93 晟都への訪問者 その1


「やっほ~っ♪ おひさっス~♪」


 いつもと変わらぬ軽い調子で安理が数日ぶりに王宮へ戻ってきたのは、明珠や龍翔達が初華や藍圭も一緒に、夕食の卓を囲んでいる時だった。


 ここのところ、『花降り婚』の準備で各人があわただしく過ごしていたため、そろっての夕食は久しぶりだ。


「いや~っ、やっぱり王宮の食事は豪華っスね~♪」


「安理さん。お夕食まだなんですか? どうぞ」

 空いている席に座った安理に、明珠は立ち上がって取り皿とはしを渡す。


「ありがと~、明順チャン♪ いや~、やっぱり明順チャンのかわい~笑顔を見てると癒されるねっ♪」


「無駄口を叩いている暇があったら、さっさと報告しろ。そのために、わざわざ皆がそろっているだろうこの時間を選んで来たのだろう?」


 龍翔が冷ややかな声で促すと、安理が不満げに唇をとがらせた。


「え~っ! 龍翔サマや季白サン達はともかく、明順チャンには久々に会えたんスから、ちょっとくらいたわむれたっていいじゃないっスか~♪ このくらいでもダメだなんて、龍翔サマ、ちょーっと嫉妬ぶ――」


「明順。隣へ戻って来い。安理の戯言たわごとにつきあっていては、お前の耳が汚れる」


「ちょっ!? 龍翔サマひどっ! 頑張ってきたオレにその仕打ち! 泣いちゃうっスよ!?」


 遮った龍翔に、安理が芝居がかった仕草で泣き真似をする。


「あれ……? 安理さん、今日までにも王宮へ何度か来てたんですか?」


 明珠は晟藍国の王宮に着いてから、一度も安理に会っていないが、安理は王宮に来ていたらしい。小首をかしげて問うと、安理がこくこくと頷いた。


「そーそー。二回ほど顔を出したんだケドね? 残念ながら夜中とかだったから、明順チャンには会えなくてさ~。明順チャンの寝顔なんて見ようものなら、龍翔サマに叩っ斬られちゃうじゃん?」


「当たり前だ! 日中、一生懸命働いて疲れているというのに、休息を邪魔してよいわけがないだろう!」


 らちが明かないと思ったのか、立ち上がって近づいてきた龍翔が明珠の手を取り、元の席へと引っ張っていく。


「……で。何の報告に来た? 瀁淀ようでん富盈ふえいの癒着の証拠でも見つかったのか?」


「いや~、それが……」


 卓の上に並べられている大皿から、ひょいひょいと取り皿に料理を移しながら、安理が肩をすくめる。


「富盈のほうは、さすが晟藍国一の大商人というだけあって、屋敷の警護もかなり厳重で……。加えて、手広く商売をやってる分、なかなか当たりがつけづらいんスよねぇ~。瀁淀の屋敷に滞在なさっている玲泉サマは、何か手がかりを掴んでらっしゃらないんスか?」


 安理は造船所へ同行していなかったが、瀁淀と富盈が結託しているらしいという話も、すでに承知しているらしい。


 問い返した安理に応えたのは、機嫌の悪そうな季白だ。


「玲泉様には、瀁淀と富盈について調べていただくようお願いしていますが、まだ結果の報告はありません。……が、玲泉様にあまり期待をかけるべきではないでしょうね。玲泉様の従者達には、隠密の技に秀でた者はいないそうですし、ご本人もとかく人目を引く方ですからね。瀁淀に隠れて調べるのは難しいでしょう。まあ、元から玲泉様にそこまでの働きは期待しておりません。瀁淀の油断を誘うための呼び水となり、また、大胆に動きにくするための重石おもしとなってくだされば十分ですので」


 己よりずっと身分の高い玲泉について話しているにも関わらず、季白の言葉にはまったく遠慮がない。もしこの場に玲泉がいたら、「さすが、龍翔殿下の有能な右腕だね」と端麗な面輪に苦笑を浮かべていたことだろう。


 季白の言葉に、安理がげんなりと溜息をついた。


「となると、オレが頑張るしかないっスかぁ~。成功はお約束できないっスけど、もうちょっと取り組んでみるっス~」


「ええ、頼みますよ。こちらも、『花降り婚』の準備を進めるのに手いっぱいで、瀁淀の悪事を暴いて追い落とすほうはなかなか手が回らないのです。罪に問えるのは下っ端の小悪党ばかりで、なかなか大物には辿り着けず……。残念ながら、瀁淀の勢力を削っているとは言い難い状況です」


 はぁっと季白も嘆息する。


 明珠と張宇で、毎日、不正の証拠がないかと書類を調べては、見つけた内容を季白に報告しているのだが、犯人として検挙されるのは、高官の身代わりとされた下っ端役人ばかりらしい。


「これほど、瀁淀にくみしている官吏が多いとは……。国王として、情けない限りです」


 藍圭が悔しそうに小さな拳を握りしめる。


「いいえ、藍圭様。咎はわたしめにございます。前国王陛下の頃から、わたしがもっと、官吏にも目を配っておれば……っ!」


 深い皺が刻まれた顔に、深い苦渋を刻んで告げたのは魏角将軍だ。とりなすように季白が口を開く。


「まあ、瀁淀を追い落とすのは『花降り婚』を成就させた後でも遅くはありませんからね。今はこれ以上、瀁淀の勢力が伸びぬだけでもよしとしましょう。幸い、『花降り婚』の準備自体は、これまでの遅れを取り戻すかのように、順調に進んでおりますし……」


「ああ。明日にでも、周康サンが舞台の基礎となる平底船と一緒に、晟都に着きそうなんスよね?」


「ええっ!? 周康さんがですか!?」


 あっさりと告げられた内容に、思わず大声を上げる。


 卓の面々の視線が集中し、明珠は「す、すみません。不作法を……っ」と身を縮めて詫びた。


 よしよしと、慰めるように頭を撫でてくれたのは、隣に座る龍翔だ。


「すまぬ。あれほど心配していたのだ。万が一、ぬか喜びになる事態が起こってはと、周康が着いた際に教えようと思っていたのだが……。もっと早く教えてやるべきだったな」


「い、いえ。とんでもありません! 龍翔様がお忙しいのは存じておりますし……」


 実際、ここ二日ほどは、朝の食事の時と、熱前のわずかな時間しか、龍翔と顔を合わせられていない。忙しい龍翔が伝え忘れていたとしても、責める気などまったくない。


「周康さん、晟都へ来られるほど回復されたんですね! よかったぁ……」


 心の底からほっとする。周康が賊の毒刃を受けたのは、明珠を庇ったせいなのだから。

 毎日、早く周康が良くなってくれますようにと祈っていた甲斐があった。


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