96 二枚の手紙 その2


「龍翔様……?」


 おずおずと名を呼ぶと、考えにふけっていたらしい龍翔が、「ああ、いや……」とかぶりを振る。


「正攻法で……。芙蓮姫からの文という形で対面の依頼が来るとは、いささか意外だったのでな」


「ですが、これで正々堂々と芙蓮姫とお会いすることが叶いますね! 玲泉様のお手紙によると、弟思いのお優しい方のようですし……っ! 少しでも、現状がよい方向に進んだらいいですね!」


 期待を込めて告げると、不意に龍翔にぐいと引き寄せられ、頭を撫でられた。


「あ、あの……っ!?」


「お前のその純真で前向きなところは、本当に得難い美点だな。わたしの心まで癒される」


「ふぇっ!?」


 龍翔に褒めてもらえるのは嬉しいことこの上ないが、いったい、どこを褒められたのか、明珠自身にはよくわからない。


「あちらの策に乗ったとしても、はまってやる気はないからな。これは、藍圭陛下にもご助力いただかねばならんやもしれぬ……」


 龍翔が呟いたところで、張宇が湯殿の準備ができたと告げに来た。明珠のためのお湯も持ってきてくれているらしい。


「もう、そんな時間か……。玲泉への返事のこともゆえ、わたしは湯浴みの後もしばらく戻ってこれぬ。張宇にお前についているよう命じておくゆえ、お前はこのまま、のんびりしておくとよい。だが……」


 椅子から身を乗り出した龍翔が、不意にぎゅっと明珠を抱きしめる。


「たとえ張宇相手といえど、無防備に夜着姿を見せるのではないぞ?」


「だ、大丈夫です! ちゃんと気をつけますから! そもそも、張宇さんだって、私なんかの夜着なんて、見たくないでしょうし……」


 龍翔の腕から逃れようと身動みじろぎしながら、もごもごと呟くと、大きなため息が降ってきた。


「お前は、そういうところが無防備極まりないゆえ、心配この上ないのだ……。よいか? 張宇以外には、たとえ季白や安理、周康といえど、夜着など見せるのではないぞ!? ましてや、玲泉などもってのほかだ!」


「み、見せたりいたしませんっ! そもそも、そんな機会自体起こりませんからっ!」


 きっぱりと告げると、ようやく納得してくれたのか、「ならばよい」と龍翔が頷いた。


 ほっと息をついたところで、


「では龍玉を」

 と言われ、ふたたび驚く。


「えっ!? あの……っ?」


 《気》のやりとりをするのはいつも寝る直前なのに、と思いながら見上げると、龍翔が優しく微笑んでいた。


「この後、藍圭陛下の元へ行くのでな。もしかしたら時間がかかるやもしれん」


「わ、わかりました」

 頷いて目を閉じ、ぎゅっと龍玉を握りしめる。


 ふわりと香の薫りが鼻をかすめたかと思うと、そっと唇をふさがれた。


 龍翔の片手がそっと明珠の髪を撫で、耳朶じだをなぞって首筋へと下りてゆく。優しい指先がくすぐったくてふるりと身を震わせると、くちづけが深くなった。


「ん……っ」


 思わず声が洩れ、恥ずかしさに身を離そうとするが、抱き寄せた龍翔の腕が許してくれない。


 どきどきして、心臓が口から飛び出してしまうのではないかと心配になったところで、ようやく唇が離れた。


「これで朝までもつだろう。無理してわたしを待つ必要はない。眠くなったら、先に寝ていていいのだぞ?」


「は、はい……」


 ふわふわする心地のまま、龍翔の気遣いにこくりと頷き、出したままの手紙を丁寧にたたんで文箱へ入れる。


 組紐も入れようとすると、「よいのか?」と問われた。


「その組紐は、玲泉からお前への贈り物だが……」


「ええっ!? そんなわけがありません! こんな綺麗な組紐、私になんかには似合いませんよっ! これは龍翔様への贈り物に決まってます!」


 とんでもない、とかぶりを振る。

 緑と白で模様編みされた組紐は涼しげで美しいが、自分がこれをつけようとは思わない。


「それは、私にはもう、龍翔様にいただいたものがありますから……」


 うなじのところで束ねた髪に手をやる。指先にふれるのは絹のなめらかな手ざわりだ。乾晶で少年龍翔から買ってもらった群青色の組み紐は、あの日以来、毎日つけている。


「半分に切った残りもありますし、頭はひとつしかないのですから、龍翔様にいただいた組紐だけで十分です! こちらは龍翔様がお使いになられたらいかがでしょうか? 絶対に、私などより龍翔様のほうがお似合いだと思いますし……」


 真剣に提案すると、なぜか、ふはっと吹き出された。


「お前への贈り物を、代わりにわたしがつけるのか? それは玲泉の反応が見物ではあるが……」


 くすくすと笑いながら、龍翔が明珠の髪をひと房すくい上げる。


「わたしが贈った組紐を、ずっと大切につけてくれているのだな。……ありがとう」


 言うなり、ちゅ、と髪の先にくちづけを落とされ、一瞬で顔に熱がのぼる。


「なっ、何なさるんですか――っ!?」


「すまん、嬉しくてつい」

 明珠の髪を手にしたまま、嬉しげに口元を緩める龍翔に、ますます顔が熱くなる。


「そ、そもそもお礼を言うのは、贈っていただいた私が言うべきだと思いますっ!」


「そうか? 大切に使ってくれていて嬉しいと礼を言うのは、変ではあるまい?」


「だ、だって、大切にするのは当然じゃないですかっ! 龍翔様にいただいたものなんですから……、ひゃあっ!?」


 不意に頭の後ろに手を回され、引き寄せられたかと思うと、額にくちづけられて悲鳴が飛び出す。


「き、急に何なさるんですか――っ!?」


「まったく……。お前は愛らしすぎて困る」

 困り果てたように龍翔が吐息するが、明珠はそれどころではない。


「こ、困るのは私のほうです! こ、こんな……っ」


「ん? では口のほうがよかったか?」

 言うなり、顎をくいと持ち上げた龍翔が、軽くくちづける。


「り、龍翔様っ!? 私の心臓を壊すおつもりですか!?」

 秀麗な面輪を思いきり睨み上げるが、龍翔はくすくす笑うばかりで取り合わない。


「すまんすまん。確かに、心臓が壊れては一大事だな」


 笑いながら明珠を解放した龍翔が、組紐を中に入れ、文箱を手に取った。


「お前が不要だというのなら、ひとまずわたしが預かっておこう」

 立ち上がった龍翔がぽふぽふと明珠の頭を撫でる。


「では、行ってくる」

「はい、行ってらっしゃいませ」


 ぺこりと頭を下げ、明珠は自分も立ち上がって龍翔を見送った。


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