101 どれほど窮していようと、他の花で渇きを癒そうなどとは思わん その5


「龍翔様! 読むのにお邪魔でしょう? それに、大したことを書いていないとはいえ、目の前で読まれてはさすがに恥ずかしいと言いますか……っ!」


 急に手紙が欲しいと言われても、毎日、顔を合わせている龍翔にいったいどんなことを書けばいいのだろうと、かなり悩んだのだ。


 結局、いつも気遣ってくださってありがとうございますというお礼と、順雪への手紙にいつも書くように、身体に気をつけて十分に栄養と睡眠をとって、くれぐれも無理をしないでくださいという、すこぶる面白みのない、あたりさわりのない手紙になってしまった。


 龍翔も明珠などに文才など期待していないだろうが、本当にこんな手紙でよかったのが、はなはだ疑問だ。


 優しい龍翔のことだ。自分から「手紙が欲しい」と言った手前、つまらない手紙であろうと、叱責したりはしないだろうが……。

 目の前で落胆した顔を見るのは忍びない。


 うつむき、手紙を読む龍翔から視線を外していると。


「ありがとう」

「ふぇっ!?」


 礼とともに強く抱き寄せられ、明珠はすっとんきょうな声を上げた。


「あ、あの……っ!?」


「思いつきで言ってみたが、お前からの手紙がこれほど嬉しいものだったとはな……。もっと早く、欲しいと言っておけばよかった」


 甘く囁きながら、龍翔がさらに腕に力をこめてくる。


 衣にめられた高貴な薫りに溺れそうになりながら、明珠はあわあわと声を上げた。


「えっ、あの……っ!? 呆れられたんじゃ……?」


「呆れる?」

 龍翔が不思議そうな声を出す。


「これほど嬉しい手紙だというのに、呆れることなど、あるはずがなかろう?」


「で、でも……っ」


 手紙の内容がどれほど他愛ないものか、書いた本人が一番よくわかっている。


「い、いつも龍翔様にお気遣いいただいているのは私のほうですし……っ」


「お前から感謝の気持ちを聞くのも嬉しいが、文字で読むのはまた格別の喜びだった」


「本当は、もっとたくさん感謝してますのに、うまく書けなくて……」


「そんなことはない。お前が一生懸命考えて書いてくれたのだと、言葉からだけでなく、丁寧に描かれた文字からも、十分に伝わってきたぞ?」


「そ、それに、龍翔様にご無理をしていただきたくないと心配申しあげているのは私の勝手ですし……っ」


「わたしを心配してくれるお前の心根の優しさに、心があたたかくなった」


「ほ、ほんとにつまらない手紙で……」

「明珠」


 優しく、同時に強い声音で名を呼ばれ、おずおずと顔を上げる。と、包み込むようなまなざしにぶつかった。


「お前が、わたしを想って一語一語、言葉を綴ってくれたと思うだけで、この上なく嬉しかったのだ。わたしのわがままを聞いて、手紙を書いてくれてありがとう」


「っ!」


 面と向かって告げられた感謝の言葉に、息を飲む。鏡を見ずとも、顔が真っ赤になっているだろうと予想がつく。


 こんな風にお礼を言われるなんて想像もしていなくて、嬉しすぎて涙があふれてしまいそうで……。


「て、手紙に書いた通り、お礼を言うのは私のほうですっ! 龍翔様にお仕えできて、毎日、どれほど嬉しくて感謝しているか――、っ!?」


 不意に、くいと顎を持ち上げられたかと思うと、唇をふさがれる。


 目を閉じることも忘れ、驚きに固まる明珠から唇を離した龍翔が、甘やかに微笑んだ。


「つい先ほどまで、今までになく心がささくれだっていたというのに……。お前の手紙と愛らしさで、怒りも苛立ちも彼方へ飛んでいってしまった。お前は本当に、わたしを癒す天才だな」


 囁いた龍翔の面輪がふたたび下りてきて、明珠はあわててぎゅっと目を閉じ、服の上から守り袋を握りしめる。


 心まで融かすような、優しいくちづけ。


 ゆっくりと唇を離した龍翔が、困ったように眉を下げた。


「いかんな……。公務に戻らねばならぬと頭ではわかっておるのに……。こうしていると、いつまでもお前にくちづけたくなる」


「ふぇっ!? だ、だめですっ!」

 驚いて反射的にかぶりを振る。


「……だめなのか?」


 叱られてしっぽを垂らした犬のような表情で龍翔が眉を下げる。


 今は少年姿の英翔ではないのに、そんな顔をされたら、英翔だった頃の面影が強く表れて、駄目なことでも「うん」と言ってしまいたくなる。


 が、これだけは頷けない。


「だ、だって……っ。ずっと、く、くくくくく……なんて……っ! そんなの、恥ずかしすぎて心臓が壊れてしまいます……っ!」


 ぎゅっと守り袋を握りしめ、必死に訴えると、ふはっと龍翔が吹き出した。


「そうか。壊れてしまっては大変だな」

「は、はいっ。そうですっ」


 こくこくこくっ、と頷くと、甘く微笑んだ龍翔が、唇にかすめるようなくちづけを落とす。


「では、仕方がない。真面目に公務に励むとしよう」


「あ、あの……っ。くれぐれもご無理はなさらないでくださいねっ。私がお手伝いできることはろくにないでしょうけれど……。それでも、できることは何でもいたしますから!」


 ふぅ、と吐息した龍翔を見上げ、懸命に告げると、とろけるような笑みにぶつかった。


「ああ……。お前の思いやりが、何よりも嬉しい。大丈夫だ。新しい宝物もできたことだしな。これを読めば、いくらでも力が湧いてくる気がする」


 手紙を折りたたんだ龍翔がくすりと笑う。


「ふぇっ!? あ、あのっ、そんな手紙、何度も読み返す価値なんて……っ!」


「わたしをいたわってくれるお前の気持ちがこもっているのだと思うと、どんなものよりも価値がある。ありがとう、明珠」


 ちゅ、と額にくちづけた龍翔が、懐に手紙を差し入れ、抱き寄せていた腕をほどく。


「では、やるべき仕事を進めてこよう。よいか? 玲泉を退却させたとはいえ、油断してはならんぞ? お前のことは張宇に任せておるゆえ、ちゃんと言うことを聞くようにな」


「は、はいっ」


 幼子に言い聞かせるように告げ、明珠の頭をひと撫でした龍翔が身を翻す。

 龍翔に呼ばれた張宇と入れ違いに出ていく後ろ姿を、明珠は頭を下げて見送った。


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