101 どれほど窮していようと、他の花で渇きを癒そうなどとは思わん その2


「玲泉。おぬしは差し添え人として晟藍国へ参ったのだろう? 『花降り婚』の益になるどころか、害悪をもたらしかねん策略ばかり講じるのなら――。差し添え人の肩書を返上して、即刻、龍華国へ戻るがよい。船ならば、いつでも用立ててやるぞ?」


 一歩退いた玲泉に、龍翔が追撃する。


「おやおや。帰国せよとは、これは手厳しい」


 龍翔の言にこたえた風もなく、玲泉が肩をすくめる。


「ご安心くださいませ。差し添え人としての務めも、しっかりと果たす気でおりますよ。そもそも、本日、芙蓮姫を瀁淀の屋敷から連れ出したのも、わたしの手腕ではありませんか。それではご不満だとおっしゃるのでしたら……。近々、大物を釣り上げてみせましょう」


 端麗な面輪に自信ありげな笑みを浮かべた玲泉が、「では」と腰をかがめる。龍翔に一礼するのかと思いきや。


「ではね、明順。次に逢う時こそ、わたしの手を取ってくれることを期待しているよ。ああ……。さっきの件が知りたければ、いつでもわたしに言っておくれ。手取り足取り、心を込めて教えてあげるから」


「明順に妄言を吹き込むなと言っておろう!」


「わぷっ!」


 玲泉から少しでも隠そうとするかのように、強く抱き寄せられ、息が詰まった明珠は思わず声を上げる。


「お言葉ですが、決めるのは明順自身でございますよ。それとも……。主人であるのをよいことに、強権を発動して、彼女を戒めるおつもりですか?」


 からかい混じりの――だが、鋭い刃を秘めたような玲泉の声音に、龍翔が小さく息を飲む。


「そのようなこと……。するはずがなかろう。明順の心は、明順自身のものだ。他の誰も好きにすることはできぬ」


 きっぱりと言い切った龍翔の声は、泥水でも飲んだかのようにひどく苦い。


 玲泉がくすりと満足げな笑みをこぼした。


「そのお言葉を聞いて安心いたしました。では、大切な花は今しばらく龍翔殿下にお預けするといたしましょう。考えようによっては、これ以上、安全な預け場所もないでしょうからね」


「ぬけぬけと戯言ざれごとばかい言いおって……!」


 怒りに満ちた呟きをこぼした龍翔に、玲泉が、


「では、龍翔殿下に斬られぬうちに退散するといたしましょうか。ではまたね、明順。次に逢える時を楽しみにしているよ」


 と微笑んできびすを返す。明珠が何か返事をしなければと思うより早く。


「玲泉などに言葉を返してやる必要はない」

 明珠の言を封じた龍翔が、安理を呼ばう。


「安理。玲泉殿がお帰りだ。王宮を出るまで、片時も目を離さずにお送りせよ」


「へいへ~い♪ しーっかりお見送りするっス~♪」


 にへら、と応じた安理が、玲泉の後を追いかける。次いで龍翔が、季白と張宇を振り向いた。


「季白。おぬしは藍圭陛下たちの打ち合わせに加わるとよい。陛下達はまだ、応接の間にいらっしゃるだろう。張宇は隣室で控えておれ。必要があれば、また声をかける」


「かしこまりました」

 と、恭しく応じた季白が背を向け、張宇も部屋から出ていく。


 ぱたりと扉が閉まった瞬間。


「明珠っ! いったい、玲泉にどんな妄言を吹き込まれた!?」


「ふぇっ!?」

 顔を強張らせた龍翔に問われ、明珠はすっとんきょうな声を上げた。


「どんな妄言とおっしゃられましても……。あのっ、ひとまずお放しいただきたいんですけれど……っ!」


 龍翔の腕の中で居心地悪く身動ぎする。


 激昂げっこうぶりが恐ろしくて口に出せなかったが、ずっと放してほしかったのだ。人前で抱き寄せるなんて、恥ずかしすぎる。


 華やかに薫る香の薫りと、羞恥とに溺れて、息ができなくなりそうだ。見なくても、顔が燃えるように紅くなっているのがわかる。


 もぞもぞと身動みじろぎすると、龍翔の腕がようやく緩み、明珠はほっとして身を離そうとした。


 が、逃さぬと言いたげに、背に回された腕は完全にはほどけない。


「あ、あの……っ!?」


 困り果て、長身の主を見上げると、不安に満ちたまなざしにぶつかった。


 明珠が滅多に見たことのない、まるで道に迷った幼子のような頼りなげな表情。


「……それほど、わたしから離れたいのか? わたしのそばなどにいるのは嫌だと……」


「えぇぇっ!? どうしてそういうことになるんですかっ!?」


 どこをどう間違ったら、そんな発想になるのか、まったくわけがわからない。


「そうだな。役目とはいえ、他の女人といたどころか、お前を危険な目に遭わせたわたしなど……」


「えぇっ!? 龍翔様、何か誤解をなさっておられませんか!? 私、危ない目になんて、まったく全然、これっぽっちも……っ!」


 明珠はただ、張宇と一緒に部屋で書類仕事をしていただけなのに。


 芙蓮姫を味方に引き入れるために交渉していた龍翔のほうが、よほど大変な役目を果たしていたのは明らかだ。


 今日の龍翔はいつもと違い、何やら心がささくれだっているようだ。


 無理もない。『花降り婚』の準備が本格的に始まって以降、ずっと忙しくしているのだから。


 と、ふと先ほどの玲泉の言葉が甦る。


 ――「龍翔殿下をもっと悦ばせられる方法を、知りたくはないかい?」


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