99 何を対価として払えば、そこを通してもらえるかな? その1


 龍翔や芙蓮と別れ、王宮の廊下を目的の部屋までひとり歩いていた玲泉は、そこへ辿り着く前に、廊下に立ちふさがる人影を見て、予想通りだと苦笑をこぼした。


 玲泉をひどく警戒している龍翔のことだ。明珠がいるだろう龍翔の私室にあっさり辿り着かせてくれるとは思っていなかったが、予想通りすぎて、かえっておかしさがこみあげてくる。


「きみ達がそこにいるということは、明順は龍翔殿下のお部屋にかくまわれていると考えて間違いないのかな?」


 廊下に並んで立つ季白と安理の二人に笑顔でといかけると、安理が「え~っ?」と唇を吊り上げた。


「なんでわざわざ教えてあげないといけないんスか~?」


 挑発的な安理の言葉を笑顔で受け流す。


「確かに、扉を叩けばすぐにわかるのだから、わざわざ問うまでもなかったね。というわけで、そこを通してくれるかな?」


 玲泉が来るだろうと、龍翔が別室に明順をかくまう事態は、もちろん予想した。が、『花降り婚』を目前にした今、王宮内は人の出入りが激しい。


 貴人用の部屋が並ぶ最上階は人の出入りが制限されているが、他は官吏や職人、供を連れた貴族達が出入りしている。


 淡閲で襲撃してきた刺客の行方も掴めていないというのに、わずかでも危険が及ぶ可能性のある場所に、龍翔が明順をかくまうとは思えなかった。


 もし龍翔がそんな場所にかくまえば、玲泉も多少乱暴な手を使ってでも、明順をかっさらったのだが。


 玲泉の要望に、安理が弓なりに目を細め、からかうような声を出す。


「やっだな~、玲泉サマったら♪ 実現不可能な要望をされるなんて、玲泉サマらしくないっスよ~、そんなに焦っちゃうほど、明順チャンを早く手に入れたいんスかぁ~?」


「そういうきみは、今日は物陰に潜んでいなくていいのかい? 正々堂々と正面からとは、珍しいこともあるものだね。慣れぬことをして怪我をするのはそちらじゃないのかい?」


 神経を逆なでするような安理の物言いに、反射的に言い返す。


 同時に、安理に指摘された通り、己が焦っていることに気づかされ、玲泉は心の中で密かに己を律した。


 どうにも、明順が絡むといつもの自分ではいられない。勝手が違って戸惑うことばかりだ。


 龍華国の王城で名をはせる遊び人とはいえ、玲泉は誰かと相手を取り合った経験などない。今までの遊び相手は皆、取り合うどころか、今までの恋人を自ら捨てて玲泉へと走る者達ばかりだった。


 玲泉のほうから追い求めたことなど、今まで一度もない。


 しかも、いま玲泉が追い求めているのは、いっときの遊び相手ではなく、生涯の伴侶となる女人なのだから。


 何としても手に入れたいと焦燥に駆られるのも、致し方ないだろう。


 だが、焦るあまり失敗しては元も子もない。

 玲泉は心の中で落ち着けと己を叱咤する。


 今日のためにさまざまな事態を想定し、策を練ってきた。安理の言う通り、落ち着いて相手の出方をうかがいながら、臨機応変に動けばよい。


 玲泉は少しの距離をおいて立つ二人をちらりと見やる。季白も安理も、額に常人でも《蟲》が見えるようになる《視蟲》をつけている。おそらく、龍翔が玲泉が何らかの蟲を使うかもしれないと警戒して、あらかじめ召喚しておいたのだろう。


 どうやら力づくで押し通るのは無理そうだと、玲泉は冷静に判断する。


 玲泉は蟲招術も剣も使えるが、術のほうはともかく、剣の腕前は本職の武官には及ばない。


 季白は武官だが、文武両道だと聞いている。さらには、玲泉に気配を感じさせずに忍び寄る腕を持つ安理までいる状態では、正面突破は無謀極まる。


 まあいい、と玲泉は胸中でひとりごちる。


 もともと、術を使っての強行突破は最後の手段として考えていた。平和的に話し合いで明順が手に入るなら、それに越したことはない。


 玲泉は優雅な笑みを口元に浮かべ、恋敵の忠臣二人を見つめる。


「では、言い方を変えようか。何を対価として払えば、そこを通してもらえるかな?」


「さて、どうしましょうか」


 おもむろに口を開いたのは、それまで黙していた季白だ。隣に立つ安理が、ぶひゃっと吹き出す。


「ちょっ!? 季白サン!? そこは「どんな条件を出されようと、龍翔様に明順を託されたわたしが頷くわけがないでしょう!」ってカッコよく断言するトコロじゃないんスか!?」


「は? 何を言ってるんですか?」


 季白が《視蟲》の羽の奥から、冷ややかに安理を睨みつける。


「わたしが龍翔様から賜った明を完遂することは、口に出すまでもなく自明の理です! わたくしが龍翔様のご信頼を裏切る事態を起こすなど、決してありません!」


「……いや、信頼はともかく、お心のほうはビミョーに裏切ってるコトがある気がするんスけどね……」


 ぼそりと低い声で呟いた安理のつっこみを無視し、季白が憤然と拳を握りしめる。


「ですが、忠臣たるもの、何の疑問もさしはさまずに唯々諾々いいだくだくと主の命に従っていればよいというものではありません! 時には主の命に背くと知りつつも、それが主のためになるならば、叱責や懲罰ちょうばつを恐れず突き進むのも臣下の務め! その結果、龍翔様に罰されるというのなら、この季白、喜んで罰を受けようではありませんか!」


「あー、うん……。季白サンなら、嬉々として龍翔サマの罰でも何でも受けそうっスよね~。とばっちりで首が飛びそーな周りへの配慮も忘れないでほしーところっスけど」


 恍惚こうこつの表情で言い切った季白に、安理が疲れたような呟きを返す。


「さすが龍翔殿下の両翼のお一人である季白殿。見事な忠誠心だ。わたしの従者達にも見習わせたいくらいだね」


 ここは褒めておくのが得策だろうとおだてると、なぜか季白に睨み返された。


「何を寝ぼけたことをおっしゃられているんですか? わたくしが全身全霊で龍翔様にお仕え申しあげているのは、龍翔様がわたくしの忠誠を、いえ! わたくしのすべてを捧げてお仕えするに値する素晴らしい御方であるからにほかなりませんっ! 失礼ながら、玲泉様程度の器や人徳でそのような従者をお求めになられても、得られぬものかと」


「ぶぷ――っ! ちょっ、季白サン! ほんっと失礼極まりない……っ! あっ、ヤベっ、笑いすぎて腹がいてぇ……っ!」


 玲泉が反応するより早く、こらえきれないとばかりに安理が吹き出す。腹を抱えて大笑いするさまに、玲泉は逆に心が沈静化していくのを感じる。


 そうだ。ここでくだらぬ話につきあって、貴重な時間を浪費するわけにはいかない。龍翔と芙蓮の会談はまだまだかかるだろうが、のんきに構えてはいられない。


「なるほど。季白殿が龍翔殿下に捧げる忠誠の深さには、感じ入るばかりだよ。では、その季白殿に問おう。以前に尋ねた時は、明確な答えを聞けなかったからね」


 身分ある者の余裕を見せ、玲泉はにこやかに季白に微笑みかける。


「明順をわたしにくれれば、蛟家は龍翔殿下の後ろ盾につくことを約束しよう。言葉だけでは不安というのなら、契約書でも血判状でも、何でも好きなものを作ってくれてかまわない。ああ、もちろん、龍翔殿下が将来、皇位につかれたとしても、これまでの後援を盾に蛟家に便宜を図れなどという横暴を言うつもりはないから、安心してくれていい。そんなことをしなくても、すでに蛟家は押しも押されもせぬ名家だからね」


 玲泉が求めているのはただ、明順ひとりだけなのだと、それ以外のものは何ひとつとして交渉材料にならぬのだと言外に告げる。


「蛟家の後ろ盾、ですか……」


 季白が告げられた内容を咀嚼そしゃくするように呟く様子を、玲泉は微笑んだまま、黙して見守る。


 もし、安理とともにいたのが張宇ならば、玲泉は決してこんな取引を持ちかけなかった。


 生真面目で誠実な張宇は、龍翔の心を重んじ、決して応じぬだろう。張宇を相手にするならば、明順への恋心をせつせつと涙混じりに語り、情に訴えるのが何より効く。


 だが、季白ならば。


 龍翔に心酔し、第一皇子、第三皇子を制して宮中で最も弱い立場である第二皇子の龍翔を皇位につけることを望んでいる季白ならば。


 現大臣をようす名家である蛟家の後ろ盾は、喉から手が出るほど欲しいに違いない。


 蛟家の名声に目がくらんで、龍翔を裏切ってしまうほどに。


 いや、裏切るというのは正確ではないだろう。季白は正真正銘、心の底から龍翔のことを考えているのだから。


 ただ――明順に対する思い入れの差があるだけだ。


 さあ早く明順を差し出せと、表面上はあくまで余裕のあるそぶりを崩さず、玲泉は季白の返事を待つ。


 安理が季白を押し留めるかと懸念したが、案に相違して芝居でも見ているようにわくわくとした顔で押し黙る季白を眺めているだけだ。


 れる気持ちを抑えつけ、静かに季白の返事を待っていると。


「取るに足らぬ小娘と引き換えに、蛟家の後ろ盾を得られるとは……。これは、願ってもない取引ですね」


 考え深げに眉間にしわを寄せたまま、季白が呟く。


 かかった、と心が喜悦に震えるのを感じながら、玲泉はあえて鷹揚おうように頷いてみせた。


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