100 わたくしが、何も用意していないとお思いですの? その2


「最初から、わたくしをたばかるつもりでしたのね……っ!? かよわい乙女を閉じ込めて罠にかけるなんて、卑劣な……っ! あなたのような冷血漢に嫁ぐことにならずに済んで、よかったと思うべきですわね!」


 先ほどまでの媚態びたいはどこへやら、芙蓮が憎々しげに吐き捨てる。


「姉上……っ! 義兄上に、なんと失礼なことを……っ!」


 藍圭が目を見開いて芙蓮をいさめるのを、龍翔は「よいのです」と片手を上げて遮った。


「相手を、自分の都合のよいように動かそうとしたのはお互い様ですから、どんな怒りも甘んじて受けとめましょう。むしろ、芙蓮姫がわたしの妻となることを諦めてくださって何よりです。どんな事態に陥ろうと、芙蓮姫を娶る気はありませんでしたから」


 龍翔が欲するのはただ一人、明珠だけだ。


 それ以外の女人など、欠片も欲しいと思わない。


 だが、ことさらに芙蓮の怒りをあおるように告げたのは、怒りの矛先を己一人に向けさせるためだ。


 いずれ晟藍国を去る龍翔ならば、いくら恨まれようと、痛くもかゆくもない。姉弟である芙蓮と藍圭の間に溝ができるくらいならば、いくらでも憎まれ役を買って出る。


「さて、芙蓮姫。お互いの考えも一致したところで、建設的な話をいたしましょう」


 だが、いつまでも益のないののしりあいをする気はない。


「芙蓮姫。瀁汀殿というれっきとした婚約者がありながら、わたしとの婚姻を望まれたのは――『花降り婚』の準備も進んで藍圭陛下の治世も安定し、瀁淀殿が王位につく可能性は薄いと見限られたからですか? それとも、差し添え人であるわたしを籠絡すれば、まだ瀁淀殿にも勝ち目があると……。そう瀁淀殿に指示を受けたからですか?」


 問うた瞬間、芙蓮の眉が吊り上がる。


「何をおっしゃいますの!? わたくしは叔父上から何も指示などされておりませんんわ! わたくしはただ、龍翔殿下こそが、夫にふさわしい方だと思ったからこそ……っ!」


戯言ざれごとはお互いによしましょう」


 龍翔はかぶりを振って芙蓮の言葉を遮る。


「今日まで、わたしとあなたはろくに言葉を交わしたこともない。あなたがかれたのは「龍華国の第二皇子」というわたしの肩書だけだ。ああ、それとも玲泉に甘言でそそのかされましたか? 迫ればわたしなど容易く落とせる、と」


「っ」


 玲泉の名に、図星を突かれたように芙蓮の視線がわずかに揺れる。


「そ、そうですわ! 玲泉様がおしゃったのよ! 龍翔殿下は『花降り婚』で結ばれる両国の絆をさらに確固たるものにするために、晟藍国の良家の令嬢との婚姻を望んでらっしゃるって! ならば、殿下が求められているのは、晟藍国で一番身分の高い女人であるわたくししかいないと、そうおっしゃったから……っ! だから、わたくし……っ!」


 怒りに満ちた芙蓮の声に、内心で嘆息する。


 芙蓮をこちら側に取り込むためとはいえ、よくもまあ、根も葉もない話を並べたてられたものだ。


 いや、玲泉にとっては、龍翔と芙蓮を縁づかせることが第一の目的だったのだろう。


 そうすれば、労せずに明珠を手に入れることができると。


 焦燥が龍翔の胸をく。


 龍翔が明珠のそばを離れるこの好機を、玲泉が放っておくはずがない。

 必ずや、明珠を手に入れるべく動いているに違いない。


 叶うなら、今すぐ明珠の元へ飛んでいきたい。


 が、この好機をふいにするわけにはいかぬ。

 れる心を龍翔は理性で押さえつける。


「芙蓮姫――いいえ、義姉上あねうえとお呼びしたほうがよろしいかしら?」


 凛とした声で割って入ったのは、それまで黙していた初華だった。


 明らかに挑発を含んだ声音に、芙蓮が苛立たしげに立ったままの初華を睨み上げる。


「義姉上様とわたくしの今後の関係のためにも、ひとつ、はっきりさせておきたいと思っていることがありますの」


 憎々しげな芙蓮の視線を平然と受け止め、初華がにこやかに微笑む。気圧けおされたように芙蓮が唇を引き結んだ。


「今後、もし藍圭陛下と瀁淀大臣の間に大きな齟齬そごが生まれた場合、義姉上はどちらのお味方につかれるおつもりかしら? せっかくお会いできたのですもの、義姉上のお口から、しっかり聞いておきたいですわ」


 にっこりと。見た目はあでやかに、しかしまなざしには氷片を散りばめて初華が問う。


「そ、そんなもしもの話をされたって――」


「義姉上様」


 ごまかすように視線をさまよわせ、もごもごと呟いた芙蓮の声を、初華のひと言が断ち切る。


「今後、起こるやもしれぬ事態に考えを巡らせ、対策を練っておくことが、まつりごとをあずかる者の責務でございましょう? まさか、お考えになってらっしゃらないなんて、おっしゃいませんわよね? 藍圭陛下と瀁淀大臣の確執は、口差が合い貴族や官吏達が、かしましいほどに噂しておりますもの」


 初華の全身からは、偽りは許さないという無言の圧が放たれている。


 逃げ場を封じられた芙蓮が、ぐっ、と喉の奥で呻いた。


 と、初華が不意に優しげな笑みを浮かべる。


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