104 歓迎の宴 その3


「どうやら、藍圭陛下と龍翔殿下の絆は、固く太いようですな。残念ながら、震雷国が立ち入る隙はないらしい」


「あら、雷炎殿下。そのようなことはございませんわ。震雷国と晟藍国で新たな縁を結ばれるのはいかがでございましょう?」


 すかさず口を挟んできたのは芙蓮だ。


 ちゃっかり雷炎の隣に陣取っている芙蓮は、晟藍国風の美しい衣の広く開いた胸元を見せつけるように雷炎に身を乗り出し、熱っぽいまなざしで見上げている。


「雷炎殿下さえお望みになられるのでしたら、我が晟藍国に否はございませんわ。それとも……。雷炎殿下はこれほど素晴らしい男ぶりの御方ですもの。震雷国にすでにご婚約者がおありなのでしょうか……?」


 芙蓮は雷炎に嫁ぐ気満々のようだ。「晟藍国に否はない」ではなく、「芙蓮に否はない」だろうと、心の中で思いつつも、龍翔はあえて黙して雷炎の反応を見守る。


 あからさまな芙蓮の誘いに、あっさり鼻の下を長くするのか、それとも……。


 さまざまな質問を投げかけ、それに答えるさまを見るうちに、人となりが見える機会もあろう。


 要職についているわけでもなく、政治的にはさほど重要でない芙蓮ならば、多少の失言をしたところで、晟藍国側としても害は少ない。


 もしかして、初華が芙蓮をけしかけたのは、これを見越してのことだったのだろうかと思い至り、龍翔は初華の手腕に内心で舌を巻く。


「芙蓮姫のような美女にそう問われれば答えぬわけにはいかぬな」


 からりと笑った雷炎が酒杯を傾け、唇を湿らせる。美女と言われた芙蓮が、「まぁっ!」と期待に満ちた声を上げた。


は震雷国に何人もおるものの、俺自身が「これ」と決めた婚約者はまだおらん。皇太子である兄上も、未だ独り身でいらっしゃるゆえ、俺が先に結婚して、兄上をないがしろにするわけにもいくまい。何より――」


 雷炎が強いまなざしを並んで座す藍圭と初華に向ける。


「皇族や王族の婚姻となれば、本人の意思など、羽よりも軽いもの。誰と婚姻を結ぶことが最も国益となるか。それが最重要事項であろう?」


 揶揄やゆするわけではない。『花降り婚』が結ばれた事情を淡々と指摘した雷炎の言葉に、藍圭も初華もとっさに返す言葉を持たずに押し黙る。感服した声を上げたのは玲泉だ。


「さすが雷炎殿下。見事なお覚悟でいらっしゃいますね。高貴な方々のご婚礼となれば、恋や愛といった甘やかな感情だけで成せるものではないのは自明の理。震雷国の第二皇子殿下は御身の尊さをご存じでいらっしゃいますね」


 さも感じ入ったように雷炎を褒めそやす玲泉の言葉に、龍翔の心に苦いものが湧き起こる。


 玲泉が雷炎にかこつけて、龍翔をあてこすっているのは明らかだ。


 皇位も明珠もと、自分が多くを望み過ぎていることなど、龍翔自身が誰よりも理解している。


 それでも――明珠を手放すことなど、考えられない。


 兄の懊悩おうのうをすくいあげるように柔らかな声を上げたのは初華だった。


「あら。龍華国で浮名を流しに流している玲泉様にしては、無粋なことをおっしゃいますのね」


 玲泉に面輪を向けた初華が、からかうような笑みを浮かべる。


「玲泉様の言いようでは、まるで『花降り婚』で結ばれたわたくしと藍圭様の間には、心のつながりなどないと言っているようではございませんの。そのようなことはございませんわよね。ねぇ、藍圭様」


「は、はいっ。その通りです」


 初華に水を向けられた藍圭がこくこく頷く。その面輪はうっすらと赤い。


「きっかけは『花降り婚』ですが……。わたしの妻となってくださる初華姫様のことは、力の及ぶ限り幸せにしてみせます!」


 きっぱりと宣言した藍圭の言葉に、卓の空気が緩む。


「まあっ! 嬉しいですわ! もちろん、わたくしも藍圭様をお幸せにできるよう、力を尽くす所存でございます」


 と、初華も華やいだ声を上げれば雷炎もいかつい顔を緩め、微笑ましい様子で藍圭を見やる。


「これはこれは。婚礼の儀はまだとはいえ、仲睦まじいお二人ですな。いやはや、うらやましいことだ」


「雷炎殿下さえお望みでしたら、すぐに仲睦まじい夫婦になれましてよ?」


 と、芙蓮がめげる様子も見せずに雷炎に迫ろうとする。


「さて……」

 と雷炎が苦笑を浮かべた。


「慶事が続くのは喜ばしい限りだが、大きい行事ばかり続いては、支度も大変であろう。まずは『花降り婚』の成就が第一。その後のことは、『花降り婚』が終わってから考えるべきではないかな?」


「雷炎殿下にもお気遣いいただき、嬉しく思います」

 藍圭が明るい声を上げる。


 雷炎が『花降り婚』に反対するかもしれないと不安に思っていた藍圭にしてみれば、成就を願う雷炎の言葉は、願ってもないことだろう。


 だが、龍翔はかすかな違和感を覚える。


 雷炎が『花降り婚』の成就が第一と考えているのはよい。しかし、『花降り婚』の結果いかんで芙蓮をめとるかどうか決めると言いたげな言葉は――。


 まるで、藍圭と初華が結ばれる以外の未来もありうると、言外に告げているように感じたのは、龍翔だけだろうか。


 龍翔の懸念をよそに、雷炎が興味深げに口を開く。


「前回、『花降り婚』が催されたのは俺が生まれる前と聞いている。龍華国の皇女の降嫁となれば、さぞかし華やかなのだろうな。晟都の港へ来る際にも、華揺河に設えていた立派な舞台が見えておった。当日はもちろん参列させてもらうが、後学のため、ぜひとも近くでよく見てみたいものだ」


「はい! 雷炎がお望みとあればいくらでも! 明日にでも、港へ進捗具合を確認しに行く予定ですが、ご一緒にいかがですか?」


 龍翔が制するよりも早く、藍圭が大きく頷いて雷炎を誘う。


「それはありがたい。楽しみだ」


 興味津々といった様子で頷く雷炎の精悍な面輪を龍翔は見つめたが、その奥に潜む真意までは、当然のことながら見抜くことは敵わなかった。


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