104 歓迎の宴 その1


 広間にはことや笛の妙なる調べが、華揺河かようがわの流れのようにゆったりと流れ、舞台では美しい舞手達が領巾ひれをはためかせて優美に舞い踊っている。


 部屋に中央に置かれた大きな卓に並べられているのは、ぜいらした料理の数々だ。


 だが、席に着く龍翔の心の内は、安寧とはほど遠いところにあった。


 大きな卓についているのは、宴の主催者である藍圭と、その隣に初華、対面の主賓の位置に座るのはもちろん雷炎だ。


 雷炎の両隣に座るのは瀁淀と芙蓮ふれんで、瀁淀の隣には、目を光らせるかのように魏角将軍が険しい面持ちで座っている。


 差し添え人である龍翔と玲泉も同じ卓だ。季白と張宇と周康、藍圭の従者である浬角りかくや雷炎が連れてきた従者達は、後ろに立って控えている。


 少しでも雷炎の気を引こうと、宴が始まった時から、ひっきりなしに熱心に話しかけているのは、きらびやかに着飾った芙蓮だ。


 龍翔に脅迫まがいの求婚を迫ったことなどすっかり忘れたかのように、次は雷炎の妻の座を狙って、せっせと自分を売り込んでいるらしい。


 が、龍翔が見る限り、芙蓮の美貌も、仰々しい称賛も、功を奏していないようだ。


 港で船室から出てきた時は、両側に妓女ぎじょはべらせていた雷炎だが、芙蓮に鼻の下を長くしている様子は微塵もない。


 むしろ、あれこれとかまわれ過ぎて、鬱陶うっとうしく感じているふしすら見える。


 ということは、港でのあれは、女好きだと見せることで龍翔達の油断を誘うつもりだったのか、それとも、単に芙蓮のような身分のある女人は、後くされなく遊ぶには面倒な相手だと敬遠しているのか。


 後者のような気はするが、確証はもてない。


「いやはや。さすが、『華揺河の瑠璃るり』とうたわれる晟都。山海のぜいらした料理の数々は、いくらでも入りそうだ」


 卓の上に並べられた料理に次々とはしをつけ、健啖けんたんぶりを見せつつ、酒杯を空けていた雷炎が、感心したような声を洩らす。藍圭が幼い面輪を嬉しそうにほころばせた。


「そう言っていただき、幸いです。これらはすべて、雷炎殿下をおもてなしするために用意したもの。どうぞ、心ゆくまでお楽しみください」


「だが、俺ひとりだけで楽しんでいては申し訳ない。藍圭陛下が酒をたしなまれないのは、無理のないこととはいえ……。まさか、龍翔殿下まで飲まれぬとは。藍圭陛下に遠慮しておるのかな?」


 まるで水でも飲むように、杯の中の酒を一息にあおった雷炎が、龍翔に視線を向ける。


 王城の侍女達の中でも選りすぐられた美しい侍女がすかさず雷炎の杯に新しい酒を注ぎ、次いで龍翔の杯にも注ごうと寄ってくる。


 龍翔は軽く片手を上げて侍女を制止すると、雷炎に視線を据えたまま、ゆるりとかぶりを振った。


「雷炎殿下。お誘いいただきありがとうございます。ですが、申し訳ありません。わたしは今、酒断ちををしている最中なのです」


「ほう?」


 雷炎が興味深そうに太い眉を上げる。龍翔はさも重々しい様子で吐息してみせた。


「差し添え人に選ばれたことは、わたしにとって願ってもない大役。初華の幸せのためにも、『花降り婚』は必ず成就させねばなりません。その祈願のため、差し添え人となった日より、ずっと酒を断っているのです」


 龍翔の返答に、雷炎がからからと笑う。


「ほう。酒断ちで祈願とは! 龍翔殿下は、神仏に祈願するような御仁ごじんには見えぬがな」


 こちらの心の内を見通そうとするかのような圧を持った視線を、龍翔は薄く微笑んでかわす。


「はて……。雷炎殿下の目には、わたしはそれほど傲慢ごうまんな人間に映って見えるのでしょうか? そうだとすれば、我が身の不徳を恥じねばなりません」


 雷炎に告げた言葉は、半分は真実だが、半分は嘘だ。


 龍翔は神仏の力など、当てにしてはいない。存在を信じてもいないものに祈る暇があるのなら、自分で方策を立てて実行したほうが早い。


「その身に《龍》を宿しているというのに、ずいぶんと殊勝な言葉ですな」


 龍翔の言葉などはなから信じていない様子で、雷炎が杯を呷る。


「とんでもない。《龍》の力をもってしても、できぬことは山とあります。それとも……」


 龍翔は侍女に酒を注いでもらっている雷炎を見つめ返す。


「雷炎殿下は、震雷国の第二皇子であるご身分と、《焔虎えんこ》の力があれば、すべての望みが叶うとお考えですか?」


 龍華国の皇族に《龍》が、晟藍国の王族に《霊亀れいき》が伝わるように、震雷国の皇族には《焔虎えんこ》と呼ばれる特別な《蟲》を召喚できる力が宿っている。


 龍翔は見た経験はないが、《焔虎》について記された書物で知ったところによると、紅蓮の業火を自在に操り、ひとたび戦場に立てば、一騎当千どこか、数千の軍勢を一人で壊滅せしめるほどの力だという。


 震雷国の第二皇子である雷炎が、《焔虎》を喚べぬはずがない。


 雷炎がどれほど《焔虎》の力をたのんでいるか、軽く量ってみる気で問うた龍翔に、雷炎が虚を突かれたように目を瞬く。


 かと思うと、叩きつけるように杯を置き、呵々かかと大笑した。


「確かに、龍翔殿下の言う通りだな! 《焔虎》の力があれど、できぬことは数多い。むしろ、できぬことのほうが多いくらいだ。だが」


 龍翔を見つめる黒い目の奥で、ゆらりと炎が揺れ動く。


「不便でなくては面白みがない! 手に入らぬものがあるからこそ、手に入れた時の喜びもひとしおというもの! 望みがすべて難なく叶うなど、つまらぬことこの上ないわ!」


 吐き捨てるように告げた雷炎が、虎のように獰猛どうもうな笑みを浮かべる。


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