93 晟都への訪問者 その4


 言葉を選ぶように、龍翔がゆっくりと口を開く。


「陛下。雷炎殿下と瀁淀を接触させぬほうがよいでしょう。瀁淀は今までの震雷国とのつながりを根拠に、雷炎殿下の饗応きょうおうを申し出るでしょうが、許可してはなりません。瀁淀などに任せず、藍圭陛下直々に王宮にて饗応し、晟藍国は今後も震雷国と親交を深めたい意を示すのです」


「は、はい! わたしに否はありませんが……」


 藍圭がちらりと隣の初華に視線を向ける。藍圭の手を握りしめたままの初華がにこやかに微笑んだ。


「お兄様のおっしゃる通りです。龍華国の皇女であるわたくしが正妃になるとはいえ、王宮を龍華国の色で染めようなどとは、欠片も考えておりません。晟藍国の平和のためには、龍華国と震雷国の間で吊り合いをとることが何よりも肝要。藍圭様自らが雷炎殿下と親交を深めることにより、晟藍国は変わらぬ友誼ゆうぎを求めていると知らしめすことは、藍圭様の今後の治世のために、大切なことであろうと存じます」


「ありがとうございます。初華姫様にそう言っていただけると……。安心します」


 藍圭がようやくほっとしたように表情を緩める。


「龍翔殿下と初華姫様のご配慮に、晟藍国将軍として、心より感謝いたします」

 深々と頭を下げたのは魏角だ。


「晟藍国の将来についても案じてくださるとは……。藍圭陛下に『花降り婚』を進言したわたしの判断は正しゅうございました」


「なんと……。『花降り婚』の発案者は魏角将軍でございましたか」


 季白の感心したような声に、魏角が小さく笑みをこぼす。


「これでも、長生きしている分、人よりも多少、見聞が広いのです。龍華国の皇子達のお人柄についても耳にしておりました。といっても龍翔殿下が差し添え人として参られるかどうかは賭けでございましたが。何より」


 魏角が武人らしい太い首をゆるりと横に振る。


「わたしは藍圭陛下に進言しただけでございます。賞賛くださるのでしたら、どうぞ、進言を受け入れて実際に龍華国へ赴き、『花降り婚』の盟約を見事結ばれた藍圭陛下に」


「とんでもありません!」

 藍圭が勢いよく魏角を振り返る。


「突然、父上と母上を亡くし、途方に暮れていたわたしに、魏角将軍が何をするべきか教えてくれたからこそ、哀しみの沼に囚われて沈んでしまうことなく動けたのです! 龍華国まで赴けたのも、魏角将軍が留守を守ってくれたからこそ……っ!」


「ですが……。陛下がご不在の間に将軍の任を解かれ、晟都でお帰りを待つことができなかった己のふがいなさが情けなく……」


 しわが刻まれた魏角の面輪が苦しげに歪む。


「だというのに、藍圭陛下はわたしを叱責するどころか、汜涵しかんから戻ったわたしめを直々に出迎えてくださいました。このご恩に報いるため、身を粉にして陛下に尽くす所存でございます」


 藍圭の留守を守れなかった悔恨は、老将軍の心に深い傷となって刻み込まれているのだろう。


 魏角の言葉に、龍華国の面々はおろか息子の浬角さえも、何も返せない。

 だが。


「魏角将軍」


 藍圭が少年らしい高く澄んだ声音で魏角を呼ばう。


「わたしに恩義を尽くしてくれる心はこの上なく嬉しいが、頼むから、そのように己を責めて思いつめないでもらいたい。将軍の力に助けられているのはわたしのほうなのだ。今後とも、わたしのそばで支えてほしい」


「藍圭陛下……っ」


 魏角の目を真っ直ぐに見つめて告げられた真摯な言葉に、老将軍の声が震える。魏角が男泣きするのではないかと、明珠は思わず心配になった。


 が、魏角は洩れそうになる声をこらえるように唇を引き結び、固く目を閉じる。


 ほんのわずかな沈黙の後、まぶたを開け、藍圭を見つめるまなざしには、まぶしいものを見るような慈愛の光が満ちていた。


「ほんの数日、お会いできぬうちに、まことにご立派になられましたな……。男子三日会わざれば刮目かつもくして見よと申しますが、その通りでございます。きっと、初華姫様がいらっしゃり、よりいっそう国王として、夫としての自覚が出られたからでございましょう」


 卓の上で互いの手を握る藍圭と初華を微笑ましく見つめながら魏角が告げる。


「まことに……。まことに藍圭陛下は図晴らしい御方を正妃として迎えられました。お二人が晟藍国を導いてくだされば、ますますの繁栄は間違いないことでございましょう」


「魏角将軍にそのように言っていただけるなんて、嬉しゅうございますわ」


 初華があでやかな笑みを魏角に向ける。


「婚礼の儀こそまだでございますが、わたくしの心はすでに藍圭陛下の妻でございます。ですが、他国の出身ゆえ、晟藍国のしきたりなどにうといのは確か。長年、晟藍国の重鎮としてご活躍されてきた魏角将軍には、今度とも末永いご指導ご鞭撻べんたつをいただきとう存じます」


 初華が年上への礼節を守って、丁寧に頭を下げる。魏角が孫にねだられた老人のように、困り顔を見せた。


「藍圭陛下のみならず、初華姫様にまでそのように言われましては……。まだまだ第一線を退くわけにはいかぬようですな」


「当然だ」

 藍圭が力強く頷く。


「晟藍国にその人有りとうたわれる魏角将軍がいてくれるからこそ、軍も波風を立てずにわたしに仕えてくれているのだ。まだ数音は引退など考えられては困る。魏角将軍には、わたしが成人の儀を迎える時には、亡き父に代わって祝福してほしいと願っているのだから」


 藍圭が魏角に向ける深い信頼が見えるような言葉に、明珠の胸まで熱くなる。


「藍圭陛下……っ。なんとありがたいお言葉を……っ」


 感極まったように上げた魏角の声が潤んでいたのは、決して気のせいではないだろう。


「藍圭様のおっしゃる通りですわ。魏角将軍には、後進の育成も含め、まだ第一線でいていただかなくては。まだまだお教えいただきたいことがたくさんあるのですもの」


 にこやかに頷いた初華が、「お教えいただきたいといえば……」と藍圭を振り返る。


「藍圭様。お願いがございますの」


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