93 晟都への訪問者 その2


「まっ、船に弱い周康サンのことっスから、淡閲から晟都に来るまでの間に、船酔いでへろへろになってる可能性も否定できないっスけどね~」


 安理の軽口に、船出当初の周康の不調っぷりを知っている季白と張宇が苦笑いを浮かべる。


「たとえ、周康殿が船酔いですぐには使い物にならなかったとしても、平底船さえ無事についてくれればよいのですよ」


 無情極まりないことをきっぱり言い切ったのは季白だ。


「平底船と木材が到着すれば、舞台の設営も一気に進みますからね。瀁淀に余計な横槍よこやりを入れられぬうちに、『花降り婚』を執り行いたいところです」


 季白の言葉に、藍圭が大きく頷く。


「舞台の材料がそろえば、いつ婚礼を行えるか、ある程度の見通しが立ちましょう。その時点で、婚礼の日取りを大々的に発表します」


 一国の王の婚礼となれば、数か月に及ぶで準備をするものらしいが、今回の『花降り婚』に関しては、事情が事情だけに、異例尽くしだ。


 書類を調べる合間に張宇に教えてもらったところによると、晟藍国は小国のため、主だった貴族に差し迫った日取りで婚礼の日時を伝えても、参列に間に合うらしい。広大な領土を有する龍華国ではそうはいかない。


 龍翔が藍圭に微笑みかける。


「『花降り婚』の日取りを発表すれば、今は日和見ひよりみしている者の中から、藍圭陛下のお味方をしようとする者も現れましょう。同時に、瀁淀の妨害が激しくなる懸念もありますが……」


「瀁淀に妨害などさせませんわ!」

 愛らしい面輪に勝気な表情を浮かべたのは初華だ。


「もし妨害してきたとしても、逆に下手人を捕らえて、黒幕の瀁淀を白日の下に引きずり出してやりますわ!」


 血気盛んな妹の様子に、龍翔が苦笑する。


「威勢のよいことだが……。頼むから、無茶はしてくれるな。万が一、お前に何かあれば、そもそも『花降り婚』が成立せぬのだからな」


「もちろん、重々承知しておりますわ」


 頷いた初華に次いで、握りしめた拳でどんと厚い胸板を叩き、浬角が力強く請け負う。


「お任せください! この浬角がいる限り、不埒者の汚れた手など、初華姫様にも藍圭陛下にも、指一本ふれさせません! 父上も汜涵しかんより晟都に戻られ、信の置ける警護の兵も格段に増えました。瀁淀などに、これ以上の妨害はさせません!」


 明珠も張宇から、藍圭の勅旨ちょくしにより、魏角が汜涵の砦より部下とともに戻ってきてくれたため、人員に余裕ができて警護が楽になったと聞いている。


「民衆の人気が高い魏角将軍が戻られて盛り上がっているところで、『花降り婚』の日取りの発表ってのはいい流れっスね~♪」


 弾んだ声を上げたのは安理だ。


「藍圭陛下の命で魏角将軍が戻ることになっただけじゃなく、陛下が直々に礼を尽くして将軍をお出迎えなさったことで、庶民の間じゃあ、藍圭陛下の人気が急上昇中なんスよ~♪ さっすが、晟藍国にその人有りと名高い魏角将軍っスね~!」


 明珠は魏角将軍の出迎えには随行できなかったが、その時の様子は浬角に聞いたという初華から教えてもらっている。


 初華が感動に声を震わせて語ったところによると、『花降り婚』の妖精に藍圭が龍華国に赴いている間に、瀁淀によって咎もないのに汜涵へと左遷させられた魏角を、元の将軍の地位に復帰させた藍圭は、魏角を港まで直々に出迎えに行ったそうだ。


「よく戻ってくれた、魏角将軍。父上に仕えていた時と同じように、今後は、わたしを補佐してくれ」


 と、下船した魏角の手を取って告げた藍圭に、魏角将軍は、


「もちろんでございます。老いた身ではございますが、この魏角、陛下のほことも盾ともなり、新たな治世のため、骨身を惜しまず尽くしまする」


 と片膝をついて忠誠を誓い、まるで芝居の一幕のように感動的だったのだという。


 魏角が将軍職に戻ったことは、港で働く人々からすぐに晟都中に広まったそうで、その日は晟都のあちらこちらで歓声が上がったらしい。


「この老骨の名に、どれほどの力があるかはわかりませんが、わずかなりとも藍圭陛下のお力となれるのであれば、望外の喜びでございます。どうぞ、いかようにもお使いくださいませ」


 魏角がしわが刻まれた日焼けした顔に、頼もしい笑みを浮かべる。藍圭がふるふるとかぶりを振った。


「とんでもありません! 魏角将軍には、大いに助けられております! 将軍のおかげで、朝議でも意見が通りやすくなりましたし、何より、王宮内の空気が落ち着いたものに変わったように思います」


 藍圭の味方である魏角が発言力のある将軍の地位に復帰したことで、藍圭の提案が通りやすくなったのだろう。魏角が帰還した効果は早くも出ているらしい。


 藍圭の治世を安定させるためにはとてもよいことだと、明珠は嬉しくなる。


「嬉しいお言葉、ありがとうございます。ですが、それはわたしの功績ではございません。陛下のご人徳ゆえでございますよ」


 藍圭を見つめる魏角の穏やかなまなざしは、まるで孫に対する祖父のようだ。


「安理。あなたが報告に来たのは、市井の噂を届けるためだけですか?」


 うまいうまいと、豪華な料理をぱくぱく口に運んでいる安理に、季白が問いかける。


「さっすが、季白サン。いやその……。ちょーっと気になる噂を耳にしたんで、念のため、龍翔サマ達のお耳に入れておこうと思いましてね? いろいろと準備も必要そうっスし……」


 季白が切れ長の目を吊り上げる。


「何ですか、そのあいまいな物言いは! 報告ならはっきり言いなさい!」


 季白の言葉に、安理が箸を置いてしゃんと背を伸ばす。


「それがっスね……。どうやら、震雷国しんらいこくの皇族が、お忍びで晟藍国に向かってるらしんス」


 安理の言葉が、不可視の爆薬のように、卓の中央で爆発する。


「震雷国……っ!?」


 最も激しい反応を見せたのは魏角だった。

 信じられぬと言いたげに、愕然と目が見開かれる。他の面々も言葉を無くして黙り込む。


 しん、と落ちた薄氷のような沈黙を最初に破ったのは龍翔だった。


「震雷国の皇族……。確かな情報なのだろうな、それは」


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