99 何を対価として払えば、そこを通してもらえるかな? その6


 告げた瞬間、張宇が鋭く息を飲む。


「何を馬鹿なことを……っ! 龍翔殿下がそのようなことをなさるはずがないでしょう!?」


「む、むつみ……」


 一方、明順は呆然とかすれた声で呟く。

 と、不思議そうに小首をかしげた。


「ええっと……。睦み合うって、仲良くなさるってことですよね? 芙蓮姫様が龍翔様のお味方になってくださることは、願ってもないことですから、よいことだと思うんですけれど……?」


 まったく邪気のない明順の言葉に、安理が背後で吹き出す声がする。


「ぶっひゃっひゃ……っ! さっすが明順チャン♪ さしもの玲泉サマも形無しっスね♪」


「いや明順。わたしが言いたいのはそういう意味ではなくて……」


 安理の笑い声は無視して吐息する。


 龍翔の裏切りに悲嘆にくれる明順を優しく慰めようと思っていたのに……。この反応は予想の埒外らちがいだった。


 どう言えば、この純真無垢な少女に伝えたい意味が伝わるのだろうか。思い出したのは、先日、恋文と送った手巾だ。


「あのね、明順。この間、双頭蓮が刺繍された手巾を贈っただろう?」


 告げた瞬間、明順が顔を輝かせる。


「はいっ! あのとっても綺麗な……っ! しかも、手巾だけでなく美しい組紐まで……っ! ありがとうございました!」


 ぺこりと頭を下げた明順が弾んだ声で告げる。


「龍翔様にふさわしいとっても綺麗な品ですよね! 大丈夫です! ちゃんと龍翔様にお渡ししてますのでご安心ください!」


「……あれらの品はきみにこそ似合うと思って、贈ったんだけれどね」


 「きみに」を強調して告げると、明順が目をまんまるに見開いた。


「ええぇぇぇっ!? そ、そんなっ! あんな高価で美しい品は、私なんかには絶対に似合いませんっ!」


「そんなことはないよ。きみは自分の魅力を低く見積もりすぎている。……とりあえず、龍翔殿下が従者への贈り物を取り上げる無体な主人だということはわかったよ」


 なぜ、男女が枕を交わす意味を持つ双頭蓮の手巾を恋敵である龍翔が持っているのか。


 憮然ぶぜんとした思いを隠さず呟くと、明順があわてたようにかぶりを振った。


「ち、違います! 龍翔様は取り上げたりなんてなさってません! 私などには分不相応ですから、私から龍翔様へお渡しして……っ!」


「龍翔殿下ならば、二つの贈り物が明順宛てだと、わかっていたはずだけれどね。……というか、龍翔殿下にお渡ししたということは、双頭蓮の意味はわかっていないのかな?」


「は、はい。すみません、物知らずで……。龍翔様には、お前にはまだ早いと叱られてしまいまして……」


 しょぼんと肩を落とした明順にくすりと笑う。


「早い? やれやれ。龍翔殿下はいったい何を見てらっしゃるのか。きみは、今まさに美しく花咲こうとする蕾だというのに、摘むこともせず放っているとは。ないがしろにしているに等しいね」


「玲泉様。龍翔様のお考えも知らずに、根拠もない推論を明順に吹き込むのはやめていただけますか?」


 明順が答えるより早く、張宇が険しい表情で苦言を呈する。


「根拠など、愛らしい明順を見れば一目瞭然だろう?」


 片膝立ちから立ち上がった玲泉は、張宇をねめつけ、鼻先で嘲笑する。


「こんなに愛らしい花が目の前にあるのに、摘みもせず放りっぱなしとは、捨て置くに等しいだろう? わたしなら、腕に抱いて朝夕を問わず慈しむというのに……」


「龍翔様も十分に慈しんでらっしゃいます! ただ……」


「ただ、何だい?」


 言葉に詰まった張宇から、戸惑った表情をしている明順に視線を移す。


 明順の純真さのために当初の予定は狂ったが、どうせすぐに龍翔が芙蓮をめとることは、王宮中の噂になるのだ。


 まだまだやりようはいくらでもある。


「おいで、明順。双頭蓮の意味を、わたしが手取り足取り教えてあげよう。……きみが意味を知れば、きっと龍翔殿下をよころばせる方法も知れると思うよ」


 嘘ではない。ただ、一度明順を手に入れれば、決して龍翔などに渡すつもりはないだけだ。


「えっ!? 龍翔様を……?」

「聞くな明順! 玲泉様の術中にはめられてしまうぞ!」


 心動いた様子の明順を、張宇が間髪入れず制止する。


 考え深げな声を出したのは季白だ。


「ここまで埒が明かないとなると、いっそのこと、玲泉様に一度手をつけていただいたほうが、龍翔様も心おきなく……?」


「いやちょっと待って季白サン! 落ち着いて冷静になって!? それ、どー考えても玲泉サマと季白サンが龍翔サマに問答無用で叩っ斬られて、とばっちりで制止できなかったオレと張宇サンの首まで物理的に飛ぶヤツだから!」


「季白殿はああ言っているよ?」


 明順の警戒をほどくべく、甘やかに微笑み、もう一度、手を差し伸べる。


「龍翔様に対するきみの忠誠が篤いのはよく知っているよ。だからこそ、龍翔殿下をもっと悦ばせられる方法を、知りたくはないかい?」


「龍翔様を、もっと……?」


「駄目だ! 聞くな!」


 迷いに揺れる明順の声に、かかったとほくそ笑む。

 さらに深く釣り針をくわえこませようと口を開こうとして。


「玲泉! ただちに明順から離れよ!」


 玲泉は、この場に来るはずのない者の声を耳にした。


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