97 悪巧みは女狐と その2


「さようでございます。たとえば、龍翔殿下は晟藍国への船旅の途中、補給のために停泊した淡閲たんえつで、総督と友誼ゆうぎを結ばれました。淡閲といえば、晟藍国に最も近い交易が盛んな街。もし芙蓮姫様が晟藍国の有力な商人を殿下にご紹介されれば、龍翔殿下は必ずや芙蓮姫様に深く感謝なさいましょう」


 玲泉は美貌に見惚れる芙蓮に、にこやかに微笑みかける。


「お美しいだけでなく、政治的にも高い価値を有してらっしゃるとわかれば、龍翔殿下の妃の座は、芙蓮姫様に決まったようなものでございます。いかがでしょう? 芙蓮姫様が懇意にしてらっしゃる商人や高官などはおられますか?」


 玲泉はさも親切めかして尋ねる。


 身分ある者ならば、妻本人の資質だけでなく、家柄や婚姻によってもたらされる政治的・経済的なつながりも重視するのは当然のことだ。


 ましてや、周りは政敵ばかりの龍翔にとって、強力な後ろ盾は喉から手が出るほど欲しいものだろう。


 恋の炎など、いっとき燃え上がれば、あとは儚く消えてゆくだけのもの。


 龍翔は愚か者ではない。何の後ろ盾もない可憐な身ひとつだけの明順と、誰が見ても申し分のない身分と人脈を備えた芙蓮を比べれば、将来的にどちらが自分の利となるか、正しい判断を下すだろう。


 いや、明順を譲ってくれるというのなら、名家・蛟家の嫡男である玲泉が、龍翔の後ろ盾となってもよい。


 大臣である父は第三皇子の龍誠りゅうせいを支持しているが、玲泉自身は、三人の皇子達のうち、誰を支持するか表立って口にしたことはない。


 玲泉が跡継ぎを得るためならば、父も龍翔を支持することを許してくれるに違いない。


「いかがでございましょう?」

 玲泉は難しい表情で黙りこくっている芙蓮を優しく促す。


「大臣である瀁淀殿やその息子である瀁汀殿であれば、さぞかし広い交友関係をお持ちでございましょう。もちろん、芙蓮姫様自身が懇意にしてらっしゃる者がいるのでしたら、それに越したことはありませんが。瀁淀殿や瀁汀殿が親しくなさっている商人などでもよいのです。ご紹介いただければ、わたしが龍翔殿下へ売り込んでみせましょう」


 玲泉はあくまでもにこやかに芙蓮に話しかける。


 内心では早く富盈ふえいの名を出せと思いながら。


 瀁淀と富盈が手を組んで行った汚職について、調べて証拠を掴むよう龍翔から指示されているが、瀁淀のほうは、小物ゆえの警戒心の高さからか、なかなか尻尾が掴めそうにない。


 客人である玲泉は、かなり自由に屋敷の中を動き回れるが、隠密でもあるまいし、さすがに瀁淀の私室へ忍び込んで証拠を探すことまではできない。


 何より、玲泉が行き来するたびに、侍女だの下男だのが玲泉に見惚れて一挙手一投足を見つめてくるのだから、そもそも隠れて行動すること自体が不可能だ。


 「この国の要である瀁淀殿とは、今後ともぜひ親しくおつきあいしたいものです」と心もない世辞を言い、一度、瀁淀の私室に招かれて、瀁淀、瀁汀親子と酒を飲み交わしたことはあるが……。


 酒癖の悪い瀁淀にさんざん藍圭や魏角への愚痴を聞かされ、泣き上戸の瀁汀には、うじうじと愚痴とともにしなだれかかられ……。


 何ひとつ得るところのない拷問に等しい時間だった。

 思わず、明順へみさおを立てると誓ったことも忘れて、唯連いれんや他の従者相手に、憂さ晴らしをしそうになったほどだ。


 いくら龍翔の命といえど、そして明順に力を尽くすと約束したとはいえ、あんな苦痛に満ちた時間は、もう二度と過ごしたくない。


 それくらいなら、芙蓮をおだててその気にさせたほうがまだましだ。


 加えて、ここ数日、瀁淀は大切な客を迎える準備をしなければと言って、玲泉が顔を見る機会もないほど、慌ただしく動いている。


 大臣である瀁淀が、自ら出迎える準備の指揮をとるなど、いったい何者が来るのかと思っていたが、龍翔が文で密かに教えてくれたところによると、震雷国の雷炎殿下が来訪するのだという。


 しかも、前国王夫妻の暗殺に関して、瀁淀と雷炎の間で、何らかの密約が交わされている可能性があるとは……。


 これではなかなか瀁淀の屋敷を出ることができぬ、と文を読んだときに嘆いたものだ。


 明日、芙蓮とともに王宮へ行けば……。


「わたくしのだんな様となられる龍翔様にふさわしい者といえば、やはり晟藍国一の大商人と呼ばれる富盈殿だと思いますわ。瀁淀叔父様とも懇意になさってらっしゃるの」


「ほう、晟藍国一の大商人とは、さすが芙蓮姫様。素晴らしい人脈をお持ちでいらっしゃいますね。わたくしも、ぜひ富盈殿に会ってみたいものでございます」


 狙い通り、富盈の名が出たことに気をよくし、玲泉は上機嫌で微笑む。


 頬を染めて玲泉に見惚れる芙蓮を冷ややかに観察しながら、玲泉は次の算段を巡らせた。


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