93 晟都への訪問者 その3


 鋭い視線を向けられた安理が、飄々ひょうひょうと肩をすくめる。


「高官って可能性も否定できないっスけどね。ケド、震雷国から何やらものものしい一団が、晟都に向かってるってのは、確かな情報っス」


「晟藍国には、震雷国から使者が遣わされたというの先ぶれは来ておりませんが……」


 藍圭が愛らしい面輪に戸惑いを浮かべて呟く。


「それとも、その方が先ぶれなのでしょうか……?」


「いや~、その可能性は低いと思うっスよ?」

 藍圭の推測を安理があっさり否定する。


「先ぶれだったら、お忍びなんかで来ずに、それこそばばーんと震雷国の看板を背負ってものものしくやって来るでしょう? けど、今回の来訪者は、いちおうお忍びのていを取ってるっぽいっスから」


「だが、お忍びなら、どうしてそれが震雷国の皇族らしいとわかるんだ?」


 もっともな疑問を口にしたのは張宇だ。「え~っ?」と安理が唇を吊り上げる。


「だって~。よっぽどうまく偽装しないと、身分のある方の旅ってのは、やっぱり周りから浮いちゃうっスからね~♪ 本格的に隠すには偽装が甘いみたいで。晟藍国と震雷国を行き来する商人達の間で、ちょっとした噂になってるんスよ~。まっ、だからオレの耳にも入ってきたんスけど♪」


 「でもぉ~」と安理がにへらと笑う。


「もしかしたら、その脇の甘さも計算ずくかもしれないっスね♪ こちらがどんな反応をするか、試してるのカモ♪」


「こちらの反応を試す、か……」

 安理の言葉に、龍翔が秀麗な面輪をしかめる。


「そんなことをしそうな人物といえば……。震雷国第二皇子の雷炎らいえん殿下の可能性が高そうだな」


「確かに、噂に伝え聞くかの御仁なら、そのような人騒がせなことを好んでなさりそうですね」


 季白が即座に頷く。


「で、では、雷炎殿下が晟都に来られるということですか……?」

 藍圭の声に緊張がにじむ。


「父上の喪が明けていない中での『花降り婚』ということもあり、婚礼の儀は初華姫様の差し添え人と、晟藍国の主だった貴族達のみの参列だけで、他国からの来賓は招待せぬ旨の文書を震雷国には送っております……。周辺の国々にも同じものを……。その上で第二皇子が来られるということは、震雷国は『花降り婚』に、異議を唱えたいということなのでしょうか……?」


 箸を置いた藍圭の手がかすかに震えている。


 『花降り婚』により、龍華国の後ろ盾を得られるとはいえ、大国である龍華国と震雷国の間に位置する晟藍国にとっては、震雷国との関係に大きな不和が生じる事態は避けたいのだろう。


「藍圭様……」


 初華が藍圭の小さな手をそっと握りしめる。


「たとえ震雷国が『花降り婚』に異議を申し立てたとしても、いまさら取りやめになどさせませんわ。いかに震雷国とはいえ、晟藍国と龍華国が交わした盟約を反故ほごにすることはできません。そんなことをすれば、周辺の国々にも、震雷国の悪名が響き渡りましょう。皇族ともあろう者が、そのような愚をおかすとは思えませんもの」


 初華が藍圭の手を握る指先に力を込める。龍翔も藍圭を安心させるように微笑んだ。


「初華の言う通りでございます。その点についてはご心配いりませぬ。わたしも初華も、雷炎殿下に直接お会いしたことはございませんが、噂は伝え聞いております。何でも、武勇に優れた豪放磊落ごうほうらいらくな御方だとか。陛下は、雷炎殿下にお会いされたことがおありなのですか?」


「は、はい……。二年前、父上の治世の二十周年を祝う式典の際に、震雷国からいらっしゃった使節の団長が雷炎殿下でした……」


 亡き両親のことを思い出したのか、藍圭の面輪が、一瞬哀しげに歪む。


「わたしはまだ、たった六歳でしたので、雷炎殿下と親しくお話ししたわけではないのですが、明るいお人柄で、よく通る声をお持ちの偉丈夫で……。義兄上がおっしゃる通り、いかにも武人然とした、快活でさっぱりとした気質の方のようにお見受けしました。ただ……」


「ただ?」


 硬い表情で言い淀んだ藍圭に、龍翔が穏やかな声で続きを促す。


「その……。父上が、雷炎殿下がいらっしゃらぬ時に、母上にこぼされておりました。「雷炎殿下は表向きは人好きする御仁だが、やはり震雷国の第二王子。油断していると虎に喰われかねない」と……」


「なるほど……」

 藍圭の懸念を感じ取った龍翔が、形良い眉をひそめる。


「雷炎殿下は、油断できぬ御仁のようですね」


「しかし……。雷炎殿下は、何の目的で来られるのでしょう……? そのような方が、単に婚礼を祝いに来られるとは思えないのですが……」


 藍圭の声が不安に揺れる。


「晟藍国と今後も変わらぬ友誼ゆうぎを結ぶため、という平和的な目的ならばよいのですがね。――安理」


 龍翔が信頼する隠密を呼ばう。


「晟藍国へ向かっている人物が、本当に雷炎殿下かどうか、確認せよ。目的まで探れれば、それが最善ではあるが、そこまでは求めぬ」


「へーい♪ 了解っス~♪」

 龍翔の指示に安理が軽やかに応じる。


 あっさり頷いているが、それほど簡単に調べられるものなのだろうか。明珠にはそれすら判断がつかない。


 安理をちらりと横目でうかがうが、飄々ひょうひょうとした表情からは何も読み取れなかった。


「藍圭陛下。震雷国の思惑はわかりませぬが、こちらは念のため、出迎えの準備と部屋の支度を整えておきましょう。単に、情報収集のためのお忍びの旅ならばそれでよし。何にせよ、状況に応じて即座に動けるよう、心づもりをしておくに越したことはありません」


「わかりました。義兄上のおっしゃる通りにいたします」


 藍圭が素直に頷く。微笑んだ龍翔が、ふと秀麗な面輪をしかめた。


「ただ、玲泉より気になる話を聞いたのですが……」

 龍翔が気遣わしげに藍圭を見つめる。


「瀁淀が震雷国と通じているという話を耳にしたことがある、と……。それは、真でございますか?」


「は、はい……」

 藍圭が強張った顔で頷く。


「亡き父上は、どちらかといえば龍華国寄りの姿勢をとっておりました……。ですが、龍華国と震雷国の間で、どちらか一方だけにかたよりすぎぬようにするのが、代々の晟藍国の方針。そのため、大臣である瀁淀は、震雷国と親しくし、吊り合いをとっております。このたび、わたしが『花降り婚』を行うことにより、明らかに龍華国側に比重が偏ってしまいます。そのため、瀁淀には、今までと変わらず親震雷国派の先頭に立ってもらっていますが……」


 話すうちに、藍圭の面輪からどんどん血の気が引いていく、


「も、もしや、雷炎殿下をお呼びしたのは瀁淀なのでしょうか……? 震雷国の威を借りて、『花降り婚』の中止を進言しようと……」


 晟藍国の立場からすれば大国である震雷国に圧をかけられるのは避けたい事態だろう。


「これは……。重々警戒せねばなりませんな……」


 悪い事態を想像しているのだろう。魏角が深いしわが刻まれたいかめしい顔をしかめ、低く苦い声で呟く。


 なだめるように口を開いたのは龍翔だ。


「その可能性については否定できません。が……、瀁淀の進言など、心配される必要はございません。『花降り婚』の盟約が結ばれる前からまだしも、今や初華も晟都に到着し、婚礼の準備も着々と進んでいるのです。ここまで来て『花降り婚』を反故ほごにすることは、震雷国の力をもってしても不可能。下手をすれば晟藍国を舞台に、龍華国と震雷国がいがみ合う事態になりかねません。震雷国もそこまで愚かではないでしょう。むしろ、懸念すべきは――」


 いったん言葉を斬った龍翔が、考えをまとめるように唇を引き結ぶ。部屋にいる全員の視線が龍翔に集中した。



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