95 まだ伝えられていないことがあってだな……。 その3


「まったく! あの小娘は……っ!」


 堪忍袋の緒が切れたと言いたげに、季白が苛立った声を上げる。


「あのように龍翔様がお心を砕いているというのに、その身に余る栄誉をまっっっっったく理解していない慮外者りょがいものめ……っ! 見ているだけで、叱りつけたい衝動がこらえきれなくなりますよっ!」


「季白、そう怒るな。お前の気持ちはわからんでもないが……。あの天真爛漫なところが、明珠の美徳のひとつでもあるだろう?」


「美徳っ!? どこが美徳だというのです!? わたしには最大の欠点としか思えませんっ! まったく、あの天然超鈍感娘は……っ!」


 額に青筋を立てる季白は、声をかけるのがためらわれるほどの恐ろしさだ。明珠が季白を恐れている気持ちがよくわかる。周康も、できれば季白には目をつけられたくない。


 が、張宇は季白の癇癪かんしゃくに慣れているのか、平然としたものだ。穏やかな表情で、なだめるように口を開く。


「龍翔様ご自身が明珠を無理に変えようと思ってらっしゃらないんだ。外野の俺達が口を出すべきではないだろう?」


「ああっ! 取るに足らぬ小娘にまでお心を砕かれるとは、龍翔様のなんと寛大なことか……っ! 慈悲溢れるお心に、涙が止まりませんっ!」


 季白が感動に目を潤ませて龍翔を褒めたたえる。


 短いつきあいではあるが、この状態の季白に口出ししては、ろくなことにならぬと承知している周康は、沈黙を貫いた。


 と、季白の目がふたたび吊り上がる。


「やはり、徹底的に教育するべきはあの鈍感娘ですね! 龍翔様の寛大なお心を理解せぬとは……。万死に値しますっ! 龍翔様の禁呪さえ解除すれば、玲泉だろうと誰だろうと、とっととくれてやるものを、小娘が龍翔様のお慈悲に甘えているばかりに……っ!」


 ぎりぎりと歯噛みする季白は、両のこめかみから角でも生やしそうな勢いだ。


「季白!」

 張宇が珍しく、まなじりを吊り上げて叱責した。


「ろくでもないことを言うな! そもそも、龍翔様が明珠を手放して玲泉にくれてやるなど……。そんな事態、起こるはずがないだろう!?」


 張宇が言う通り、龍翔は甘いと評せるほど、情にあつい。

 龍翔が慈しんでいる明珠を手放すなど、周康の目から見ても考えられない。が。


「玲泉様? なぜ、ここで玲泉様の名が出てくるのですか? 見た目は少年従者であっても、中身は少女である明順を、玲泉様が欲しがられるはずがないでしょう?」


 むしろ、明珠のせいで玲泉が体調不良になったりしたら、大変なことになると思うのだが。


 というか……。


 周康は怪我の治療のため、襲撃の後のことを知らないのだが、明珠を少女と知らず抱き寄せて庇っていた玲泉は、あの後、何ともなかったのだろうか。


 周康の問いに、季白と張宇がそろって目をみはって周康を見つめる。二人の視線のせいで、顔に穴が開きそうだ。


「……どうされたんですか?」


 若干、腰が引けながら問い返すと、張宇と季白がそろって地の底から洩れ出すような溜息をこぼした。


「……そうだな。そこもちゃんと話しておかないとな……。正直、話して信じてもらえるのか、はなはだ疑問ではあるが……」


 張宇が額を押さえて呟けば、季白が、


「宮廷術師である周康殿ならば、王城での玲泉様の行状もよくご存じでしょう。実物を見たわたしですら、我が目を疑ったのですから、周康殿がすぐに信じられなかったとしても、責めることなどしませんよ」


 と、妙に達観した表情でうんうんと頷く。


 正直、何が何やらまったく意味がわからない。


「あの……?」


 戸惑った声を上げると、張宇が覚悟が決めたように唇を引き結んだ。しばしの沈黙ののち、ゆっくりと唇をほどき。


「実はだな……。襲撃が会った時に、明順の正体が娘だと玲泉様に知られてしまったんだ……」


「っ!?」

 息を飲んだ周康に、


「いやっ、それだけじゃなくてだな!」

 と、張宇があわてて言を次ぐ。


「さらに、俺も季白も、いや龍翔様や玲泉様ご本人も理由がわからないんだが……。なぜか、明珠だけは、玲泉様がふれても何も不調が起こらないんだ」


「……は?」


 衝撃の内容に、間の抜けた声が出る。


 玲泉は女人にふれられぬ。ふれればすぐに体調を崩してしまうというのは、王城に勤めている者なら、知らぬ者がいないほど有名だ。


 その玲泉が、明珠だけはふれても何ともないとは。


 とっさに思い浮かんだのは、明珠の解呪の特性だ。


「それは……。お嬢様の解呪の特性が、何らかの作用を及ぼしているということなのでしょうか……?」


 おそるおそる問うと、張宇と季白がはっとしたように顔を見合わせた。


「なるほど……。なぜ明珠だけが、と思っっていたが、その可能性があったか……」


「さすが宮廷術師の周康殿です! もし周康殿の言う通りなら、玲泉様だけでなく、蛟家こうけにも多大な恩が売れますね! これは朗報です!」


「いや待て季白。少し落ち着け。まず、明珠以外の解呪の特性を持つ女人を見つけて検証しないことには……。うかつなことはできないだろう?」


「確かに、それはそうですね……。しかし、明珠以外に解呪の特性を持つ者となると……」


 張宇と季白の視線が集中し、周康はあわててかぶりを振る。


「申し訳ありませんが、わたしは知りません。解呪の特性は非常に希少なもの。お嬢様の母君である亡くなられた麗珠れいじゅ様を除けば、第三皇子付きのれい賢浄けんじょう殿おひとりしか存じ上げません。ですが、賢浄殿は御年六十歳の男性……。遼淵様も探してらっしゃるようですが、ただでさえ女人の術師は少ないうえに、希少な解呪の特性までもっているとなると……。見つけ出すのはかなり困難ではないでしょうか?」


 周康の返答に、季白が「はぁああああっ」と海よりも深く嘆息する。


「そうですか……。解呪の特性を持つ女人が見つかれば、いろいろと厄介事が片づくと思ったのですが……」


「確かに、玲泉様の求婚はなんとかなったかもしれないな」


 季白に続いて、張宇も残念そうに吐息する。が。


「…………は? 求、婚……? 誰が、誰に……?」


 聞いた言葉が予想の埒外らちがいすぎて、脳内に入ってこない。


「玲泉様が明珠にですよ」

 季白があっさり答える。


「…………は? え? えぇぇぇぇっ!?」


 駄目だ。脳が理解を拒絶している。


 玲泉といえば、王城一の遊び人で、相手と言えば見目麗しい少年か青年ばかりで、名家である蛟家こうけの嫡男で……。


 その玲泉が明珠に求婚とは……。耳がおかしくなったとしか、思えない。


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