の間に高官として返り咲くことは難しいでしょう。となれば、《霊亀れいき》を喚べる血を受け継ぐのは、わたしと姉様のみ……。《霊亀》を喚び出せる血を晟藍国に留め置くという点からも、姉様を他国に嫁がせる事態は避けるべきだと考えます」


「藍圭陛下のおっしゃる通りです。わたしも、芙蓮姫は藍圭陛下のお味方となるのが確実な晟藍国の高官の誰かとめあわせるのがよろしいかと考えます」


 玲泉が弟子から満点の回答を得た師のように微笑む。


 しゃくなことだが、龍翔も玲泉とまったく同じ考えだ。


 晟藍国も震雷国も、『花降り婚』の制度がある龍華国ほど他国との婚姻に神経質なわけではないが、それでもやはり、《霊亀》や《焔虎》の力が他国に流れるのを積極的によしとしているわけではない。


 婚姻を結ぶ際に、もし《焔虎》の力が発現したら、震雷国で引き取るという盟約を交わしている場合もあると聞く。


 晟藍国においても、《霊亀》を召喚できる者が数少ない現状では、芙蓮は晟藍国の貴族と娶せたほうがよいに決まっている。


「そういえば、芙蓮姫は《霊亀》を召喚することは可能なのですか?」


 一般的に、術師としての力は、女人よりも男のほうが発現しやすいと言われている。

 龍翔の問いに、藍圭がかぶりを振った。


「いいえ……。わたしが知る限り、姉様は《霊亀》を喚び出すことはできません」


 補足するように口を挟んだのは魏角将軍だ。むせび泣きしそうになっていた衝動は、ひとまず治まったらしい。


「いま現在、晟藍国において《霊亀》を喚び出すことができるのは、藍圭陛下と瀁淀、瀁汀の三人のみでございます」


 瀁淀が国王である藍圭をないがしろにするほどの力を振るえていたのは、大臣の地位についているというだけでなく、自分も王族の血を受け継ぎ、《霊亀》を喚ぶことができるからに違いない。


 魏角の言葉に玲泉が頷く。


「なるほど……。雷炎殿下が宴でさほど芙蓮姫に興味を引かれていなかったのは、そのためかもしれませんね。ですが、芙蓮姫が生む男子に、《霊亀》の力が受け継がれぬとも限りません。ここはやはり、先ほど申し上げた通り、芙蓮姫には晟藍国内で縁づいていただくのがよろしいでしょう。さらに言うなら、お相手は、藍圭陛下に忠誠を誓う高官を選ぶことが重要かと」


「わたしに忠誠を誓ってくれる高官、ですか……?」


「そうでございます」

 藍圭の言葉に、玲泉が力強く頷く。


「藍圭陛下の治世を長く安定したものにするためには、そもそも敵となりうる者を作らぬことが肝要です。忠誠も思慮もない者が《霊亀》の力を手に入れれば、未来の国王の父として権力を振るいたいという欲望に取りつかれぬとも限りませんから」


「なるほど……」

 藍圭が感心したように頷く。と、


「申し訳ございません」


 初華が身を縮めるようにして藍圭に頭を下げた。


「わたくしが芙蓮姫を雷炎殿下にきつけてしまったせいで、このような事態に……。もっと慎重に動くべきでしたわ」


「いえっ、そのようにおっしゃらないでください!」


 あわててかぶりを振った藍圭に続き、龍翔も口を開く。


「そうだぞ、初華。芙蓮姫に雷炎殿下への興味を植えつけたのは、わたしから目をそらすためと、雷炎殿下にぶつけることで、人となりを推し測る目的もあったのだろう?」


「それは、そうですけれど……」


 龍翔の言葉に頷くも、初華の表情は浮かないままだ。


「お兄様以上に芙蓮姫の興味を引く御仁となれば、雷炎殿下しかいらっしゃないと思ったのですけれど……。軽率でしたわね」


「初華、お前が詫びる必要はない。そもそも、玲泉が下劣極まる策をくわだてたのが発端なのだからな!」


 「龍翔が芙蓮姫とむつみ合っている」などという事実無根の讒言ざんげんで明珠の耳を毒し、手に入れようとした怒りがふたたび湧き上がり、鋭く玲泉を睨みつける。


 ひやりと発された圧に、季白達が表情を引き締めるが、当の玲泉は柳に風とばかりににこやかに笑って受け流す。


「おお怖い。ですが、芙蓮姫を瀁淀から引き離し、こちらに取り込めたのですから、よかったではありませんか」


「結果論だろう! お前がその裏で何を企んでいたのか、知らぬとは言わせんぞ!」


 叶うならば、今すぐ首を斬り飛ばすか、華揺河に叩き込んでやりたい。


 玲泉を睨む龍翔に初華が加勢する。


「玲泉様。いっそのこと、責任を取って玲泉様が芙蓮姫を娶られてはいかが? 龍華国の押しも押されもせぬ名家の嫡男ちゃくなんですもの。芙蓮姫もさぞ熱心に口説いてくださると思いますわ」


「女人にふれられぬわたしがですか? ご冗談を」


 一笑にふした玲泉だが、初華のまなざしから本気であることを悟ったらしい。端正な面輪がひきつる。


「お互いが不幸にしかならぬ結婚は避けるべきでしょう。そうですな……。では、芙蓮姫のお相手は、浬角殿ではいかがです?」」


「わ、わたしですか!?」


 突然、名前を挙げられた浬角が、すっとんきょうな声を上げる。玲泉が泰然と頷いた。


「浬角殿はまだ独り身でいらっしゃるのでしょう? 武人としても名高く、男ぶりも優れてらっしゃる。何より、藍圭陛下の一番の忠臣でいらっしゃる。藍圭陛下を裏切る事態など、未来永劫起らぬでしょう?」


「もちろんです! わたしが藍圭陛下を裏切るなど……っ! 天地がひっくり返ってもありえません!」


 浬角が間髪入れずに断言する。玲泉が満足そうに頷いた。


「ではやはり、適任なのは浬角殿でしょう。芙蓮姫は、あの通り浮ついたところがある御方ですが、浬角殿なら、見事にぎょしてくださるに違いありません。魏角将軍という重鎮が義父となられますし……。芙蓮姫も少しは落ち着くのでは?」


「ま、待ってください! そんな勝手に……っ!」


 滔々とうとうと持論を展開する玲泉に、浬角があわてて抗議の声を上げる。


「急にそんな提案をされても困ります! それにわたしは、藍圭陛下が治世を確固たるものになさるまで、粉骨砕身してお仕えすると固く決めているのです! 女人にうつつを抜かしている暇などありませんっ!」


「浬角殿! そのお気持ち、わかります!」


 琴線にふれるものがあったのだろう。それまで黙していた季白が大きく頷く。浬角が味方を得て、ほっとしたように表情を緩ませた。


 が、勢いづいた季白は止まらない。


「すべてを捧げられる素晴らしい主に出会えたことは、僥倖ぎょうこう以外の何物でもありませんっ! わたしも、龍翔様の御為ならば、どのような苦難であろうとも、よろこびへと変わるのですから! 龍翔様の素晴らしいお人柄にふれていれば、並の女人になど、心動かされてるものではありません! むしろ邪魔です!」


 きっぱりと季白が断言する。


「……い、いやその……。まったく女人に興味がないとまでは申しませんが……」


 浬角をしても、季白の忠誠の篤さは理解の埒外らちがいなのだろう。浬角が若干、引き気味の顔で弱々しくこぼす。


「ふくくくく……っ。いやはや、龍翔殿下は愛されておりますねぇ……」


 くつくつ喉を鳴らしたのは玲泉だ。


「当然でございます! わたしは身の心も龍翔様に捧げておりますから!」


 気合いの入った季白の宣言に、こらえきれないとばかりに玲泉が吹き出す。


「ままならぬものですね。龍翔殿下が身も心も捧げてほしいと欲しているのは、別の者でしょうに……」


「黙れ。余計なことばかり言うその口を縫いつけるぞ」


 季白の迷いのない忠誠は嬉しいが、玲泉に揶揄されるのは御免こうむる。鋭く告げるも、玲泉のにやけた顔は変わらない。


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