97 悪巧みは女狐と その1


 王宮の龍翔から返ってきた文を手に、玲泉は四阿あずまやで向かいに座る芙蓮を見やった。


「龍翔殿下から返事が届きましたよ。明日の午後、王城で芙蓮姫様をお待ちしております、と」


 にこやかに微笑んで告げると、「まあっ」と芙蓮が紅をぬった唇をほころばせた。


「玲泉様が仲立ちしてくださったおかげでございますわね。心から感謝いたします」


 びを含んだ甘い声に、内心の不快感はおくびにも出さず、「とんでもないことです」とかぶりを振る。


「きっと、芙蓮姫様が心を込めてお書きになられた文が、龍翔殿下のお気持ちを揺り動かされたのでしょう。龍翔殿下は妹思いの情にあつい方でいらしゃいますからね。弟である藍圭陛下を思われる芙蓮姫様のお優しさに胸を打たれたに違いありません」


「龍翔殿下もわたくしと同じく、はねっ返りの弟妹を持たれて困ってらっしゃることでしょうね。わたくしでしたら、そのお気持ちを十分にわかってさしあげられると思いますわ」


 芙蓮にとっては、異母姉である自分をさしおいて国王の座に就いた正嫡せいちゃくの藍圭も、藍圭を補佐して、早くも未来の正妃として振る舞う初華も、どちらも忌々しい存在なのだろう。


 前国王との間に芙蓮を生んだ女性は、身分こそ貴族だったが、家格はさほど高くなかったと聞いている。


 正妃との間になかなか子どもが生まれなかったため、仕方なく側妃を召し上げたものの、身分の高くない者から選んだのは、嫡子争いを起こしたくないという前国王の深慮だったのではないかと、玲泉は思う。


 幸い、生まれたのは姫である芙蓮だったため、正嫡の男子である藍圭がすんなりと王子となったが、もし芙蓮が王子だったら、藍圭、瀁淀、芙蓮の三つ巴の王位争いになっていた可能性もありうる。


 残念ながら、前国王の願いもむなしく、権力欲に取りつかれた芙蓮は、藍圭を追い落とす気満々のようだが。


 芙蓮に冷ややかな軽蔑を感じながらも、玲泉は見た目だけはにこやかに微笑んで忠告する。


「龍翔殿下は、初華姫様をことのほか可愛がってらっしゃいます。藍圭陛下はともかく、初華姫様の誹謗ひぼうは言われぬほうがよろしいかと」


「た、確かにそれはおっしゃる通りですわね」


 おほほ、とごまかすように笑う芙蓮の愚かさに、反射的に手を切りたい気持ちが湧くが、意志の力で抑え込む。


 芙蓮には、なんとしても龍翔を篭絡ろうらくしてもらわなければならぬのだから。


 そのためには、どんな助言も惜しまない。


「芙蓮姫様はどのような衣装を纏われても輝くばかりにお美しいでしょうが……。龍翔殿下は清楚で可憐な、花のような女人がお好みのようですよ」


 実際には、龍翔の好みなど知らないのだが、龍翔の想い人が明順であることから推測すれば、妖艶で色っぽい美女よりも、可憐な女人のほうが好みに違いない。


「なよやかな美女に涙を浮かべて懇願されれば、お優しい龍翔殿下のこと、決して無下むげにはなさらないでしょう」


「ええっ! 明日は龍翔殿下にお喜びいただけるよう、念入りに身を飾って王宮へまいりますわ!」


 玲泉の助言に、芙蓮が大きく頷く。

 脳内でどのような妄想を巡らせているのやら、獲物を狙う狐のように、目が爛々らんらんと輝いている。


 この調子なら、さぞ積極的に龍翔に迫ってくれるに違いない。


 玲泉がその場を見られないのは残念だが、明日は玲泉も芙蓮とともに王宮へ行く予定だ。


 芙蓮の策が首尾よく進めば、すぐに明順を手に入れるために。


 龍翔を信頼している明順は、玲泉の言をすぐには信じないかもしれないが、己の弁舌をもってすれば、天真爛漫な少女を信じさせることなど、わけもない。


 龍翔は芙蓮に心変わりしたのだと信じさせ、哀しみに沈む明順を甘く優しく慰めてやろう。


 初心うぶで潔癖な少女のことだ。ひょっとしたら、龍翔が他の女人と睦み合ったというだけで、嫌悪するやもしれぬ。


 そうなれば、好都合。所詮しょせん、龍翔にとって身分違いの明順のことは気まぐれな遊びに過ぎなかったのだと信じ込ませ――。


 他の女人にふれられぬ玲泉にとっては、明順だけが唯一無二の伴侶はんりょなのだから、どうか妻となってほしいとかき口説こう。


 明順が頷いてくれれば、それでよし。

 もし迷うようなら、無理やりかっさらってしまってもよい。


 明日になれば、望む少女が手に入るかと思うと、心の奥から浮き立つような喜びがあふれてくる。


 今まで数多あまたの浮名を流してきた玲泉だが、思うだけで心が弾むような相手は、明順が初めてだ。


 まさか、己が女人相手に恋に溺れる日が来るなんて、明順に出逢うまで考えたこともなかった。


 ともすれば緩みそうになる口元を意志の力で抑え込み、玲泉は難しそうな表情を作ってみせる。


「ですが、芙蓮姫様。油断してはなりません。芙蓮姫様は、確かに他のご令嬢達より大きく先んじてらっしゃいますが、龍翔殿下が妃となるご令嬢を探してらっしゃるという噂が広まれば、その座を射止めようとする令嬢達が山と現れましょう。身分ある者の婚姻が、当人の感情だけで決められるものでないのは、芙蓮姫様もご存じでしょう?」


 さも当然といった口調で告げると、「え、ええ。そうですわね」と芙蓮がとりつくろうように頷いた。


「龍翔殿下は龍華国の第二皇子でいらっしゃいますもの。しかも、あれほど見目麗しく凛々しい御方。晟藍国中の令嬢が、いいえ、晟藍国中の娘が龍翔殿下に恋い焦がれることでしょう」


 龍翔の妃となり、女性達の羨望せんぼうのまなざしを一身に受けている己を想像しているのか、芙蓮がうっとりと呟く。


「ですが、晟藍国に年頃の令嬢は何にもいるとはいえ、国王の姉というこの上ない身分を持つ者は、わたくし一人。龍翔殿下にとっては、この上ないご縁でございませんこと?」


 自負をにじませて告げる芙蓮に、玲泉は「ええ、おっしゃる通りでございます」と、頷いて芙蓮の自尊心を満たしてやる。


「確かに芙蓮姫様は、ご身分からしても、龍翔殿下とお二人でお会いする約束を取りつけられた点でも、他の令嬢達より、何歩も先を進んでらっしゃいます。だからこそ、龍翔殿下の妃の座を確固たるものとするために、龍翔殿下が求められているものを提示されてはいかがかと、ご提案したいのです」


「龍翔殿下が、求めてらっしゃるもの……?」


 芙蓮がいぶかしげに眉をひそめる。玲泉は鷹揚おうように頷いた。


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