101 どれほど窮していようと、他の花で渇きを癒そうなどとは思わん その3


「玲泉様に、教えていただいたら……」


「玲泉?」


 考えていたことが口に出てしまっていたらしい。

 かすかな呟きに、龍翔が過敏に反応する。


「玲泉などに何を教えてもらうことがある!?」


「そ、その……っ」

 龍翔の激昂にびくりと肩を震わせ、あわあわと口を開く。


「れ、玲泉様がおっしゃったのですっ、龍翔様がお喜びくださる方法を教えてくださると。で、ですから……っ」


「玲泉め! やはり叩っ斬ってやる!」


 怒りに満ちた叫びを放った龍翔が、やにわに明珠を横抱きに抱き上げる。


「ひゃっ!?」


 足早に寝台へと歩を進めた龍翔が、己の寝台にとさりと明珠を下ろした。


「あの……っ!?」


 明珠が身を起こすより早く、続いて寝台に上がった龍翔の長身が覆いかぶさってくる。


「り、龍翔さ――っ」

「前に言ったことを覚えているか?」


 怒りを孕んだ低い声に、明珠は反射的にすがるように胸元の守り袋を握りしめる。


「もし、次また玲泉の言に惑わされた時には、もう一度、『おしおき』をするぞ、と――」


 言うが早いが、龍翔の面輪が下りてくる。


 まるで嚙みつくよう深いくちづけに、「んぅっ!?」と驚きの声が思わず洩れる。


 守り袋を握っていないほうの手で押し返そうとしても、引き締まった長身はびくともしない。


 龍翔が言う通り、前に玲泉を部屋に招き入れそうになった時に、確かに注意されていた。


「もしまた、次にこんなことがあれば、『おしおき』をするぞ」と。


 だが、今回は明珠からは扉を開けていないし、明珠からは玲泉にはふれてもいない。


 そもそも、廊下にいた季白と安理が許可しなければ、玲泉は扉すら開けられなかったはずだ。それとも、玲泉と言葉を交わすことすら、『おしおき』の対象になってしまうのだろうか。


 考えようとしても、くちづけに頭がのぼせてしまって思考がまとまらない。


 呼気さえ奪うような深いくちづけに、心臓が壊れてしまいそうだ。


 これ以上、息を詰めていたら窒息する、と怖くなったところで、ようやく龍翔の唇が離れた。


 はっ、と肌を撫でた呼気の熱さに、無意識に身体が震える。


「玲泉なぞにろくでもない教えを請わずとも、お前はくちづけだけで十分にわたしを酔わせてくれる」


 熱を宿した声が、明珠の耳朶じだを震わせる。


「それとも――」

 龍翔の声が挑むような響きを帯びたかと思うと。


「この先まで踏み込ませてくれるのか――?」


 ふたたび下りてきた龍翔の面輪が、首筋にくちづける。

 くすぐったいと身をすくめるより早く。


 ぢゅっ、と強く肌を吸われる。


「な、なにを……っ!? ひゃっ!?」


 次いで、吸われた部分を熱い舌でぺろりと舐められ、明珠は悲鳴を上げて足をばたつかせた。


「り、龍翔様っ!? なにを……っ!?」


 龍翔の舌がゆっくりと首筋を辿っていく。薄手の夏服の合わせ目をなぞるように、首筋から鎖骨へと、熱く柔らかな熱がすべり。


「ひゃあっ!?」


 えりぐりからわずかにのぞく鎖骨をまれて、悲鳴が飛び出す。


 龍翔の熱に身体が融けてほどけてしまいそうだ。

 逃げようと身動ぎしても、龍翔の身体はびくともしない。


 服の上から守り袋を握りしめる手を、龍翔の手が包み込む。


 固く閉ざされた門をこじ開けるように、龍翔の力強い手が、明珠の手をどけようとする。


 襟元がくつろげられてしまうと、身を強張らせたところで。


「明珠」


 何かをこらえるかのように明珠の名を呼んだ龍翔が、ぎゅっと明珠を抱きしめる。

 まるで、あふれ出そうとする何かを、無理やり押し込めるかのように。


 明珠の肩に額を押しつけた龍翔が、ゆっくりと詫びる。


「すまぬ……。頭では、わかっているのだ。お前が純真な気持ちで言ってくれたのだと……。だが、彼奴あやつの名が出てくるだけで、どうにも冷静でいられなくなる」


 苦く淀んだ、低い声。


 いったいどうすればよいかわからず、それでも少しでも龍翔を慰めたくて。


 明珠は抱きしめられているせいでろくに動かせない片手をそろそろを動かして龍翔の背を撫で、詫びる。


「わ、私こそ、申し訳ありません……っ。どうすれば、龍翔様にもっとお喜びいただけるのか、わからなくて……」


「言っただろう?」


 明珠の言葉に、腕をほどいた龍翔が、明珠の顔を覗きこむ。


「お前はそのままで十分だ。お前がそばにいてくれるだけで、どんな苦難であろうと、乗り越えられる力が湧く」


 甘やかに微笑んだ龍翔の面輪が下りてくる。


 反射的に目を閉じた明珠の唇にくちづけが落とされる。


 いつもと同じ、軽く優しいいたわるようなくちづけ。「明珠」と甘く名前を呼ばれるだけで、ぱくんと心臓が跳ね、嬉しいと同時に、胸がきゅぅっ、と切なく締めつけられる心地がする。


 ちゅ、ちゅ、と優しくくちづけを落とされるだけで、くらくらふわふわと熱に浮かされたようになる。


 龍翔の香の薫りが華やかに揺蕩たゆたい――。


「あれ……?」


 高貴な薫りに混じって、いつもと異なる薫りをかすかに感じ、明珠は思わず声を洩らした。


「どうした?」


 くちづけの雨を降らすのをやめた龍翔が、不思議そうに問う。


「いえ……」


 おずおずとまぶたを開けた途端、視界に飛び込んできたのは、見惚れるほどに甘やかな笑みだ。


「そ、その……。芙蓮姫様の移り香でしょうか。なんだか、甘い薫りがします……」


 告げた途端、龍翔の顔が不快そうに歪んだ。


「す、すみませんっ」

 反射的に謝ると、


「いや、お前が謝る必要は欠片もない」


 と、あわてたように告げた龍翔に、そっと頭を撫でられた。


「移り香など……。いらぬというのに、どこまでもつきまとう……」


「龍翔様?」

 低い声で不愉快そうに呟かれた言葉がよく聞こえず、小首をかしげる。


 芙蓮姫との話し合いは、それほど大変だったのだろうか。


 そんな龍翔に何かできることはないだろうかと頭を悩ませ――。


「あっ! そういえば!」


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