99 何を対価として払えば、そこを通してもらえるかな? その3


 からかうように唇を吊り上げた玲泉は、表情をあらためる。


「龍翔殿下のご気性だ。いっとき心に傷を負われたとしても、それを乗り越え、さらに強く成長される心のしなやかさをお持ちでいらっしゃることでしょう。季白殿がそこまで気を回されているのは、龍翔殿下を低く見積もっているも同じ。かえって不敬ではないのかい?」


「わたしが龍翔様に不敬を働くなど! そのようなことはありえませんっ!」


 忠誠心を突いてやると、案の定、季白は過敏に反応してきた。隣で安理が、


「いや~、季白サン、意外とズバズバ、アレなことも言ってるっスよ~?」

 と突っ込んでいるのはあえて無視する。


「であるならば、龍翔殿下が明順と床を共になされようと、その前に明順を手放されようと、どちらであっても龍翔殿下はその経験を糧となさることでございましょう。季白殿が心配される必要はありませんよ。何より」


 季白の不安を融かすように、にこやかに微笑み、言を継ぐ。


「龍翔殿下の妃となられる方は、すぐに決まるのだから。季白殿のご心配は、杞憂以外の何物でもないよ」


「……どういうことでございますか?」


 玲泉の言葉に、我に返ったように季白の眉がきつく寄る。

 射抜かんばかりの鋭い視線を、玲泉は肩をすくめて受け流した。


「そのままの意味だよ。あと一刻もすれば、ひょっとすると、龍翔殿下自ら、妃を決めたとおっしゃられるかもしれないよ?」


 くすくすと笑う玲泉に、季白のまなざしがさらに鋭く細まった。


「いま王宮には芙蓮姫様が来てらっしゃいましたね。……何を企んでいらっしゃるのですか?」


「企んでいるとは人聞きの悪い」


 直截ちょくさいな季白の物言いにも、笑顔を崩さない。


 龍翔と芙蓮が二人きりで部屋に入るのを、玲泉は確かにこの目で確認した。


 ならば、龍翔はもう自ら罠に入ったも同然。今頃、部屋の中で何が繰り広げられているか……。万が一、失敗したとしても、対応策は講じてある。


「いちおー確認しておくんスけどぉ~」

 と口を挟んできたのは安理だ。


「もしかして玲泉サマ、芙蓮姫サマに龍翔サマ相手に色仕掛けをさせてらっしゃいます?」


「誤解のないよう言っておくが、わたしはひと言たりとも姫に無理強いなどいていないよ? 姫が何かなさったとしても、それはすべて姫ご自身のご判断だ」


 そう。玲泉はただ、芙蓮の目を龍翔へと向けさせただけなのだから。咎められるのは心外だ。


「いや、そーゆー建前はどーでもいいんで」


 あっさりとぶった切った安理が、からかい混じりの視線を玲泉へ向ける。


「ってゆーか、龍翔サマのことを、一番低く見積もってらっしゃるのは玲泉サマご自身じゃないっスかぁ~? 龍翔サマが、単なる美姫の色仕掛け程度で落ちる方だと思ってらっしゃるんだとしたら……。かーなーり、おつむがめでたくていらっしゃるっスよぉ~?」


 挑発的な物言いに、思わず唇を引き結ぶ。


「心外だね。めでたいというならば、これから起こることだろう? 初華姫様と龍翔殿下がそろって晟藍国王族と婚姻を結び、わたしも花嫁を得る。慶事続きではないか。というわけで、いい加減、道を開けてくれないかな? 早くわたしの花嫁を腕の中に抱きしめたいのでね」


 だが、季白と安理は動く様子がない。


 にやにやと、見る者の神経を逆撫でするような笑みを浮かべた安理が、おもむろに季白を振り返る。


「どうっスか、季白サン♪ 玲泉サマはああ言ってますケド……。龍翔サマが芙蓮姫サマの色香に惑わされると思いマス?」


「ありえませんね」

 安理の言葉尻を捕らえるかのように季白が即答する。


「龍翔様が芙蓮姫程度の手練手管にしてやられるわけがないでしょう? 龍翔様の理性は不動のいわおの如し! 金剛石よりも強固でいらっしゃるのです! 色仕掛け程度で女人に手を出されるような御方でしたら、今頃は……っ! そうっ、今頃はすでに……っ!」


 何やら思うところがあるのか、季白が鬼のような形相で歯噛はがみする。安理が慰めるように同僚の肩を叩いた。


「いや~、オレもさすがにアレは落ちると思ったんスけどね? 我ながら、会心の出来で可愛くできたし! でも、あそこまでやって耐えられたんなら、もー仕方がないっていうか……」


「あのような極限状態になられても己を律されるとは、さすが龍翔様です! 常にわたしを感服させずにはいられないとは、なんと素晴らしい御方であることか……っ! しかも、あれほど苛烈に叱責なさっておきながら、わたしを思いやってくださるとは……っ! 龍翔様の寛大なお心には、尊敬の念を抱かずにはいられませんっ! 嗚呼ああっ! 思い出すだけで歓喜に身が震えます……っ!」


「……あー、うん。季白サンは龍翔サマから叱られようが褒められようが、よろこぶ以外の選択肢がないのはわかったっスから……。その打たれ強さには敬服するほかないっスけど、オレ、龍翔サマにちょっと同情したくなったっス……」


 呆れとも感心ともつかぬ表情で告げた安理が、


「とゆーワケで♪」

 と玲泉を見やる。


「芙蓮姫サマに迫られたからって、龍翔サマがそう簡単に落ちるとは思えないんスよねぇ」


「孤高の狼と言えど、かつえていれば、目の前に無防備に現れた獲物をんでも仕方がないと思うけどね?」


 玲泉の言葉に、安理が唇を吊り上げる。


「いや~っ、やっぱり龍翔サマを低く見積もって侮っているのは玲泉サマのほうっスよ♪ まあ、玲泉サマみたいに浮名を流しまくってらっしゃったら、他人も同じだと思う気持ちはわからなくもないっスけどね? 龍翔サマに限って言えば、あの方は飢えて望まぬうさぎを食べるくらいなら、餓死するほうを選ぶと思うっスよ?」


「それはそれは……」

 玲泉は思わず声を洩らす。


「高潔と言うべきか、愚かと言うべきか……。判断に悩むところだね。だが」


 玲泉は語気を強め、安理を見返す。


「ご本人がいない今の状況では、水掛け論にしかならないね。龍翔殿下が芙蓮姫様とむつみ合っていないと、どうして言い切れる? それに……。明順のほうから、龍翔殿下を見限る可能性だって、十分にあるだろう?」


「そのようなことがあるはずがないでしょう!?」


 間髪入れず苛烈に反応したのは季白だ。


「龍翔様のような素晴らしい主を見限るですと!? しかも、よりによってあの小娘が!? そんな不敬を許すはずがないでしょう!? もし言い出してごらんなさいっ! わたしが首をへし折ってやりますっ!」


 季白の激昂は予想以上で、今にも頭から角が飛び出してきそうだ。


「大切な花嫁の首を折られるわけにはいかないな」

 と苦笑をこぼし、弁明する。


「季白殿は何やら誤解しているようだが、龍翔殿下が素晴らしい主であることはわたしも認めるよ。季白殿の心酔っぷりからも十分に見て取れる」


「当然です! わたしのすべては龍翔様にお捧げしているですから!」


 即答した季白に深い頷きを返し、「ただね」と釘を差す。


「いまわたしが問題にしているのは、「主人としての素晴らしさ」ではなく、「どちらが明順を娶るにふさわしいか」という点であることを忘れないでほしいな」


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