94 いるはずのない同輩 その2


 幻だと思いつつも、視線はかつての友人の姿を求めてさまよう。


 だが、確かに見たと思った薄揺はくようの姿は、人ごみにまぎれてしまったのか、もう一度見つけることは叶わなかった。


 自分が見たのは果たして現実か幻か。


 惑いながら周康の視線は、なおも薄揺の姿を求めてさまよう。


 周康と薄揺は同輩だ。二人とも、術師の才があるということで、五歳の時に親に売られるようにして蚕家へ引き取られた。


 以前、明珠に、彼女の母の麗珠よりしばしば菓子をもらい、同じ年の友と食べたのだと話したことがあったが、その友達こそが薄揺だ。


 とはいえ、その後、ぐんぐんと術師の才能を伸ばして当主・遼淵の高弟として宮廷術師のひとりに数えられるようになった周康と異なり、術師として芽が出ず、かといって生家にも戻れず、年の近い清陣の側仕えとなった薄揺とは、すっかり地位に差がついてしまったのだが。


 薄揺にもう少しだけ、せめて術師として蚕家の名を名乗れるほどの才能があれば、もしくは、蚕家を出てひとりで世間を渡っていく気概きがいがあれば、薄揺は清陣に潰されず、今も生きていられただろうにと、周康は苦く思う。


 粗野で傲慢な清陣に眉をひそめる術師は、蚕家の中でも多かった。


 だが、清陣は遼淵の唯一の息子であり、たちの悪いことに、蚕家の嫡男を名乗れる術師としての実力だけなら、確かにあった。


 素行の悪さが目につくとはいえ、抜きんでた実力さえあれば目をつむられるのが術師の世界だ。


 現当主の遼淵など、まさにその典型で、自分の興味のあることでしか動かず、破天荒極まりないが、卓越した術師の腕ただひとつで当代随一の術師として確固たる地位を築いている。


 そしてその遼淵は、息子の清陣に全くと言っていいほど関心がない。


 清陣があのような傲慢でひねくれた性格になったのは、遼淵の影響も少なくないだろう。


 蚕家の者は皆、清陣の八つ当たりのせいで生傷の絶えない薄揺に同情していた。


 だが、清陣は次期当主。父親の遼淵が清陣を放置している中、誰が苦言を呈せただろう。

 周康自身、薄揺を気の毒に思ってはいても、清陣をいさめることは一度もしなかった。


 常に清陣の言いなりになっている薄揺がもどかしくて、二人だけの時に、蚕家を出る気はないのか、と尋ねたことはある。


 だが、返ってきたのは、


「幼い頃から蚕家の中だけで暮らし、世の中について何も知らない俺が、蚕家を出てどこに行けるというんだ? 俺にはお前みたいに術師としてやっていけるだけの才能はない。それに俺が蚕家を出たところで、別の者が清陣様の無体にさらされるだけだろう?」


 という諦めに満ちた言葉だった。


 もしあの時、水底に沈んだような諦念に満ちた薄揺の手を掴んで、無理やりにでも引きずりあげていたら、薄揺は死なずに済んだだろうか。


 愚かなことを、と周康はかぶりを振って、頭に浮かんだ考えを追い払う。


 今さら変えられぬ過去を悔やむなど、自分らしくない。


 貧しい生家から蚕家に引き取られ、早二十年。周康は常に上を目指して貪欲どんよくに術師の腕を磨いてきた。


 蚕家の名など、自分が昇り詰めるための踏み台にしてやる、と。心の中で黒い炎を燃やしながら、ひたすら上へ上へと昇ってきたのだ。


 そんな自分が薄揺と蚕家を出るなど……。ありえない。


 だが、なぜ今、薄揺の幻など見たのだろうか。薄揺が死んだと聞いたのは、一か月以上も前だというのに。


「周康のだんな? どうなさったんで」


 いぶかしげな船長の声に我に返る。


「いえ……。港のにぎわいに思わず目を奪われてしまいました。さすが、『華揺河の瑠璃るり』とたたえられる晟都。龍華国の王都の都とも、まだ趣きが違いますね」


「確かに、晟都はこの辺り一帯じゃ、一番大きな港ですからねぇ。俺は何度も来てますが、だんなみたいに初めて来たお人は、たいていぽかーんと見惚れてまさぁ」


 周康の言葉に何の疑問も持たず納得してくれた船長にほっとする。


 きっと、これから龍翔を久々に顔を合わせねばならないと気が張りつめているせいで、らちもない幻を見たのだ。


 龍翔と清陣が似ていると言う気はまったくない。清陣など、龍翔の人格の高潔さに足元も及ばない。が、薄揺にとっての清陣のように、決して逆らえない主人である点だけは同じだ。


 賊に襲われた当初は、怪我を負っていた上に、明珠を庇ったこともあり、龍翔の怒りはなかったが、それから何日も経った今、周康の不甲斐なさに怒りが湧いている可能性も否定できない。


 龍翔が理性的であることを祈るばかりだ。龍翔の元へ参じないという選択肢は、はなからないのだから。


 ひとつ吐息して覚悟を決め、周康はてきぱきと水夫達に荷卸におろしの指示を出す船長に王宮へ向かう旨を伝え、歩を進めた。


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